日本キリスト教団 富山鹿島町教会ホームページ|礼拝説教

礼拝説教

「無かったことに出来るか」
詩編 12編2~5節
マタイによる福音書 28章11~15節

小堀 康彦牧師

1.はじめに
 先週私共は、イエス様の御復活を覚えてイースター記念礼拝を捧げました。いつもはライブ配信や説教原稿を用いて家庭礼拝を捧げている方々も集われ、共に礼拝を捧げ、聖餐にも与りました。久しぶりに顔を合わせた方々とゆっくりお話ししたい思いはありましたけれど、コロナ禍の中、それはかないません。しかし、共に御言葉に与り、御名を誉め讃え、聖餐に与ることが出来、本当に嬉しい嬉しいイースターでした。
 今朝与えられております御言葉は、復活されたイエス様がイエス様の墓に来た婦人たちにその御姿を現された記事と、復活されたイエス様がガリラヤにおいて11人の弟子たちにお会いになった記事とに挟まれています。週の初めの日に婦人たちが復活されたイエス様と出会い、イエス様を礼拝した出来事。そして、ガリラヤにおいて復活されたイエス様が11人の弟子たちと出会い、彼らを再び弟子として召し出し、全世界に向かって派遣された出来事。この二つは出来事はとても有名ですし、よく説教される所でもあります。私も、この教会に来てから5、6回は説教していると思います。皆さんも、何度もこの二つの箇所における説教を聞いて来られたことと思います。しかし、今朝与えられております御言葉は、その二つの大きな峰の谷間と言いますか、ちょっと付け足しのエピソードのような感じで、あまりこの御言葉から説教を受けたことはないのではないかと思います。確かに、ここには復活されたイエス様と出会った人々の証言は何も記されておりません。ですから、イエス様の復活の恵みについて積極的に私共に何かを教えてくれるという箇所ではありません。ここに記されているのは、イエス様の復活を認めなかった人たちのことです。その意味では、イエス様の復活を信じないということはどういうことなのか、そのことを私共に教えている御言葉とは言えると思います。
 神様はイエス様の復活を信じる者になるようにと人々を招いておられますけれど、皆がその招きに応えるわけではありません。聖書はそのことを正直に告げています。そして、それはどうしてなのか、そのことを教えています。

2.番兵
 まず、ここに出てくるのは「番兵たち」です。番兵というのは、イエス様の遺体が葬られた墓の番をしていた兵士です。イエス様が十字架に架けられて死んで、アリマタヤのヨセフの墓に葬られたのが金曜日です。そして翌日、安息日であるにもかかわらず、祭司長たちとファリサイ派の人々は総督ピラトのところに行って、こう言ったのです。「あの男が生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと言いふらすかもしれません。」それに対してピラトは、「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」と言いました。ここだけ読みますと、この番兵はピラトの手の者ではなく、神殿警護の者ではないかと思われるのですけれど、今朝与えられている御言葉を読みますと、ピラトの手の者、ローマ兵ではなかったかと思われます。と言いますのは、14節に「もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」と祭司長たちが彼らに言っているからです。ローマの兵士が番兵としての役を与えられた場合、見張りをしていた者を取り逃がすというようなことがあったなら、責任を取らされて処刑されることが普通でした。

3.番兵たちの報告
 11節を見てみましょう。「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。」とあります。イエス様の墓に行った婦人たちは天使と遭遇し、「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」(7節)と言われたものですから、彼女たちは弟子たちに伝えるために走りました。その途中で、彼女たちは復活されたイエス様と出会います。彼女たちの喜びは爆発し、イエス様の足を抱いてひれ伏しました。つまり、復活のイエス様を神様として拝んだのです。そして、復活のイエス様にも「兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしと会うことになる。」(10節)と言われましたから、彼女たちは弟子たちの所に急いだのです。ところが、彼女たちが弟子たちの所に着く前に、番兵たちは都に着いていたと聖書は記します。番兵たちがイエス様の墓を見張っていると、地震があり、天使が降って来て、墓の入り口の石を転がし、その石の上に座りました。そこまでは番兵たちは正気だったと思います。番兵ですから、イエス様の墓を塞いでいた石の前か横に立っていたはずです。その石が動いた。そして、天使がその石の上に座った。つまり、天使に一番近い所にいたのが番兵たちでした。彼らはこの出来事に、「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」(4節)のです。気を失ったのかもしれません。ですから、彼らは天使たちの言葉をきちんとは聞けていなかったかもしれません。それでも、彼女たちがそこから弟子たちの所に行くために走って立ち去った後、すぐに正気に戻ったのでしょう。何時間も気を失ったようになっていたわけではありません。そして、彼らもエルサレの都に戻りました。彼らも走ったと思います。
 彼らの報告はこういうことだったと思います。①地震があった。②天使が降って来た。③墓を塞いでいた石、これには封印もしてあったけれど、これが転がった。④墓の中は空だった。ルカによる福音書とヨハネによる福音書によれば、その空の墓にはイエス様の遺体を包んでいた亜麻布だけがあったと記されています。彼らは天使の言葉をどれほど聞けていたのか分かりませんし、復活されたイエス様に出会ってはいませんので、「イエス様が復活した」とは報告しなかったのではないかと思います。彼らは真面目に、寝込むこともなく、番兵としての職務をきちんと行っていた。しかし、とんでもないことが起きた。そして、イエス様の墓が空になっていた。これだけは否定しようがありません。だけど、自分たちは悪くない、ミスはしていない。そう言いたかったのだと思います。客観的な事実としてあったのは、墓が空であったということ、そしてイエス様の遺体を包んだ亜麻布だけが墓に残っていたということだけでした。そして、このことを総督ピラトに報告すれば、見張っていたイエス様の遺体がなくなってしまったのですから、見張りの役を果たせなかった、見張りに失敗した者として、彼らは責任を取らされて処刑されるかもしれない。でも、彼らとしてみれば、怠けてなんていなかった。ちゃんと見張りの番をしていたんです。それなのに責任を取らさられるなんて、冗談じゃないとも思ったでしょう。それで彼らはピラトのもとにではなく、祭司長たちの所に報告に行ったのです。このイエス様の墓の見張りということ自体が、祭司長たちがピラトに申し出て、行われることになったことを知っていたからです。

4.空の墓の解釈
 この番兵たちの報告を聞いた祭司長たちは、長老たちと相談します。彼らはイエス様を十字架に架けた一番の責任者です。相談の結果、番兵たちに多額の金を与えて、「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言いなさい。」と命じました。多額の金というのは買収のためのお金ということでしょう。番兵たちにしてみれば、処刑されるかもしれないところを、多額のお金までもらえるというのですから、これを断る理由はありません。喜んで同意したでしょう。
 「イエス様の墓が空だった」という事実に対しての、一番普通の常識的な解釈は、「遺体は別の場所に移動させられた」ということでしょう。ですから、祭司長たちや長老たちの相談の結果は、特に悪意に満ちたものというものでもなかったと思います。それは常識的な理解、つまり、神様というお方を考えない中での理解ということです。一番最初にして最も合理的で、ユダヤ人たちに流布された説明が、この「弟子たちが盗んだ」というものでした。
 でも、残念ながらこの説明にも無理があります。第一に「自分たちが寝ている間に」ということは、自分たちが気がつかないうちにということですから、どうして「弟子たちが盗んだ」と言えるのか。第二に、盗んだのならば、盗んで隠した先が発見されなければならないけれど、それは見つかっていない。第三に、亜麻布にくるんだ遺体を盗むのに、わざわざ亜麻布を外す人はいないでしょう。全く不自然です。第四に、イエス様の墓の蓋をしていた大きな岩を転がすのに、眠っている人を起こさないように音も立てずに行うことなど出来るのか。第五に、これが大切な所ですが、イエス様が捕まると蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった弟子たちが、番兵が見張っているイエス様の墓に行ってこれを盗むというような危険を犯すだろうかということです。そもそも、嘘でないなら、番兵たちにお金を渡す必要などありませんでした。

5.事実と解釈
ここで、祭司長たちや長老たちがしたことは、番兵たちを買収して、イエス様の墓が空であったことの解釈として「弟子たちが盗んだ」ことにして、これを流布したということです。15節bには、「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。」とあります。このマタイによる福音書が記されたのは紀元60年代と考えられています。イエス様が十字架に架かり復活されてから30年ほど後です。このマタイによる福音書が記された時には、ユダヤ人の間でそのように語られていたということです。そういう中で、キリスト教は伝道して来たのです。墓が空であったという事実に対しての説明としては、そういうこともあるでしょう。しかし、本当に大事なことは、イエス様が復活したという事実を認めるかどうか、信じるかどうかということなのです。イエス様の墓が空になっていたことの解釈の仕方が大事なのではないのです。イエス様が復活されたかどうかが大切なのであって、空の墓の解釈は問題ではないのです。しかも、人間の理性が納得するような合理的な説明は何か、そんなことが問題なのではないのです。イエス様が復活したかどうか、それを信じるかどうか、それだけが問題なのです。墓が空だったのは弟子たちが盗んだからだという解釈、理屈は、墓が空だったということの説明にはなっているでしょう。しかしそれは、イエス様の復活に対しては、要するに「無かったことにする」ということです。信じるか、信じないか以前です。「無かったことにした」のです。無かったことにしてしまえば、信じるも信じないもありません。無かったことは、無かったのです。どうして、彼らはそうしたのでしょうか。それは、自分たちは変わりたくなかった、「自分たちは正しい」ということを手放せなかったということです。イエス様の復活があったということになれば、自分たちがイエス様を十字架に架けたのですから、神様に逆らう者になってしまいます。勿論、たとえイエス様を十字架に架けた者たちであっても、イエス様の復活を認め、イエス様を我が神・我が主と信じるならば、間違いなく彼らもイエス様の救いに与ることになります。しかし、彼らはそうはしなかった。自分の立場、自分の正しさを手放すことが出来なかったからです。神様を、神様の救いの御業を、人間の合理的な説明というあり方で、無かったことにしたのです。

6.無かったことに出来るのか
 歴史というものは難しいものです。その場にいた当事者であっても、立場が違えば、同じことが違って見える、違って解釈されるということはしばしば起こります。この場合だと、この番兵たちと婦人たちは同じ所に居合わせたのですけれど、全く違った理解へと導かれることになりました。確かに歴史というものには、そのような側面があります。歴史解釈において隣国同士が食い違うというのは、どこの国でも起きることです。自国の歴史だって、その時代の思想や価値観によって、大きく評価が変わるものです。
 しかし、ここで問題にしなければならないことは、「イエス様の復活は無かったことに出来るのか。無かったことにして良いのか。」ということです。イエス様の十字架という事実を否定する人はいません。しかし、復活については、色んな人がいます。しかし、この復活という出来事は神様の御業です。神様の救いの御業です。この神様の御業さえも、私共が「無かったことにする」ならば、「無いこと」になってしまうものなのでしょうか。それは、人間の傲慢の最たるものと言うべきでしょう。私共の神様が天地の造り主なる神様であるということは、このお方は「私共が認めようと認めまいと」神様であられるということです。そして、イエス様が神の御子であるということは、「私共が認めようと認めまいと」神の御子であられるということです。そして、イエス様の復活という出来事も、私共がたとえ「無かったことにしよう。」と決めたとしても、無かったことになど決してならない、そういう出来事なのです。良いですか皆さん。神様は、私共が認めようと認めまいと神であられ、神様の救いの御業というものは、私共が認めようと認めまいと私共に差し出されているのです。神様そして神様の御業というものは、私共の頭の中にある観念などではありません。そんなつまらないものならば、私共を本当に救うことなど出来はしません。私共の罪や私共の嘆きは、具体的で、実体を持ったものだからです。イエス様の復活を無かったことにして、弟子たちが遺体を盗んだことにするということは、イエス様をただの人間、つまり「死んだらオシマイ」の世界の者にしてしまうことです。ここでは、神無き世界と神の御業が激しく対立しています。私共は神無き世界に生きるのか、神様の救いに与り、神様と共に生きるのか、どっちなのかと問われるのです。

7.実証されるイエス様の十字架と復活
そうは言っても、結局のところ、イエス様の復活という出来事は、復活されたイエス様に出会わなければ信じることは出来ないではないか、と言われればその通りなのです。しかし、イエス様の復活という出来事は、復活のイエス様に出会った者たちによって実証されていくのです。この実証ということが大切です。頭の中の観念の話ではありません。実際に証しされていくのです。そして、イエス様の復活の出来事は、この二千年の間、実証され続けて来たのです。
 その為に最初に立てられたのが11人の弟子たちでした。彼らは、十字架に架かって死んで三日目に復活されたイエス様こそ、神の御子であり、神そのものであると宣べ伝えました。この方を信じるならば救われると宣べ伝えました。その歩みについては、使徒言行録に記されています。彼らは、イエス様が復活された、それ故自分たちも死んで終わるのではないということを宣べ伝えました。あのイエス様が捕らえられた時には逃げてしまった弟子たちが、イエス様の復活を宣べ伝えるようになってからというもの、自らの命さえも惜しまずにこのことを語り続けたのです。自分たちで死体を盗んでおいて、イエス様の復活を伝えるために命を捨てる者がいるでしょうか。
 代表的な箇所を見てみましょう。使徒言行録3章以下です。ペトロとヨハネは「美しい門」のそばで物乞いをしていた足の不自由な人に、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエスの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言って立ち上がらせました。そして彼らは神殿で説教し、イエス様の復活を告げ、「わたしたちは、このことの証人です。」と語りました。そして、多くの人が信じました。その結果、彼らは祭司長たちによって牢に入れられます。そして、「今後あの名によってだれにも話すな。」と脅されました。しかし、ペトロとヨハネは、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。」と堂々と告げるのです。これが福音書に記されていたペトロやヨハネと同一人物かと思うほどです。この弟子たちの変化こそが、イエス様の復活によって起きたことなのです。そして、11人の弟子の多くは殉教したと伝えられています。イエス様の復活の事実は、この復活のイエス様に出会った弟子たちの言葉と歩みと存在によって、実証されてきたのです。
 では、「弟子たちに盗まれた」と主張し、イエス様の復活を無いことにした人々は、どうでしょうか。彼らもまた、それを実証してきました。それは「死んだらオシマイ」、だから正しく生きることよりも、楽しく生きたら良い。神様に反する嘘をついてでも、お金を手に入れた方が良い。そういう人生を歩むことによって、復活は無いことにした人々もまた、神無き世界に生きるとはどういうことなのかを実証してきたのです。イエス様の復活という出来事は、それを信じるか信じないか、それによって私共の生き方が変わってしまうものです。それは、「死んでオシマイ」という世界で生きるのか、「死んでもオシマイにならない」という世界に生きるのかということです。

8.キリストの教会:イエス様の復活を実証する者の群れ
 復活のイエス様との出会い、イエス様を我が主、我が神と信じて生きる者は、教会という交わりを形作っていきました。それは最初からです。イエス様の弟子たち11人の存在、その交わりが教会でした。そして、彼らがイエス様の救いを宣べ伝えていく中で、それを受け入れ信じる者たちの群れが、そこここに出来ました。そして彼らは、イエス様が復活された週の初めの日(つまり日曜日ですが)、この日に父と子と聖霊なる神様を拝む礼拝を捧げました。その礼拝のただ中に、復活されたイエス様が天から聖霊を注いでくださり、神様の言葉を与え、イエス様の復活の喜びに与らせ、そのイエス様がここにおられることを教え続けてくださいました。そして、イエス様の福音は広がり続けて、この富山に及び、私共の教会が建ちました。この富山にまで、自分の命を賭けて福音を伝える者がいたからです。宣教師トマス・ウィンです。あれから139年、今年で140年になります。私共の教会はこの間ずっと、主の日の礼拝を守り続けて来ました。そして、聖霊なる神様は人々を招き続け、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と促し続けてくださいました。私共も、信じる者として召し出された。それは、イエス様の復活を実証する者として歩むように召し出されているということです。新しい一週、この神様の召しにお応えする者として、しっかり歩んでまいりたいと心から願うのです。

祈ります。

 恵みに満ちたもう全能の父なる神様。
あなた様は今朝、イエス様が復活された日にイエス様の復活を無かったことにしようとした人々の姿を通して、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と促してくださいました。ありがとうございます。あなた様は神様であられますから、私共よりも正しく、その存在も為されることも、私共の理解をはるかに超えておられます。そのあなた様が私共を愛し、愛する独り子を与え、「わたしと共に生きなさい。」と招いてくださいます。ありがとうございます。どうか、あなた様の子・僕として、ここから始まる新しい一週間も、あなた様と共に、あなた様の平安の中を歩ませてください。
 この祈りを私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

[2021年4月11日]