日本キリスト教団 富山鹿島町教会ホームページ|礼拝説教

礼拝説教

「キリスト者の挨拶」
詩編 122編6~9節
ローマの信徒への手紙 16章1~16節

小堀康彦 牧師

1.はじめに
 共々にローマの信徒への手紙を読み進めてきて、最後の16章に入りました。今朝与えられました1~16節には、たくさんの人たちの名前が記されています。みんなローマの教会にいた人たちです。パウロは一人一人の名前を挙げて「この人によろしく」と記しています。ここに記されている名前は、パウロとローマの教会の人たちにとっては意味があったかもしれないけれど、私共にはあまり意味がないように思う方もおられるでしょう。あまり興味が湧かない、ここは読み飛ばしていく、そのように扱われている箇所かもしれません。確かに、この箇所を自分の愛唱聖句にしているという人はいないでしょう。しかし、ここには当時のキリストの教会の様子が浮かび上がってくる、そしてキリストの教会とは具体的にどういうものなのか、そのことを示すとても貴重な箇所なのです。今日は一人一人について話すことは出来ませんけれど、この中の何人かに注目しながら、御言葉から示されることを共に分かち合いたいと思います。

2.労苦を共にする多くの者と共に
 ここで示される第一のことは、「パウロは労苦を共にする多くの者と共にあった」ということです。パウロは一人で伝道したわけではありません。パウロは伝道者集団を作って伝道してきました。このことは使徒言行録や幾つものパウロの手紙を読めば明らかです。しかしパウロは、伝道者集団を形作っていた同労者たちや伝道者たちと労苦を共にしていただけではありません。ここに名前が記されている人たちは、ほとんどが信徒でした。その信徒たちは主のために大変な苦労をし、労苦を厭わずに主の御業に仕えていました。これはとても大切な点です。6節「あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。」とあり、7節「わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。」とあり、12節「主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。」とあります。彼らがどういう状況の中で苦労したのか、具体的なことは分かりませんけれど、「主のために苦労している」というのですから、伝道のため或いは主の愛の業を為すために苦労していたということでしょう。パウロは、そのような「主のために苦労している」人と共に歩んでいました。それは、「パウロが」というよりも、「ローマの教会が」がそのような人たちと共に歩んでいたし、パウロもその人たちと共に歩んでいたということです。ここに名前が挙げられているだけで28名になります。これはパウロが知っている人の名前ですから、このような人が実際にはもっといたでしょう。ローマの教会は、当時それほど大きな群れであったとは考えにくいので、これは中々の数だと思います。ローマのキリストの教会は、主のために労苦することを厭わない者たちの群れだった。伝道者だけではなく、信徒もみんな、主のために労苦することを厭わず、主の御業に仕えることを喜びとし、それを誇りする者たちだったということです。そして彼らは、パウロとも知り合いであり、繋がっていたということです。ここに、生まれたばかりのキリストの教会に漲っていた力と言うべきものが、はっきり示されています。キリストの教会では伝道者も信徒も一つになって、イエス様に救われた者として歩んでいたし、歩み続けてきた。それは、私共もそういう群れだということです。
昨日、富山地区の長老・幹事・役員研修会が開かれました。色々なことをとても考えさせられる講演でした。教会がどう変われるのかということへの挑戦を受けたようにも思いました。その中で「教会には信仰から現れ出る新しい価値観があるはずです。キリストの十字架にある神の義と神の赦しが、その源です。赦しなき正しさでもなく、義のない愛でもない。ご誠実を尽くされる神の美しいなさりようが、私たちの新しい価値観とその生き方を形作っていくのだと思います。教会には世とは違う価値観が満ちている!…と思わせる何かが漲るとよいなと思います。」という話がありました。「新しい価値観」、それは「新しい命」と言っても良いでしょう。まさに、ローマの教会に漲っていたのは、イエス様の十字架と復活によって新しくされた命でした。そして、その命は私共にも漲っているはずのものです。そしてそれは、「この世の価値観」とは違っていますので、時にはぶつからざるを得ないこともあるでしょう。そこに「主のための労苦」というものが伴ってくることもあります。しかし、それを厭わない熱がキリストの教会にはあるということです。

3.プリスカとアキラ
ここで、新約聖書の他の書にも出てくる良く知られている信徒夫妻、プリスカとアキラについて見てみましょう。3節「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。」と言われています。この夫妻は、使徒言行録18章に出て来ます。1~3節を見ますと「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。」とあります。パウロが第二次伝道旅行でコリント伝道をした時に、パウロはこの夫妻の家に住まわせてもらって一緒に伝道しました。この夫妻がコリントに来たのは、ローマ皇帝クラウディウスがユダヤ人をローマから追放するということがあったからです。彼らはローマにいられなくなってコリントに来たわけですが、追放されても意気消沈することなく、たどり着いたコリントの町でも伝道する。伝道者パウロが来れば、これを支える。そして、彼らはパウロがエフェソに行くと、自分たちも一緒にエフェソに行き、そこでも一緒に伝道しました(使徒言行録18章18節)。パウロはそこからアンティオキアに戻りましたけれど、この夫妻はエフェソに留まり伝道します。
 使徒言行録18章にはこんなエピソードが記されています。エフェソにアポロという伝道者が来てイエス様のことを熱心に教えていたのですが、彼は「ヨハネの洗礼」しか知らなかったんですね。「ヨハネの洗礼」というのは悔い改めの洗礼です。イエス様の洗礼は、罪の赦しの洗礼であり、神の子としていただく洗礼、イエス様と一つに結ばれる洗礼です。そこで、プリスキラとアキラは自分の家にアポロを招いて、もっと正確に神の道を説明します。イエス様こそが救い主であること、ただ信仰によって救われること、またイエス様の洗礼も聖餐も教えたでしょう。しかも、アポロがアカイア州に渡りたいと言うと、アポロを歓迎してくれるようにと、彼の地のキリスト者に手紙を書きます。多分、それはコリントの教会宛に書かれたのではないかと思います。そして、アポロはその雄弁の賜物を用いて、イエス様がメシアであることを証しし、ユダヤ人たちを説き伏せた、と使徒言行録18章24節以下に記してあります。このアポロが、コリントの信徒への手紙一の有名な御言葉 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(3章6節)で言われている「アポロ」です。どっちが伝道者なのか分からないような、凄い信徒夫婦ですね。
 そして、このローマの信徒への手紙が書かれた時には、プリスカとアキラはローマに戻っていたのでしょう。まさにパウロにとってこの夫妻は同労者、盟友とでも言うべき、心から信頼する信徒夫妻でした。更に、4節「命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。」と言われています。実際どんなことがあったのかは想像するしかないのですけれど、パウロのコリントでの伝道は1年6ヶ月に及び、最後はユダヤ人たちに命を狙われる危険な目に遭うことになってしまいました。この時のことを言っているのかもしれません。命懸けでパウロを守った。それがプリスカとアキラ夫妻でした。これが信徒なのかと思うほどですけれど、明治の日本に大きな伝道の足跡を残したヘボン宣教師も信徒でした。このような信徒が与えられ、伝道者も信徒も一つになって主の御業に仕えていく。主のための労苦も厭わない。そういう命の漲りと言うべきものが、キリストの教会には脈々と息づいているということです。

4.女性が大いに用いられていた:フェベ
 ここに現れているキリストの教会の新しい価値観の一つが「女性の地位」というものです。ここに出てくる28名の3分の1は女性です。1節の「フェベ」、3節の「プリスカ」、6節の「マリア」、12節の「トリファイナとトリフォサ」「ペルシス」、13節の「ルフォスの母」、15節の「ユリア」「ネレウスとその姉妹」、これで9人です。半分より少ないではないかと思う人もおられるでしょうけれど、当時としては、これは大変なことでした。女性にはほとんど人権が認められていない、そういう時代でした。日本でも「女子供」という言葉があります。女性は軽んじられていました。ユダヤでは女性は裁判の証人として立てないことになっていました。しかし、キリストの教会においては、女性もまた神様の御用に大いに用いられていたのです。当たり前のことですけれど、神様の御前にあっては、男も女も関係ない。主の御業に仕える者は、尊敬され、重んじられるということです。私共の教会においては、牧師も長老も執事も、女性がなれないということは全くありません。神様の御用に相応しい方なら、性別を問うことは全くありません。
 ここで具体的な一人の女性が出て来ます。1節にあります「フェベ」です。この女性は「ケンクレアイの教会の奉仕者」であったと記されています。ケンクレアイというのはコリントの近くの港町です。パウロはこの手紙をコリントで書いたと考えられています。パウロは近くのケンクレアイの教会の奉仕者であるフェベにこの手紙を託して、ローマの教会に届けてもらったと考えられています。ですから、最初にこの人の名前が挙げられているわけです。この「奉仕者」と訳されている言葉は、口語訳では「執事」と訳されておりました。この「ディアコノス」という言葉は、確かに教会の執事職を表す言葉として用いられていくことになるのですけれど、この時代はまだ「執事職」というものが確立していたわけではないという理解から、この言葉の元々の意味である「奉仕する者」、「奉仕者」と新共同訳では訳されることになりました。どちらにしても、彼女はパウロからこの手紙をローマの教会に届けるという、とても大切な役目を与えられたわけです。これは彼女が信用されていたということです。ある人は、「彼女の懐(この手紙を入れた懐のこと)に、その後のキリスト教会の信仰の筋道が委ねられた。」と言います。確かに、このローマの信徒への手紙がなかったならば、キリスト教会の信仰の筋道はこのように明確なものになり得たかどうか分かりません。当時の旅は、私共が現在しているような旅とは違います。大変な危険と隣り合わせのものでした。しかし、パウロはそれをこの女性に委ねたのです。そしてパウロは、この女性に対してローマの教会が、2節「どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。」と言っています。この女性をきちんと重んじて、必要ならば助けてあげてくださいと言っているわけです。更に、「彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。」とも言います。この援助者というのは、「ちょっと助ける」のではなくて「大いに、全面的に助ける」人のことで、経済的にも支えるという意味もあります。彼女はケンクレアイの教会で、人々に仕え、神様に仕え、そしてパウロの伝道を経済的にも支えた、そういう人だったのです。

5.社会的階層を超えた交わり
 新しい価値観の第二は、社会的な階層を超えた交わりがそこにはあったということです。私共は身分制というものを知らない社会に生きています。これはありがたいことだと思います。しかし、人類の長い歴史において、身分制がなくなったのはつい最近のことです。日本では戦後のことです。それまでは貴族がいました。また、身分制とは言いませんが、地主と小作、主人と丁稚という具合に、明らかな社会的階層というものがありました。まして、二千年前のローマです。町にはたくさんの奴隷がいました。名前だけで何処まで言えるのかと思う方もおられるかと思いますけれど、8節の「アンプリアト」というのは奴隷の名前だそうです。また、12節の「ペルシス」という名前も「ペルシャの女」という意味ですので、奴隷の名前だろうと言われています。一方、11節の「わたしの同胞ヘロディオン」というのは、ユダヤ人のヘロディオンということですから、ヘロデ王の一族の者と考えられています。プリスカとアキラはテント作りの職人ですし、フェベは裕福な家の女性であったと考えられます。つまり、この名前を見ているだけで、奴隷もいれば王族の者もいる、職人もいれば裕福な人もいる。そういう交わりであったということです。現代の私共にとっては当たり前のように思うかもしれませんが、これは社会がそうだからとか、時代がそうだからということではなくて、イエス様の福音によってもたらされた新しい命、新しい価値観によって、このような新しい交わりが形作られたということです。
 キリストの教会の姿は、神の国の写し絵です。そして、この世界は神の国に向かって歩んでいるのですから、キリストの教会はこの世界のあるべき姿、この世界が「こうありたい」「こうなったら良いな」という憧れをもって見る、そういう存在なのです。勿論、教会は神の国そのものではありませんから、様々な問題も課題もあります。しかし、それでもこの世界の模範となる、手本となる、そういう交わりなのです。キリストの前に一切の社会的な立場は意味がなくなり、ただ罪赦された罪人として立つ。そして、神様の愛を受けたキリスト者が、互いにキリストにあって結ばれ、神の愛の交わりが立ち顕れてくる。この世界にあって軽んじられ無視されるような者であっても、キリストの教会においてはそうではない。一人一人がイエス様の尊い血潮によって贖われた者、神様が愛して止まない者として重んじられるということです。逆も同じです。この世界で重んじられている人であっても、キリストの教会においては、神と人とに仕える者でしかありません。

6.家の教会
さて、ここでもう一つ、当時のローマの教会のあり方として、いわゆる「家の教会」と呼ばれるようなあり方があったことが分かります。私共は教会といえば、礼拝堂があって、そこに主の日に皆が集まって礼拝をする、そうイメージを持っています。しかし、当時のローマの教会には、礼拝堂はまだありませんでした。ではどうやって礼拝していたのかと言いますと、信徒の家に集まって礼拝していました。それが「家の教会」と呼ばれるものです。
 5節を見ますと、「また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。」とあります。彼らというのは「プリスカとアキラ」です。プリスカとアキラは、コリントでもそうでしたし、行くところ行くところで自分の家を開放して礼拝や伝道に用いていたということです。10節には「アリストブロ家の人々によろしく。」とあり、11節には「ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。」とあります。これは、アリストブロ家やナルキソ家の家族そして使用人や奴隷とも理解出来ますが、その家に集まっていたキリスト者たちとも理解出来ます。さらに14~15節に「アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。」とありますのは、二つの家の教会を指している、或いは、ここに名前が挙げられている人たちがそれぞれ家の教会のリーダーだったと考える人もいます。一つ一つの「家の教会」は、それほど大きな群れではなかったでしょうけれど、ここにも当時のローマの教会の伝道への漲る思いが表れています。私は、この家の教会を家庭集会のように理解しても良いだろうと思います。それぞれの家に集う群れにおいて、信徒の交わりがしっかりと形作られていった様子を見ることが出来るでしょう。

7.よろしく
最後に、パウロはここで「よろしく」と17回も記しています。挨拶ですから「よろしく」と訳すしかないのですが、直訳すると「挨拶しなさい」となります。これでは日本語になりませんので「よろしく」で良いのですけれど、その意味するところ、この挨拶をするパウロの心はどのようなものだったのでしょうか。何しろ17回も記しているのですから、その思いがあるはずです。それは、最後の16節を見ると分かります。「あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。」とパウロは言うわけです。パウロの意図する「よろしく」「挨拶しなさい」という言葉は、「聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい」という意味であることが分かります。これは礼拝の中で行われる「平和の挨拶」と呼ばれるものを連想させます。平和の挨拶は、日本では「主の平和。」と言ってお辞儀や握手をする。ローマでは挨拶の口づけだったのでしょう。ヘブライ人であったパウロにとって、挨拶と言えばこの平和の挨拶、「シャローム」でした。ヘブライ人の挨拶は、朝も昼も夜も「シャローム」です。これは「平和があるように」「平安あれ」と訳せる挨拶の言葉です。パウロは、28人の名前を挙げながら、一人一人に「平和があるように」という思いを、「よろしく」という挨拶の言葉に託したのでしょう。そして、パウロはローマの教会の人たちに、16節b「キリストのすべての教会が、あなたがたによろしくと言っています。」と告げました。これがキリスト者が交わす挨拶です。教会の玄関で、主の日の朝、私共はお互いに「おはようございます」と言っていますけれど、その心は「シャローム」です。帰る時も「さようなら」と言いますけれど、それは「平和がありますように」「主の平和」「また来週会いましょう」という思いをもって挨拶をしている。これが私共キリスト者の挨拶の心と言うべきものなのです。

 お祈りします。

 主イエス・キリストの父なる神様。
今朝、あなた様は御言葉を通して、キリストの教会がこの世界のただ中にあって、神の国を指し示す特別な存在であることを示されました。あなた様の憐れみによって、新しい命に生きる者としていただいた私共です。どうか、主のために労苦することを厭わず、あなた様の愛と恵みと真実とを証しする者として、私共一人一人を用いてください。この教会の交わりが御国を指し示すことが出来るように、どうぞ清めてください。あなた様の命に漲らせてください。互いに平和の挨拶を交わしつつ、この新しい一週間も共に御国への歩みを確かに為していくことが出来ますように。
 この祈りを、私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

[2023年2月12日]