日本キリスト教団 富山鹿島町教会ホームページ|礼拝説教

礼拝説教

「死んで葬られ」
サムエル記 上 2章4~8節
ルカによる福音書 23章44~56節

小堀康彦 牧師

1.はじめに
 今日から受難週に入ります。週報にありますように、火・水・木と三日間、昼と夜に受難週祈祷会を行います。zoomで繋いで自宅からも参加出来るようにしますので、皆さん奮ってご参加ください。共にイエス様の救いの御業を心に刻んで、祈りを合わせ、来週の主の日のイースターを喜び迎えたいと思います。
 今朝与えられております御言葉は、イエス様が十字架の上で息を引き取られた時のこと、そしてイエス様の遺体が墓に葬られた時のことが記されています。イエス様は十字架の上で死なれました。金曜日の午後3時のことです。日没からは安息日である土曜日に入りますので、それまでの間にイエス様の遺体を引き取って、墓に運んで、埋葬が行われました。慌ただしい葬りでした。聖書は、このイエス様の十字架の上での死と葬られたことの証人として、多くの人たちを挙げています。それは、このイエス様の死が本当のことであったということを示しています。本当に十字架の上で死なれた方が、三日目に復活された。あり得ないことが起きました。そして、この出来事によって私共の永遠の命の救いへの道が開かれました。この出来事によって私共は神様との交わりを与えられ、このように礼拝を捧げることが出来るようになりました。すべてはこのイエス様の御業があればこそです。

2.全地は暗く
 イエス様が十字架に架けられたのは、マルコによる福音書によれば、朝の9時でした。それから3時間後、昼の12時頃から午後の3時まで、全地は暗くなったと聖書は告げています。これを皆既日食が起きたのだと理解する人もいますけれど、そのように理解しなければならないわけではありません。「全地」と言われていますから、これは単に「エルサレムが」ということでありません。すべての場所がということです。ですから、この「全地は暗くなった」というのは、物理現象という以上に、世の光である神の御子が人間に殺されるという、もっとも深い人間の罪の闇が全地を覆ったということを示している、そう受け止めて良いと思います。神の御子を殺す。それは最も明確な「神様への反抗・反逆」であり、「神様への敵対行為」です。私共は自分の罪というものを、何か「悪いことをしてしまった」程度に考えているところがあるかもしれません。確かに、私共の罪は具体的な悪事を引き起こします。しかし聖書は、「人間の罪」というものは、あれが悪い、これがダメだった、と数えることが出来る程度ものではない。もっと根本的に神様に敵対し、神様に反逆し、神様を亡き者にしようとする心根が人間にはあり、それを罪と言っています。要するに、人は「自分が一番」「自分が正しい」そう思い込んでいるということです。しかし、一番は神様であり、正しいのは神様だけです。全地が暗くなったというのは、地球上にいるすべての人間は、このイエス様を十字架に架けて殺したという罪から、誰も言い逃れることは出来ないということを示しています。
 勿論、この全地を覆う暗さは、人間の罪が引き起こす戦争や紛争、またそれによって生じる多くの難民たちの現実。或いは、職場や家庭の中でのいざこざ。それによって生じる苦しい人間関係。そのような私共が直面している困難な現実をも指していると受け止めて良いでしょう。

3.神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた
 しかし、この人間の罪が極限に達した時、最も闇が深まった時に、誰も予想もしていなかったことが起きます。それが「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」という出来事です。この「神殿の垂れ幕」というのは、神殿の中で最も神聖なところである聖所の中でも更に神聖な、神様が御臨在される至聖所を隔てる垂れ幕のことです。当時のエルサレム神殿は、ぐるりと異邦人の庭が囲んでおり、その内側に婦人の庭があり、更に内側に犠牲を捧げる祭壇がありました。そして、その奥に聖所がありました。この聖所には祭司以外の者が入ることは出来ません。そして更に、その聖所の奥に大祭司だけが年に一度だけ入ることが出来る至聖所がありました。この至聖所と祭司が入れる所とを隔てる幕、これが「神殿の垂れ幕」です。これが真ん中から裂けたのです。神様と人間とを隔てているもの、神様と人間との交わりを阻害しているもの。それが罪です。この時、神様と人間とを隔てていた幕が裂けたということは、神様と人間との交わりを阻害していた罪が滅ぼされ、神様と人間の交わりが回復される道が開かれたということです。これこそが、イエス様の十字架によって私共に与えられた救いです。これによって私共の罪は赦され、神様に向かって「父よ」と呼ぶことが出来るようになりました。

4.父よ、わたしの霊を御手にゆだねます
 そして、この時イエス様は「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と大声で叫ばれました。この「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」という言葉は、死ぬ直前に力なくぶつぶつと、あえぐように消え入りそうな小声で言われたようなイメージを何となく持っている人が多いのではないかと思います。しかし、聖書はここではっきりと、「イエスは大声で叫ばれた。」と記しています。「叫ぶ」のは大声に決まっていますから、それを「大声で叫ばれた」とわざわざ記しているのは、この時のイエス様の声が本当に大きかったということを言いたいのでしょう。この言葉は、イエス様が「御自分の死を覚悟して、最後に言われた言葉」です。しかし、イエス様はここで、私共が死を迎える時の模範を示されたわけではありません。ですから、自分も死ぬ時には「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と言って死んでいこう、そんな風に考えることはありません。イエス様はこの時、御自分の死とだけ向き合われていたのではないからです。イエス様この時、神様の裁きとしての死、つまり罪人である私共のすべての死を担って、神様に叫ばれたのです。このイエス様の言葉は父なる神様に対しての叫びであり、私共罪人に対しての執り成しでした。つまりイエス様は、「わたしは死にます。あなたに敵対するすべての罪人の裁きをわたしが引き受けます。わたしの霊は、父よ、あなたの御手の中に納められます。これがあなたの御心なのですね。御心を為してください。すべての罪人を救ってください。あなたの御心にすべてをゆだねます。」と、父なる神様に向かって最後の叫びを大声で叫ばれたのです。
 聖書は、暗くなった全地が再び明るくなったのが何時かは記していません。しかし、このイエス様の叫びが神様の御元に届くと共に、そしてイエス様が息を引き取られると同時に、全地は明るくなったと私は思います。このイエス様の死によって、イエス様の執り成しによって、一切の罪が敗北し、神様が勝利されたからです。罪の闇は退けられたからです。その勝利が明らかに示されるのは、三日後の復活の出来事によってです。しかし、この十字架の死もまた、勝利なのです。イエス様は十字架の上で死なれました。しかし、勝利されたのです。罪に対して、悪に対して、死に対して、勝利されました。

5.イエス様の十字架によって生じた信仰告白と悔い改め
 このイエス様の十字架上の死は、信仰なき者の目から見れば、神様を知らない者の目から見れば、敗北であり、悲惨で、無惨な死でしかありません。しかし、聖書はこれこそが「神の勝利であった」と告げています。どうして、そう言えるでしょうか。それは、この十字架を見ていた者の中に「悔い改め」と「信仰告白」と神様への「賛美」が生まれたからです。「悔い改め」「信仰告白」「神賛美」、これは神様が罪を打ち破られた時に起きる出来事です。これらの出来事は、私共が罪の奴隷である時に生まれることはありません。
 さて、ここで「信仰告白」を言い表したのは、百人隊長でした。彼はローマ兵ですから、ユダヤ人ではありません。ローマ人です。彼はこの十字架の処刑に責任を持たされた人でした。彼は職務上、イエス様が鞭打たれるところから、十字架を担いで歩くところから、ゴルゴタに着いて十字架に架けられるところまで。そして、十字架に架けられてからのイエス様の祈り「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」、そして他の二人の十字架に架けられた囚人との会話、特に「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」との救いの宣言、そして最後の叫び「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」これらのすべてを彼はつぶさに見聞きしていました。最初から最後まで、間近でイエス様を見続けていたのは、彼だけだったのではないでしょうか。そしてその結果、百人隊長は「本当に、この人は正しい人だった。」と言ったのです。彼が言った「正しい人」というのは、単に十字架に架けられるような罪を犯していない人という意味ではありません。「神様の御前に正しい人」という意味です。彼は「『本当に、この人は正しい人だった。』と言って、神を賛美した。」と聖書は告げます。神様は素晴らしい。何と偉大な方か。神様こそほめたたえられるベきお方だ。あなたの素晴らしさは確かにこの人に現れた。ここに神様の御心が、神様の愛が、神様の真実が現れた。そう彼は告白した。それが「本当に、この人は正しい人だった。」と言って神様を賛美したということです。神様を知らない異邦人である彼が、イエス様を正しい人として神様を賛美した。彼は変えられました。イエス様の十字架が勝利したました。  「悔い改め」た者は、イエス様の十字架を見物していた人たちです。イエス様の十字架はさらし者とされることでしたから、大勢の人が見物に来ていました。イエス様の十字架を見物していた人のすべてが、そうであったかは分かりません。彼らは十字架に架けられたイエス様を、「ユダヤ人の王なら、そこから降りてみろ。自分を救ってみろ。」と言ってののしり、あざけった人たちでした。ほとんどの人は、一時間も見物すれば帰って行ったでしょう。しかし、イエス様が息を引き取るまで、十字架を見ていた見物人がいたのです。彼らはその場から離れられなくなってしまったのではないでしょうか。そして、十字架の上でイエス様が息を引き取るのを見て、「胸を打ちながら帰って行った。」のです。「胸を打つ」というのは、当時の人の「悔い改め」た時の所作です。つまり、彼らは自分のしたことを悔いた。何ということをしてしまったのかと悔いたのです。そして、家路に就いた。
 イエス様の十字架を見ていた人たちの中に、悔い改めと信仰告白・神賛美に導かれた人が生まれたのです。これこそ、イエス様の十字架の勝利を物語っています。イエス様の十字架の前に立つ者は、自らの罪を知らされ、悔い改め、神様をほめたたえる者に変えられます。私共もそうです。

6.アリマタヤのヨセフ
 さて、イエス様が息を引き取ったのは午後の3時でした。今日のエルサレムの日没の時刻は午後6時58分です。インターネットで「今日のエルサレムの日没時刻」と検索すると、すぐに出て来ます。この日没までにイエス様の遺体を墓に納めなければなりません。日没と共に安息日が始まり、何も出来なくなってしまうからです。
 この時、一人の人が現れました。アリマタヤ出身のヨセフという人です。彼は、新共同訳では最高法院と訳されております、ユダヤの自治組織の会議「サンヘドリン」の議員でした。イエス様は、ピラトによって十字架刑に決められる前に、このサンヘドリンで死刑を宣告されました。それからイエス様は総督ピラトのもとに連れていかれ、十字架に架けられることが決まりました。このアリマタヤのヨセフという人は、この時のサンヘドリンでの決議には賛成しませんでした。彼はイエス様のことを知っていましたし、或いは会って話したこともあったかもしれません。彼はイエス様を信じていました。しかし、それを公にすることはありませんでした。ユダヤのサンヘドリンの議員であったということは、社会的地位もあり、富もあり、ユダヤ社会において指導的な立場にあった人です。もし、自分がイエス様を信じていることを公にすれば、彼はユダヤ社会において社会的に抹殺されてしまったでしょう。ですから、今まで黙っていた。ところが、イエス様の十字架を見て、彼も変えられました。もう黙っていられない。彼はピラトに、イエス様の遺体を引き取りたいと申し出たのです。十字架に架けられた者の遺体を引き取る。それは家族でなければ、よっぽど親しい人です。ここで彼は、自分がイエス様の弟子であることを明らかにしてしまいました。彼は自分の墓を、イエス様の遺体を納めるために使いました。このことはマタイによる福音書に記されています。その後、彼がどうなったのか。聖書は記していませんのではっきりしたことは分かりません。しかし、これほど明確に名前が記されており、そのイエス様の遺体を納めた墓がイエス様が復活された場になったわけですから、彼が初代教会において十二弟子たちと共に信仰の歩みを為した、と想像することは許されるでしょう。

7.主イエスの埋葬
 イエス様の遺体は、十字架から降ろされ、アリマタヤのヨセフの墓に葬られました。この時、イエス様の遺体は亜麻布に包まれて葬られました。これは当時の葬りの仕方としては、粗雑と言いますか、少なくとも普通に行われていた葬り方に比べて粗末な仕方でした。時間がなかったからです。当時の普通の葬り方は、家族と友人たちが死人の体を洗い、香油を塗り、没薬と香料を混ぜたものといっしょに亜麻布で巻きました。そして、近所の人や友人がやって来て,悲しみの言葉を告げ,遺族を慰め、岩をくり抜いて造った横穴の墓の中に納める。しかし、イエス様の場合は、そのようなことをしている時間がありませんでした。アリマタヤのヨセフがピラトに遺体の引き取りを申し出て、それが聞き入れられてピラトの許可が出るのにも小一時間はかかったでしょう。アリマタヤのヨセフがサンヘドリンの議員でなかったら、そもそもピラトに願い出ても取り次いでもらえたかどうかも分かりません。イエス様の遺体を十字架から降ろしても、丁寧に洗ったり、香油を塗ったりする時間はありませんでした。とにかく、亜麻布にくるんで墓まで運ぶ。アリマタヤのヨセフ自身がイエス様の遺体を運んだのではないでしょう。彼の召使いか奴隷が運んだのでしょう。そして、遺体を墓に納める。それが精一杯だったのだろうと思います。

8.婦人たち
 そのイエス様の遺体が降ろされ、墓に納められるまでを、ずっと見ていた人がいました。イエス様の女性の弟子たちです。彼女たちは、「遠くに立って、これらのことを見ていた。」と記されています。彼女たちはガリラヤからイエス様に従ってエルサレムまで来た人たちです。24章にはこの女性たちの名前も記されています。「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」です。十二弟子たちは逃げてしまいましたので、イエス様の十字架の場面には出て来ていません。しかし、女性の弟子たちは遠くからですけれど、イエス様の十字架を見ていました。どうして、彼女たちは「遠くから見ていた」のでしょう。私はとても単純な理由だったと思います。自分の愛する者が、十字架の上で苦しみながら死んでいく姿を、間近で見たい人がいるでしょうか。目をそむけて、とても見ていられるものではありません。でも、見ないでもいられない。そこから離れることも出来ない。だから、遠くから見ていた。イエス様が十字架に架けられている間中、朝の9時から午後の3時まで、彼女たちはそこから離れることはありませんでした。そして、息を引き取った後も、そこから離れることが出来なかった。しばらくすると、イエス様の遺体が降ろされました。そして、亜麻布に包まれて運ばれて行くではありませんか。私のイエス様をどこに運ぶというのか。彼女たちは、運ばれていくイエス様の後を追いました。そして、イエス様が確かに墓に納められるのを見届けた。
 それから、彼女たちは家に帰りました。そして、「香料と香油を準備」しました。理由ははっきりしています。イエス様の遺体に香油と香料を塗り、きれいに亜麻布で包んで、せめて人並みの葬りをしたかったからです。彼女たちは、イエス様が復活することを信じていたわけではありません。しかし、あのままにしておくことは出来ない。イエス様が可愛そうだ。そう思ったのでしょう。でも、もう日が暮れます。日が暮れたら安息日です。イエス様の遺体を丁寧に葬りし直すことは出来ません。安息日が明けた、週の初めの日にもう一度この墓に来よう。そう思って、彼女たちは家に戻りました。こうして彼女たちは、イエス様の死と葬りの証人となりました。そして、彼女たちが週の初めの日の明け方にイエス様の墓に行ってみると、墓の中にイエス様の遺体はなく、天使が現れてこう告げました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」こうして婦人たちは、イエス様の復活の証人にもなりました。

9.イエス様の十字架・復活の証人
この婦人たちは、イエス様を愛していました。それ故に、イエス様の十字架の死の証人となり、イエス様が葬られたことの証人となり、そしてイエス様の復活の証人となりました。これは何時の時代も変わりません。イエス様を愛する者は、イエス様の十字架の死と復活の証人として立てられます。私共もそうです。イエス様を信じる、信頼するとは、イエス様を愛することです。このイエス様との愛の交わりに生きる者は、イエス様が私と共におられ、私を導き、私を造り変え続けてくださることを知らされます。そして、いよいよイエス様を信頼し、愛する者へと変えられていきます。
 私共は今から聖餐に与ります。イエス様が、私共と一つになってくださり、イエス様の持つ良きものすべてを私共に与えてくださることを、しっかり受け止める時です。私共の救い、私共の命、私共の喜び、私共の平和、私共の明日は、この方と共にあります。だから、大丈夫です。

 お祈りします。

 恵みと慈愛に満ちたもう、全能の父なる神様。
あなた様は今朝、御言葉を通して、私共をイエス様の十字架の前に立たせてくださいました。イエス様の十字架の前に立つ時、私共は自らの罪を知らされます。今、私共は言いわけすることなく自らの罪を認め、あなた様の赦しを求めます。どうか憐れんでください。私共を覆う罪の闇をあなた様が払ってくださり、あなた様の光の中を歩ませてください。あなた様の御心に適う者へと私共を造り変えてください。そして、イエス様が与えてくださる希望の中を歩む者としてください。
 この祈りを、私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

[2023年4月2日]