富山鹿島町教会

礼拝説教

「死にて葬られ」
ヨブ記 19章23〜27節
ルカによる福音書 23章50〜56節

小堀 康彦牧師

 主イエスは、十字架の上で息を引き取られました。午後3時のことです。この日は金曜日でしたから、当時のユダヤの一日の数え方では、日没から、安息日である土曜日に入ります。もう時間がありません。当時、十字架の上で処刑された人をきちんと墓に葬るということはありませんでした。そのままさらしものにされて、鳥や犬に食べられるままにされるのが普通でした。しかしこの時、アリマタヤ出身のヨセフという人が登場します。彼は議員の一人でした。この人は、マタイによる福音書によれば、「金持ち」で「イエスの弟子」であったと記されています。又、ヨハネによる福音書によれば、「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた」人であったとあります。つまり、このアリマタヤのヨセフという人は、金持ちで、議員の一人であり、公にはしていなかったけれど主イエスの弟子の一人であったということであります。議員の一人であったということは、主イエスが十字架にかけられることになった、あの最高法院の裁判の場にも彼はいたということです。51節を見ますと、彼は「同僚の決議や行動には同意しなかった。」とあります。しかし、ヨハネによる福音書によれば、ユダヤ人たちを恐れて主イエスの弟子であることを隠していたということですから、彼はあの場で同意はしなかったけれど反対の発言もしなかったということではなかろうかと思います。

 このようなアリマタヤのヨセフのあり方に対して、それでも主イエスの弟子なのかと責める人もいるかもしれません。しかし、これが正直な所、私共の姿なのだろうと思うのです。この時主イエスの11人の弟子たちは逃げてしまっていましたし、アリマタヤのヨセフは反対らしい反対も出来ずに主イエスの十字架にまで来てしまった。先の大戦の時も、自分は戦争など反対だったと言う人はいます。しかし、あの時代、反対だなどと公に言うことが出来た人がどれだけいたでしょうか。情けない。だらしない。もっとしっかりしろ。いろいろ言えるでしょうけれど、これが私共の実際の姿なのではないか。そう思うのであります。そして、神様はそのようなアリマタヤのヨセフにも、為すべきことを与え、御業の為に用いて下さったのです。
 彼は総督ピラトの所に行きます。そして、主イエスの遺体を引き取らせてくれるよう願い出るのです。そして、主イエスの遺体を自分の為に用意しておいた墓に葬ったのです。聖書はさらりと書いていますけれど、これは大変なことだったと私は思うのです。総督ピラトに、十字架で処刑された者の引き取りを願い出る。これは普通に考えて、最高法院の議員であるという立場でなかったら出来なかっただろうと思います。もしも、ペトロやヨハネ、あるいはマグダラのマリアなどが申し出たとしても、そもそも総督に会うということさえ出来なかっただろうと思います。彼はこの申し出によって、今まで隠していた主イエスの弟子であるということを公にしたのです。しかも、主イエスの遺体に触れることにより、汚れた者として過越の祭りに参加することが出来なくなったのです。それは当時のユダヤにおいて、地位も名誉もある彼にとっては大変なことであったと思うのです。彼は主イエスの十字架を見て、自分が主イエスの弟子であるということを、もう隠しておくことが出来なかったのでしょう。もうみんなに分かっても良い。この方の為に出来ることは何でもしたい。そう思ったのだと思うのです。そして、自分の為の墓を主イエスの為に献げたのです。主イエスが死んでしまった後で、もう彼に出来ることはこれだけでした。どうせなら、主イエスが生きている内に、主イエスの弟子であることを公にすれば良かったのに。どうせなら、主イエスが生きている時に、墓でなくても、金持ちだったのだから多くの物をささげれば良かったのに。そういう考えもあるでしょう。しかし、このアリマタヤのヨセフのように、私共はしばしば後になって気が付くのではないでしょうか。ああしてあげれば良かった。こうすれば良かった。済んでしまってからのことで、後の祭りになってしまうことが多いのです。後悔先に立たずです。しかし、良いですか皆さん。主イエスに対しては、もう手遅れだ、もう遅い、そんなことはないのです。このアリマタヤのヨセフの主イエスに対しての信仰が公にされる、墓という主イエスへの献げ物がささげられる。それは全て主イエスが死んだ後でした。しかし、それは少しも手遅れではなかったのです。主イエスは、神様は、このアリマタヤのヨセフの信仰を受け取り、献げ物を受け取り、これを用いて、主イエスの栄光の復活の場として下さったのです。主イエスへの信仰、主イエスへの献げ物に、遅すぎるということはないのです。

 私の前任地で洗礼を受けられた方の中にこういう方がおられました。息子が統一原理に入ってしまい、ご夫婦で救出に励まれました。何年かかかりましたが、息子は無事に救出されました。夫人はそれがきっかけで教会に来られるようになり、洗礼を受けられました。私が赴任して最初の受洗者でした。まだ私は伝道師で、京都から牧師に来ていただいての洗礼式でした。しかしその方は9年後に亡くなられました。葬式は私が司式しました。そして、その次の週からその方のご主人が礼拝に来られるようになって、洗礼を受けられたのです。今は、前任地の教会の長老をされています。この方は、夫人に勧められても礼拝に来られることはありませんでしたし、夫人に求められて家に伺って一緒に聖書を読む機会も持ちましたけれど、3回くらいしか続きませんでした。夫人の思いはよく分かるのですが、本人の思いが神様に向いていないのですから仕方がありませんでした。しかし、夫人が亡くなってから、突然、毎週礼拝に来られるようになり、洗礼を受けることになりました。どうせなら、夫人が生きている間に教会に来れば良かったのに。夫人が生きている間に、一緒に礼拝を守り、洗礼を受ければ良かったのに。人間の思いとしては、そういうことがあるのかもしれません。しかし、そんなことはないのです。遅すぎた。手遅れだ。そんなことは決してないのです。何故なら、復活があるからです。私共の命がこの地上の死で全てが終わるのなら、死んでしまえば全てが手遅れということになるのでしょう。しかし、主イエスは十字架で死んで三日目によみがえられた。復活した。そのことによって、アリマタヤのヨセフの信仰、献げ物を受け取り用いたように、このご主人も神の国において奥さんと再び会うことが出来るのです。私共はまことに鈍く、後の祭りということがしょっちゅうです。しかし、こと信仰においては、遅すぎるということはないのです。復活があるからです。
 このアリマタヤのヨセフに関しては、後にイギリスへの伝道をしたと伝えられています。イギリスに最初にキリスト教をもたらした聖人とされています。ブラストンベリーにある古いキリスト教会の遺跡は、このヨセフによって建てられたと言われています。後に、アーサー王物語の聖杯伝説、主イエスの十字架の血を受けた杯は彼がもたらしたことになっています。これは伝説でしょうけれど、彼がこの後、キリストの弟子として、復活の証人として立っていったということは間違いないのではないかと思うのです。

 アリマタヤのヨセフは、安息日が始まる日没までの間に、ピラトの所に行き、主イエスの遺体を受け取る許可を受け、主イエスの遺体を十字架から降ろし、亜麻布で包み、墓まで運び、納めました。実にあわただしかったと思います。主イエスに従って来ていた婦人たちは、主イエスの遺体が墓に納められるのを後ろからついて行って見届けます。ここが主イエスの遺体が納められた墓だと確認して、それから家に戻り、香料と香油の準備をしました。日没前に香料と香油を手に入れておかなければ、安息日が始まってからでは、もうどの店も開いていなかったからです。きっと、安息日が終わったら改めて主イエスの墓に行き、当時の葬りの習慣に従って、せめて人並みの葬りをしたいと願ったのでしょう。あわただしく時間が過ぎ、夜が来て、安息日が始まりました。土曜日の日没まで安息日は続きます。主イエスの弟子たちも、主イエスに従っていた婦人たちも、主イエスの死を悼みながら、その日を過ごしたに違いありません。
 この安息日の日、主イエスの弟子たちは何も出来ず、じっとしていたのでしょう。しかしこの時、主イエスはどうされていたのでしょうか。墓の中で死んだままだった。その通りです。しかし、私共の信仰を言い表している使徒信条においては、「死にて葬られ、陰府に下り」と告白しております。つまり、この安息日の日、人の目にはただ遺体として墓に横たえられているだけであったはずの主イエスは、霊においては陰府に下られたのであります。何の為にでしょうか。ペトロの手紙一3章19節に、「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」とあります。つまり、主イエスは既に死んで陰府に下っている者たちの所に行って、その者たちに宣教されたというのです。この主イエスの陰府下りについては、このペトロの手紙一のここにしか記されておりません。しかしこれは、私共に重大なことを示しています。
 フランシスコ・ザビエルによって日本に初めてキリスト教が伝えられた時、宣教師たちが伝道する中で必ず受けた問い、それは主イエスを知らずに死んだ自分の親や先祖たちはどうなるのかということでした。自分はイエス様を信じ、洗礼を受けて救われ、永遠の命を与えられる。それは解った。しかし、自分の親や先祖たちはどうなるのかという問いであったと言われます。これは、現代の日本においても事情はあまり変わらないのではないでしょうか。これに対して、主イエスの陰府下りは、明確な一つの答えを私共に与えていると思います。それは、死んで陰府に下った者たちの所にも、主イエスは行って宣教されたのだから、主イエスを知らずに死んだ私共の親や先祖たちも又、この地上においては主イエスを知らなかったとしても、なお悔い改めと救いの可能性は残されているということなのだろうと思うのです。主イエスを知らず、それ故悔い改めることなく死んだ者たちは神様に裁かれ滅びるなどとは、誰も言えないのであります。何の良きところもない私共をも愛し、赦し、招いて下さった主イエスが、私共が愛する者たちを捨て去られるということは考えられないことでしょう。

 十字架の金曜日と復活の日曜日。その間にはさまれた土曜日。この日の主イエスは、私共には何もしていないように見える。しかし、霊においては陰府に下っておられた。既に陰府に下った者たちに宣教しておられた。これは実に楽しいことではないでしょうか。私共は目に見えることしか分からない。主イエスの働きに対してもそうです。十字架と復活という明らかな出来事によって、私共は主イエスが誰であるか、何をして下さったかを知るのです。しかし、それが全てではないのです。私共が知らない所においても、主イエスは私共の救いの為に働いて下さっているということなのであります。何もなかったかのように見える土曜日。しかし、その日は何もなかった、何も起きなかった、そうではないのです。それはちょうど、主イエスが乙女マリアから生まれる前から、天地創造の時から主イエスは天の父なる神様と共におられ、今も天の父なる神様の右に座しておられるのと同じです。たとえ見えずとも、主イエスは生きて働き、父なる神様と共に、その救いの御業を遂行しておられるのです。
 私共の全ては、天の父なる神様とこの主イエス・キリストの御手の中にあるのです。それは、私共が生きるにしても、死んだとしても、変わることがないのです。私共は生きている間だけ、神様の御手の中にあるのではないのです。神様と主イエスの御支配は、死を超えて、変わることなく私共の上にあるのです。そのことが分かるならば、私共の親も先祖たちも愛する者達も、たとえ主イエスを知らずに死んだとしても、彼らも又、全てを支配し給う父なる神様と主イエスの御支配の中にあることに変わりはない。私共はそのことを信じて良いのです。
 今、私共の眼差しを天におられる父なる神様とその右におられる主イエスに向けて、全てを支配し給うその恵みの現実を受けとめ、心から父・子・聖霊なる神様をほめたたえたいと思います。

[2008年7月27日]

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