富山鹿島町教会

礼拝説教

「使徒言行録29章へ」
イザヤ書 40章27〜31節
使徒言行録 28章17〜31節

小堀 康彦牧師

1.聖霊なる神様のお働きの中を歩む教会
 1年半にわたって皆さんと一緒に読み続けてきました使徒言行録も、今日で最後です。この使徒言行録は、主イエスが復活され天に昇られたこと、そして弟子たちに聖霊が降ったペンテコステの出来事をもって始まりました。そして、今日の箇所、パウロがローマに着き、囚人としてではありますが、ローマにおいて主イエスの福音を宣べ伝えたという記事で終わります。私共はこの使徒言行録を1年半かけて共に読み進めてきたわけですが、この主イエスの復活・昇天そしてペンテコステという一連の出来事の時からパウロがローマに着いて御言葉を宣べ伝えるまでには、おおよそ30年の時間が流れています。主イエスが十字架にお架かりになり、復活され、天に昇られて、聖霊を弟子たちに降らせられたのが、紀元後30年。そして、パウロがローマに着いたのは紀元後61年頃と考えられています。この30年の間に、エルサレム周辺に数えるほどしかいなかった主イエスの弟子は、エルサレムからサマリア、小アジア、ギリシャ、そしてローマへと広がっていき、その数も何百倍、何千倍にも増えていきました。使徒言行録は、ペンテコステの出来事から書き始められていることからも明らかなように、この生まれたばかりのキリストの教会が、聖霊なる神様の導きと御支配の中で歩んでいったということを記しているのです。聖霊なる神様の導きと御支配の中で、主イエスの福音がどんどん広がっていく、その様子を記しているのです。
 私共は、この1年半の間、毎週ここで使徒言行録に記されております初代教会の歩みを目の当たりにしながら、いつも一つのことを聞いてきました。それは、キリストの教会は聖霊なる神様の現実的なお働きの中で歩んでいるということです。使徒言行録に記されておりました教会の歩み、伝道者の歩みは、絵に描いたような順調なものではありません。ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間での対立もありました。パウロの伝道旅行は、迫害されては次の町へ移動して福音を宣べ伝えるということの連続でした。しかし、そうであるにもかかわらず、そのような福音の前進を押しとどめようとするすべての力を打ち破って主イエスの福音は広まっていったのです。キリストの教会は次々と建てられ、キリスト者が増し加えられ続けていったのです。この神様の救いの御業を止めることは何者にも出来はしない。そのことを、使徒言行録は繰り返し繰り返し、私共に語ってきたのです。そして、その聖霊なる神様の導きと御支配は、今も変わることなく私共の上にある。そのことを私共は毎週ここで聞いてきたのです。
 この使徒言行録を読み始めてからの1年半の間に、この教会で4人の方が信仰を告白し、洗礼を受けられました。ここに福音の前進、聖霊なる神様のお働きの確かなしるしがあります。私共は、生まれたばかりのキリストの教会の上に現れた聖霊なる神様の導き、お働きを聖書から聞きながら、その同じ聖霊なる神様のお働きの中を自分たちも歩んでいることを知らされ続けてきたのです。もちろん、聖霊なる神様のお働きは、洗礼者が与えられたということだけではありません。家庭集会も増えました。求道者も与えられました。転入者も与えられました。その一つ一つは小さなささやかな前進かもしれません。しかし、聖霊なる神様のお働きを確認するには十分でしょう。そして、何よりも私共はここで毎週、主の日の礼拝を守り続けてきた。ここにおいてこそ、聖霊なる神様は、その導きと御支配とをはっきりと私共に示し続けてくださいました。主イエスが誰であり、私共が何者であり、どこに向かって歩み続けている者なのかを教え続けてくださいました。この聖霊なる神様のお働きの中で、私共は信仰を守られ、支えられ続けてきたのです。

2.まずはユダヤ人に
 さて、ローマに着いたパウロは、すぐにローマのユダヤ人の主だった人たちを招きました。パウロは囚人でありながら、自分で家を借り、番兵が一人だけつけられるという、大変な自由を与えられたのです。そうはいっても、パウロは囚人ですから、自由にローマの町を歩き回るということは出来ませんでした。しかし、自分の所に訪ねてくる人とは、自由に会うことが出来たのです。
 パウロは、ローマに着くと真っ先にローマに住むユダヤ人と会い、彼らに主イエスの福音を伝えようとしました。これは、パウロが三回の伝道旅行をした時と全く同じやり方でした。伝道旅行では、パウロは町に入ると、まずその町のユダヤ人の会堂に入って、主イエスの福音を伝えたのです。パウロにとって主イエスの福音は、ユダヤ教と矛盾するものではなかったのです。それどころか、旧約において約束されていたことが主イエスによって成就したのであって、主イエスによる救いの恵みは、他でもない、旧約以来の神の民であるユダヤ人にこそ理解され、受け入れられるべきものだったのです。ですから、パウロはローマのユダヤ人のおもだった人たちと会って、20節「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」と語り、23節「パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとした」のです。「イスラエルが希望していること」とは、旧約において約束され、預言されていた救い主・メシアが来られることであり、そのことによって完全な救いが為されるということでしょう。パウロは、それが主イエスの十字架と復活によって成就したことを知らされ、そのことを宣べ伝えてきたのです。ですから、パウロが語ることは、旧約の言葉を引用しながら、主イエスこそメシア、神の民が待ち続けた救い主であることを証明し、説き明かすことだったのです。
 結果はどうであったかと言いますと、24節「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。」ということでした。これも、今までのパウロの伝道の結果と同じでした。全員がパウロの告げることを受け入れたのでもないし、全員が拒否したのでもないのです。受け入れる人もいたし、信じようとしない人もいた、と聖書は告げます。比率は記されていませんが、今までと同じなら、信じようとしない人が圧倒的に多かったのだと思います。ユダヤ人の何人かの人が受け入れた、というのが本当のところだったのではないかと思います。

3.パウロのしつこさ、神のしつこさ
 ここでパウロは、イザヤ書の言葉を引用して、25〜26節「彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。『聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。「この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」』」と告げたのでしょう。この言葉は聞きようによっては、まるでパウロがユダヤ人たちに、「あなたたちは心が鈍く、耳は遠く、目は閉じ、神様の御業も御心も理解せず、受け入れもしない。預言者イザヤが語ったときと同じだ。何も変わっていない。」そう言ってユダヤ人たちを切り捨てて、これからは異邦人に向かって伝道するのだという最後の捨てぜりふのように聞こえかねない。しかし、私はそうではないだろうと思います。パウロは、どこまでも同胞のユダヤ人を愛し、ユダヤ人の救いを願い、信じていた人です。ローマの信徒への手紙11章25〜26節に「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。」と記しています。ユダヤ人が主イエスの福音を受け入れないので、神の救いがイスラエルから異邦人に向けられるより他なくなった。神の民イスラエルであるユダヤ人が救われ、異邦人は救われないという神の救いの構造が、ユダヤ人自身が主イエスを受け入れないことによって壊れ、打ち破られ、新しい救いのあり様として、異邦人も救われるということになった、とパウロは考えていたのです。ユダヤ人が主イエスを受け入れたなら、旧約以来の救いの構造は変わりません。しかしそれは、主イエスを送られた神様の御心ではなかったということなのです。何度も申しますが、「ユダヤ人はもう滅びれば良いのだ。」などという思いは、パウロには毛頭ないのです。ただ、神様の救いの御業の秩序の変換が主イエスによって為された。そう理解していたのです。
 旧約の預言者たち、イザヤやエレミヤといった預言者が、神の民に向かって神様の裁きを告げる時、彼らは自分の身を神の民の外に置いて、自分だけは助かるというというところから語るということはしていません。預言者は、神の裁きを受ける神の民の同胞として、心を痛め、嘆き、そして語ったのです。パウロもそうなのです。パウロはユダヤ人であり、同胞を愛しており、ユダヤ人がアブラハム以来の神の民であり特別な存在であることは、彼にとって、説明する必要がないほどに自明のことだったのです。しかし今、このユダヤ人という枠を超えて、主イエスの福音が異邦人へと伝えられていく。今はその時。けれど、やがてすべての異邦人に福音が伝えられたならば、ユダヤ人も主イエスを受け入れ、すべての者が主イエスの救いに与るようになる。そのことをパウロは信じているのです。彼は、この言葉をイザヤと同じように、心を痛めつつ、嘆きつつ語ったに違いないと思うのです。
 私共は使徒言行録を読みながら、パウロが町で伝道する時は必ずユダヤ人の会堂から始めるという姿を何度も見てきましたが、そのたびにパウロはひどい目に遭わされました。そして、その結果、パウロは囚人になってしまったのです。しかし、パウロは諦めません。同胞を愛してやまないからです。「あなたたちは頑固だ。」と言って諦めるようなことはしない。どうしてか。それはパウロ自身が頑固であり、キリスト者を迫害する者だったからです。しかし、その自分が救われた。だから、頑固である、キリスト者を迫害している、そういうことはその人が救われない理由にはならない。そのことを、彼は自分が救われたことから、骨身に染みて知っていたのです。
 私共はしばしば思うのです。「あの人は頑固だ。何を言っても主イエスを受け入れない。ダメだ。」しかし、私共はよくよく考えてみなければなりません。自分は頑固ではなかったのか。自分は神様に対してその人よりも素直だったのか。そうではないでしょう。だったら、私共はもう、そのように思うのはやめましょう。諦める前に、語りましょう。愛する者に語りましょう。「一緒に教会へ行こう。」「一緒に祈ろう。」「一緒に聖書を読もう。」断られても、しつこいと思われても語りましょう。パウロもしつこかった。どうしてか。それは、神様がしつこいからです。神様の愛はしつこいのです。だから、私共は救われたのです。神様がしつこい方でなかったら、私共は誰一人救われていないのです。パウロは、私共をどうしても救おうとされる神様の「しつこい愛」の道具とされたのです。私共もそうなのです。

4.地の果てまで
 さて、使徒言行録は、30〜31節「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」と告げて終わっています。パウロのローマにおける伝道の活躍のエピソードなどが記されていれば良いのにと思うかもしれませんが、聖書はその後のパウロの活動については全く沈黙して、パウロがローマにおいて2年間「何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」と告げて終わるのです。何とも中途半端な終わり方のように思うかもしれません。このような終わり方ですので、この後パウロはどうしたのかということについては諸説があって、死んだ年も特定されていません。ローマで殉教したということは間違いなさそうなのですが、それが64年なのか、67年なのかも分かりません。この2年の後すぐに殉教したのか、この2年の後に再び伝道してそれから殉教したのかも分かっていません。この使徒言行録を記したルカはそのことを知っていたはずです。しかし、何も記していないのです。どうしてルカはその後のパウロについて、何も記していないのでしょうか。それは、この使徒言行録がパウロ伝ではないからです。ルカは、パウロの歩みを語ろうとして、この使徒言行録を記したのではないのです。1章に戻ってみましょう。主イエスは天に昇られる前に、使徒たちにこう告げました。8節「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」この主イエスの言葉通り、地の果てまで使徒たちが主イエスの証人として立てられていったことを、この使徒言行録は記したのです。
 エルサレムから見て、ローマは地の果てでした。それは地理的に遠いというだけではなくて、神の民の都エルサレムから、異邦人の都ローマという、神様の救いから見て遠い地の果てであったということなのです。この旧約以来の伝統から言えば、決して救われることのない異邦人の地の果てまで、使徒たちは主イエスの証人として遣わされ、主イエスの福音が伝わっていった。そのことをルカは語りたかったのです。パウロの行跡を記したかったわけではないのです。主イエスの福音はついに地の果てであるローマに届いたのです。そして、そこから更に先に福音は伝えられていく。ルカはそう言いたかったのでしょう。
 主イエスの福音は、パウロがローマに着いてから1800年かけて日本の横浜に来ました。そして、それから20年かけて金沢に来て、それから5年かけて富山に来ました。私共の教会はそれから126年経つのです。私共にとって、この富山が地の果てです。私共の家族が、私共の友人が、地の果てです。そこで私共は主の証人として立てられているのです。
 使徒言行録は28章で終わります。しかし、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストを教え続ける私共の歩みが、これに続くのです。使徒言行録29章。それを、私共の教会もこの地にあって126年間書き続けてきたのです。そこには、パウロやペトロと同じように、主イエスの福音と共に生きた私共一人一人の名が、そして私共の信仰の歩みが記されているのです。

 私共は、今から聖餐に与ります。キリストの教会は二千年の間、聖霊なる神様の導きと御支配のもとで歩みながら、この聖餐に与ってきました。この聖餐に与りつつ、聖霊なる神様の御臨在を確認し、心を高く上げてきたのです。主の再び来たり給うを待ち望みつつ、これに与ってきたのです。困難な時も疲れた時もこれに与り、新たな力を与えられてきたのです。私共も今、共にこの聖餐に与り、聖霊なる神様の力を受けて、使徒言行録29章を記す歩みへと、新しく歩み出してまいりたいと願うのであります。

[2010年8月1日]

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