富山鹿島町教会

礼拝説教

「平和の王の入城」
ゼカリヤ書 9章9〜12節
ヨハネによる福音書 12章12〜19節

小堀 康彦牧師

1.受難週を迎えて
 今日から受難週に入ります。週報にありますように、火曜日から金曜日まで毎日、受難週祈祷会が守られます。これは私共の教会の受難週の守り方です。どの教会もこのようにしているわけではありません。しかし、どの教会もそれぞれ工夫しながら、それぞれの仕方で受難週を過ごすのです。受難週に何の集会もしない、何の工夫もしないという教会は本当に少ないだろうと思います。カトリック教会では、「十字架の道行」と言って、十三の場面を思い起こして祈りが献げられますし、プロテスタントの多くの教会では、洗足祈祷会と言って、最後の晩餐の場面を思い起こして木曜日に祈祷会と聖餐が守られます。これらの工夫の意図・目的ははっきりしています。主イエスが歩まれた受難週の出来事、もっとはっきり言えば主イエスの十字架の出来事を心に刻むということであります。私共は次の主の日にはイースター記念礼拝を守るわけですが、この喜びの祝いは、十字架という出来事抜きには意味を持ちません。十字架にお架かりになった主イエスが復活されたのであって、ただ死んだ人が墓から出て来たということではない。私のために、私に代わって十字架にお架かりになった主イエス・キリストが、死を打ち破って、三日目に墓からよみがえられたのです。主イエスの十字架が私共のためであったように、主イエスの復活の出来事もまた、死を滅ぼして永遠の命へと私共を導くための出来事でありました。私共は主イエスの復活によって、永遠の命に生きる者とされたのです。それ故、キリストの教会はこの主イエスの死に対する勝利を祝い、この勝利に自分もまた与ることを喜び、主イエスが復活された日曜日に礼拝を守ることにしたのです。主イエスの十字架と復活はひとつながりの出来事でありますから、イースターをより深く喜びをもって迎えるために、代々の教会は受難週の過ごし方に工夫をして来たのです。水曜日には午前中にも受難週祈祷会を持ちます。どうか一回も受難週祈祷会に出席せずにイースターを迎えることがありませんように、皆さん奮って出席していただきたいと思います。

2.なつめやしの枝を持って
 さて、今朝与えられております御言葉は、主イエスが復活されるちょうど一週間前、主イエスがエルサレムに入られた時の出来事が記されています。12節「祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。」とあります。イースターの前の主の日、つまり今日のことですが、この日は「棕櫚の主日」と呼ばれています。カトリック教会では、この日、子どもたちが棕櫚の枝を持って礼拝堂に入場したりいたします。新共同訳で「なつめやしの枝」と訳されている言葉は、口語訳では「しゅろの枝」となっておりました。新共同訳ですと、「なつめやしの主日」になってしまいますが、「なつめやしの枝」の訳の方がきっと正確なのでしょう。なつめやしの実はこの地方では最もポピュラーな食物の一つで、当時たくさん栽培されておりましたし、今もされております。
 この時、どうして人々は主イエスがエルサレムに来られるのを歓迎したのか。理由は17節に記されております。「イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき、一緒にいた群衆は、その証しをしていた。」実は、ヨハネによる福音書11章にありますように、エルサレムに入られる直前、主イエスはエルサレムから数km東にあるベタニアという村でラザロをよみがえらせるという奇跡をなさったのです。このラザロの復活という出来事を見た人々、そしてその話を聞いた人々が主イエスを歓迎したということなのです。
 では、どうして人々は手に手になつめやしの枝を持って迎えたのか。一つには、なつめやしの枝は喜び事や祝い事の時に普通に用いられたものだったということがあると思います。しかし、もう一つの意味があったと思います。それは、この時人々は口々に「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」と叫びつつ、この木の枝を振って歓迎しました。「ホサナ」というのは「救ってください」というのが元々の意味ですが、日本語の万歳と同じように、この時代、既に本来の意味は忘れられて喜びを表す歓声となっていました。しかし、人々にその意識はなかったでしょうが、十字架に架かり私共の救いとなってくださる主イエスに対して、実に最もふさわしい掛け声であったと言うべきでしょう。ここで主イエスは、「イスラエルの王」として迎えられているのです。この「イスラエルの王」と言って人々が主イエスを迎えたことに注目しなければなりません。「イスラエルの王」と言ってすぐに連想するのはダビデ王でしょう。救い主・メシアはダビデの子孫から生まれることになっていました。それともう一つ、なつめやしの枝を振って人々がイスラエルの王としてエルサレムに迎えた人が以前にいたのです。主イエスがエルサレムに入られる時より二百年前のことです。当時ユダヤはセレウコス朝シリアの支配の元にありました。この時、ユダヤの独立を求めての戦いがありました。マカベア戦争と言います。事の発端は、当時ユダヤを支配しておりましたセレコウス朝シリアの王様が、エルサレム神殿にゼウスの像を建てるという暴挙を行ったことでした。ユダヤ教を禁ずるという意図があったのですが、これに反対してユダヤの民は立ち上がります。その時のユダヤのリーダーがマカベア、ギリシャ語読みではマカバイオスでした。それでマカベア戦争と呼ばれるのですが、このマカベアがエルサレムに入る時、人々はなつめやしの枝を振って迎えたのです。私は、群衆が主イエスのエルサレム入城をなつめやしの枝を振って迎えたということの背景には、主イエスを二百年前のマカベアと重ね合わせ、主イエスを軍事的な救い主として歓迎するということがあったのではないか。そう思うのです。

3.ろばの子に乗って
 先週、私共は「見て信じる信仰」というものでは十分ではないということを学びました。けれど、この時なつめやしの枝を振りながら主イエスを歓迎した群衆は、まさにラザロを復活させるという主イエスの為された奇跡を「見て信じた」人々でした。ラザロの復活を見て、この人こそ自分たちをローマの支配から解放してくれるイスラエルの王だと期待したということなのです。
 しかし、主イエスはそのような人々の期待に応える「力の王」ではなく、軍事的にユダヤの民を解放するような方ではありませんでした。そのことを、主イエスは言葉ではなく、「ろばの子に乗る」という行動で示したのです。力の王、軍事的な王が乗るのは馬です。ろばではない。まして子供のろばではありません。ろばというのは馬に比べて背が低い。子ろばとなれば、大人がまたがれば足が地面に着きそうな格好になったのではないかと思います。15節に「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」とありますが、これは先程お読みしました旧約聖書のゼカリヤ書9章9節の言葉です。このゼカリヤ書の言葉はこう続いているのです。10節「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。」ここには、子ろばに乗って来る王は、戦車を絶ち、軍馬を絶ち、弓を絶つ、そのような平和の王なのだと告げられているのです。主イエスは子ろばに乗ることによって、このゼカリヤが預言した王こそ私であり、私は力の王、軍事的な王ではない。私は平和の王なのだということをはっきりと示されたのです。
 しかし、この時主イエスを歓迎した群衆も主イエスの弟子たちも、主イエスが子ろばに乗られていることの意味は分かりませんでした。16節「弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。」とある通りです。ここで「イエスが栄光を受けられたとき」とありますが、これは主イエスが十字架にお架かりになり復活された時ということであります。主イエスが十字架に架かり復活されて初めて、主イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入られたことの意味が分かったというのです。そしてそれは、ゼカリヤ書が預言していた通りであった。主イエスはゼカリヤ書の預言を成就されたのだということが分かったというのです。

4.主イエスが分かる
 ここには、主イエスが分かるということがどういうことなのか、そのことがはっきり示されています。主イエスの言葉、主イエスの数々の御業、その意味が分かるのは、主イエスの十字架と復活の出来事からそれを見直す、考え直す、捉え直すことによってだということなのです。
 よく主イエスの山上の説教の所の一部分だけを読んで、これは理想主義だと批判したり、逆にこれは素晴らしいと感激したりということがありますが、そのような読み方は十分ではない、的を外しているということなのです。例えば、一番有名な「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けよ。」(マタイによる福音書5章39節)という所を取り出して、「厳しい世の中を、こんなことで生きていけるか。」と批判してみたり、「これこそ愛だ。」と言って感激しても、どちらも的を外しているということなのです。右の頬を打たれてなお左の頬をも差し出されたのは主イエス・キリスト御自身なのです。主イエスは左の頬どころか御自分の命までも差し出してくださった。それが十字架です。その十字架にお架かりになった方が、「あなたは私の命によって、十字架の死によって、神の子・神の僕とされたのではないか。だから、右の頬を打たれたからといって腹を立てるな。その人をも愛し、左の頬をも差し出せ。そうすれば、あなたは私の愛を証しする者となる。私の愛の中に生きている者であることが明らかになる。」そう言われたのです。主イエスの十字架の言葉として聞かなければ、主イエスの言葉は良く分からないのです。

5.自ら敢然と御心に従う
 主イエスがエルサレムに入られる時、群衆も弟子たちもこれから起こることを知らず、主イエスが子ろばに乗られた意味も知らず、自分の思いの中で勝手に感激し、喜び、なつめやしの枝を振り回しておりました。主イエスはこの時、子ろばに乗るということはされましたが、この人々に担がれると言いますか、力の王としての誤解の中で迎えられることを積極的に拒否はされませんでした。
 先週見ましたヨハネによる福音書2章24節に「イエス御自身は彼らを信用されなかった。」とあります。これは、しるしを見て信じた人々に「御自身をお任せにならなかった」ということです。あるいは6章15節に「イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。」とあります。この直前に主イエスは五千人の給食の奇跡を為されたのです。その奇跡を見て、人々は主イエスを王に担ごうとしたのです。しかし、主イエスはそれを拒否して山に退かれたというのです。このように、今まで主イエスは、御自身を自分の都合の良いように理解し扱おうとする人々の為すことを拒否されて来ました。
 ところが、このエルサレム入城の時、主イエスは拒否されなかった。どうしてなのか。それは、主イエスがこの時既にこれから起きる出来事、十字架の死と復活を見ておられたからでありましょう。このような形でエルサレムに入れば、ユダヤ当局者たちからいよいよ命を狙われることになる。しかし、それで良い。そう主イエスが思われたからだろうと思うのです。この時も、主イエスは決して人々の勝手な思いの中で扱われたのではないのです。そうではなくて、主イエス御自身が御自分でこの道を選ばれて、自ら敢然とエルサレムに入られたということなのであります。主イエス御自身が、私の時が来た、十字架に架けられる時が来た、力によらず愛と真理によって人々の王となる時が来た、そのことを受け止めておられたということなのであります。
 このエルサレム入城の前にラザロの復活の出来事があったことを先程申しましたが、この出来事の反響は大変大きなものでした。ですから、人々がなつめやしの枝を振って主イエスを迎えるということが起きたのですけれど、主イエスに反対する人々もまた、この出来事によって強い思いが起きました。今朝与えられている箇所の直前を見てみましょう。12章9〜10節「イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。」とあります。ユダヤ人の大群衆が主イエスを見に、そしてラザロを見にやって来ました。この人たちが主イエスを大歓迎したわけです。そして、祭司長たちはラザロをも殺そうと謀ったのです。「ラザロをも」です。ラザロだけではありません。「ラザロをも」です。つまり、ラザロと主イエスを殺そうとしたということです。死人の中からよみがえったラザロとラザロをよみがえらせたイエスを殺せば、祭司長たちはこのラザロの復活という出来事そのものを無かったことに出来ると考えたからです。主イエスは、そのような思いを持っている祭司長たちが待つエルサレムへと入られた。祭司長たちの思いもみな御存知の上で入られたのです。それは、このことが神様の御心から出たものであり、このことのために御自身が地上に降って来られたからです。神様の御心に従う。それが主イエスの歩みのすべてだったからです。
 受難週を迎える今、私共が心に刻まなければならないことはこの一事であります。神様の御心に従うということです。たとえそれが自分にとって苦しい道であったとしても、周りの誰からも理解してもらえなかったとしても、神様が私に求めておられることならば、望んでおられることならば、私共はそれを為さなければならないのです。そこから逃げ出すことがないよう、聖霊なる神様が私共を力付けてくださるよう、共に祈りを合わせたいと思います。

[2011年4月17日]

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