富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(105)

 旧約聖書、出エジプト記第20章にある、「十戒」についてのお話しをしています。今回は、その第8の戒めは、「あなたは盗んではならない」についてお話しします。「人のものを泥棒してはならない」というのは、誰でもが知っている当然のことです。そして多くの人は、「私は泥棒をしたことはないからこの戒めは関係ない」と思ってしまうのです。しかしこの戒めはそれだけのことを言っているのではありません。もともとここに禁じられている「盗み」は、人を誘拐することを意味していたとも言われます。つまり、人のモノを盗むだけでなく、人そのもの、人の命や人生を盗むことが戒められているのです。他の人のものであり、その人のためにあるはずのモノや財産、時間、命などを、その人から奪って自分のものにしてしまうこと、それが「盗み」です。ですから、北朝鮮による拉致事件などはまさにそれに当たるのです。

 そういう広い意味での盗みを禁じているこの戒めは、ですから、ただ泥棒をしなければよいということではありません。この戒めを実行するためには、むしろ積極的に人のために行動することが求められるのです。「ハイデルベルク信仰問答」はこの戒めを次のように解説しています。
「わたしが、できる限り、また、許される範囲において、わたしの隣人のために、益を計り、彼に対して、自分が他人にしてほしいように尽し、真実に努力して、困って助けを求めている人々を、助けることができるようになることであります。」 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」というイエス・キリストの教えがありますが、まさにそうすることこそが、「盗んではならない」という戒めを実行することなのです。

 またこの盗みの問題は、個人における事としてのみでなく、国と国、民族と民族というような、全世界的なレベルでも考えなければなりません。地球上の富や食料の多くが、一部の先進国に集中し、有り余って無駄になっているところがあるかと思えば、多くの国においてはいまだに飢えに苦しむ人があり、餓死する子供たちが沢山いる、という現実は、どう考えても正しいあり方ではありません。それは、私たちが、本当は他の人々のために用いられるべきものを盗んでいるということではないでしょうか。「盗んではならない」という戒めは、グローバルな視点から受け止めることによって、分かりきった当たり前の教えではなくなり、私たちに大いに関係する、私たちが真剣に考え、実行していくべき大切な教えになるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2003年7月28日〜8月10日]

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