富山鹿島町教会
(11)←「救いの歴史」→(13)

テレホンメッセージ

「救いの歴史」(12)

「救いの歴史」と題して、旧約聖書「創世記」についてのお話しをしています。前回は18章についてのお話しをしたのですが、少し戻って15章を読みたいと思います。イスラエルの民の最初の先祖となったアブラハムが、まだアブラムという名前だった時の話です。15章の1〜6節を読んでみます。

これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

アブラムは、「あなたの子孫を大いなる国民にする」という神様のみ言葉を受けて旅立った時、75歳でした。それから何年も経っていましたが、彼と妻サライにはいっこうに子供が生まれませんでした。常識的に言って、もう子供の生まれようがない年になっていたのです。だからアブラムは、神様が私に何を下さったとしても、それを継ぐのは親戚の者か、あるいは家の僕だと言っているのです。ところが神様はあくまでも、「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」と言われます。そして、満天の星を示し、あなたの子孫はあの星の数のように多くなる、と言われるのです。常識からして、そんなことはあり得ないことです。しかしアブラムは神様のみ言葉を信じた、とあります。あり得ないことを、神様のみ言葉であるゆえに信じたのです。そして主はそれを彼の義、つまり正しさと認められたのです。神様の前で義、正しさを得ること、それが救いです。その正しさとは、よい行ないをするとか、立派な生活をするということよりも、どのような状況の中でも、神様の約束のみ言葉を信じることなのです。アブラムはそういう信仰による正しさを得ました。しかし子供がないという状態は変わりません。神様の約束はどうなってしまうのでしょうか。

   

牧師 藤 掛 順 一
[1999年9月6日〜9月19日]

メッセージ へもどる。

(11)←「救いの歴史」→(13)