富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(33)

 旧約聖書創世記第3章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話しています。3章14節以下には、最初の人間アダムとエバが、神様の命令を破って禁断の木の実を食べてしまった、その罪に対して神様が人間に与えた罰のことが語られています。人間はこのような罰を背負って生きている、というのが、聖書の人間理解の重要なポイントなのです。今回は、17〜19節の、男に対して与えられた罰を読みます。こう語られています。
「神はアダムに向かって言われた。『お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る』」
 ここに語られている、男に対する罰とは、一言で言えば「労働の苦しみ」ということです。男は、生きていくために、生活の糧を得るために、顔に汗を流して、苦しんで働かなければならない。それは、神様の命令に背いた罪に対する罰として与えられていることなのです。これまでは、彼らはエデンの園という楽園に住んでいました。そこには常に食べ物となる木の実が沢山あったのです。彼らは何の苦労もなく、それを食べて生きていくことができました。しかしこれからは、その楽園を失い、自分の手で土を耕して食物を得なければならないのです。そのように、人間の、特に男性の一生は、生きていくための労働の苦しみの連続となっている。そしてそのような一生の果てに、人は土に返る。もともと土の塵から造られた人間は、生涯苦労して働き、そして死んで土の塵に返っていく。そういう人生の虚しさがここに見つめられています。その虚しさは、人間の神様に対する罪によるものだ、神様との正しい関係を失ってしまったがゆえに、人間は虚無に捕えられ、苦しみ多い生涯を送るようになってしまっているのだ、という聖書の人間理解がここに語られているのです。
 これは単なる虚無的な人間理解ではありません。神様との関係の回復によって、この虚しさ、苦しみからの解放が与えられるという希望がそこから生まれてくるのです。

牧師 藤 掛 順 一

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