富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(35)

 旧約聖書創世記第3章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話しています。最初の人間アダムとエバが、神様の命令を破って禁断の木の実を食べてしまった、その罪に対して神様が人間に罰を与えられた、ということを見てきました。人間は、自らの罪に対する罰としての苦しみを背負って生きている者だ、というのが、聖書の人間理解の一つの根本なのです。

 3章23節にこう語られています。「主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた」。「彼」というのは最初の人間アダムです。アダムとその妻エバは、「エデンの園」に住んでいた、そこは、沢山の木の実を自由に食べて、何の苦労もなく生きていける楽園でした。しかし彼らは神様に背く罪を犯したために、その楽園から追放されてしまったのです。これが「失楽園」ということです。失楽園という言葉は、今、変なふうに有名になっていますが、それはもともとは、人間が罪のゆえに楽園を失った存在である、ということを意味しているのです。楽園を追放された彼らは、土を耕して生きる糧を得なければならなくなりました。土の塵から造られた人間が土を耕して生きる。そういう生活のための労苦が始まったのです。

 人間はそのように、罪に対する神の罰、怒りを背負っている、ということがここに語られているわけですが、21節には「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた」ということも語られています。楽園に住んでいた人間は裸であり、それが何の不都合でもなかったのです。しかし禁断の木の実を食べたことによって、人間は裸であることができなくなりました。また、楽園を追放され、生きるための厳しい戦い、労苦の中に置かれた彼らには、身を覆い守る衣が必要となったのです。その衣を神様が作って着せて下さった。それは、罪による罰を背負って生きている人間に、同時に神の守り、導きが与えられているということの印です。神様は人間を見捨ててしまわれたのではないのです。神様は、罪に対して怒られる方であると同時に、恵み深い方でもあられるのです。

牧師 藤 掛 順 一

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