富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(64)

 イスラエルの民が、奴隷とされて苦しめられていたエジプトから、モーセに率いられて脱出した、その「出エジプト」の物語を読んでいます。神様が数々の力あるみ業を行って下さったことによって、頑なだったエジプトの王ファラオもついにイスラエルを去らせることを承諾したのです。

 ところが、イスラエルの民が出発した後、ファラオたちはまた気持ちを変えて、彼らを去らせたことを後悔します。神様による災いが過ぎ去ってしまうと、またもとの頑なな心に戻ってしまうということがこれまでにも繰り返されましたが、この最後のどたん場でも再びそれが起こったのです。ファラオは戦車部隊を率いて、イスラエルの人々を追跡し、捕えて連れ戻そうとします。イスラエルの民は徒歩で、家族全員や家畜も連れての旅です。エジプト軍は高速戦車部隊です。エジプト軍はたちまちイスラエルの民に追いつき、背後に迫りました。その時イスラエルの民は、「葦の海」と呼ばる海の岸にいました。前は海、後ろからはエジプトの軍勢が迫るという絶対絶命の危機に陥ってしまったのです。 その時イスラエルの人々は、モーセに対してこのように文句を言いました。
「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます』と言ったではありませんか」。奴隷の苦しみから解放してくれた人に対して、何という恩知らずな言い草でしようか。そしてこれは、モーセに対する言葉であると同時に、モーセを遣わして彼らをここまで導いて来られた主なる神様に対する文句でもあるのです。「誰も救ってくれなんて頼んでいない。こんな目にあうなら、エジプトでずっと奴隷でいた方がよかったのだ」、イスラエルの民は神様に向かってそう言ったのです。

 これに対してモーセはこう語りました。
「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」。

 主なる神様があなたたちのために戦って下さる。彼らがエジプトから出ることができたのも、主なる神様が戦い、勝利して下さったからでした。その神様を見失ってあわてふためいているイスラエルの民にモーセは、静かに落ち着いて、主なる神様の戦いを見よと言ったのです。主はどのような戦いを見せてくださるのでしょうか。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年10月29日〜11月11日]

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