富山鹿島町教会
(69)←「救いの歴史」→(71)

テレホンメッセージ

「救いの歴史」(70)

 イスラエルの民は、神様の約束の地を目指して荒れ野を旅していきましたが、その中で、食べ物がなくなり、神様とモーセに対して不平を言ったということを前回お話しました。神様はそのイスラエルの民に、天から食物を与えて下さったのです。出エジプト記第16章13節以下を読んでみます。

 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。

 これが、「マナ」と呼ばれる天からのパンです。それが実際どんなものだったのかはわかりません。ある植物の樹液が固まったものではないか、などとも言われますが、要するにこれは、神様が天から、イスラエルの民を養うために与えて下さった食物です。そしてこのマナは一度限り与えられたのではなくて、彼らが荒れ野を旅している間中、毎日新しく与えられました。食べる物がなくなって不平を言い、エジプトにいた方がましだったなどと恩知らずなことを言っている民を、神様はこのような恵みによって日々養って下さったのです。

 またこのマナは不思議な性質を持っています。ある者は多く集め、ある者は少なく集めたが、多く集めた者にも余ることはなく、少なく集めた者にも足りないことはなかったのです。それは、多く集めることができる強い者も、少ししか集めることのできない弱い者も、神様が同じように養って下さるということです。強い者が得をし、弱い者が損をする、ということがない、それが、神様が与えて下さる天からのパンの特徴なのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2002年2月4日〜2月17日]

メッセージ へもどる。

(69)←「救いの歴史」→(71)