富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(82)

 「十戒」の第一の戒め、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」についてのお話しを続けます。この戒めは、ただ一人の神様が、私たちの人生に必要な全ての良いものを与えて下さることを信じることを教えていると前回お話ししました。けれども、「わたしをおいてほかに神があってはならない」というのは、それと同時に、私たちの人生に起るあらゆる苦しみや不幸もまた、このただ一人の神様から来るということを語っているのです。良いものを与えて下さる神様が、同時に苦しみや不幸もお与えになる、「わたしをおいてほかに神があってはならない」とはそういうことでもあるのです。

 これは大変なことです。恵みばかりでなく、不幸や苦しみをも神様が私たちにお与えになるとしたら、そんな神様を信じることなど、まして愛することなどできない、私たちはそう思って、自分に恵みだけを与える神様を求めていきます。そして、苦しみや不幸の源は、神様ではない、何か別のものにあるのだと思おうとします。そうして生まれてくるのがいろいろな「占い」です。それは私たちに襲ってくる苦しみを、名前の字画や、家の方角や、その他いろいろなもののせいだと説明します。けれども、そういう苦しみの理由をいくら説明されても、そこからの本当の救いは得られません。何かの理由を取り除いたとしても、また別の理由で別の苦しみが必ず襲ってくるのです。苦しみの理由を神様以外のところに求めていく歩みは際限がないのです。そしてどこまでいっても、苦しみからの本当の救いは得られないのです。

 それに対して、不幸や苦しみすらも一人の神様から来る、という信仰においては、自分の苦しみや理由のわからない不幸も、ただ一人の神様の下にあるのであり、そこには、今すぐにわからなくても、何らかの神様のみ心があり、私たちの人生における意味があると信じることができるのです。それは、苦しみや不幸から逃げるのではなく、それと正面から向き合い、それを背負いつつ神様と共に生きることです。そこにこそ、本当の慰めや救いが与えられるのではないでしょうか。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という第一の戒めは、私たちをそういう本当の慰めや救いに導いてくれる道なのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2002年8月5日〜8月18日]

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