礼拝説教集 sermon

連続講解説教 expository sermon

イザヤ書

マタイによる福音書

主イエスの宣教開始
イザヤ書8章23節b~9章6節  マタイによる福音書4章12~17節  小堀康彦牧師

1.私のガリラヤ

 先週私共は、イエス様の御復活を共々に喜び祝いました。復活されたイエス様はマグダラのマリアたちに、「行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(マタイによる福音書28章10節)と告げられました。ガリラヤ。それはイエス様が宣教を開始された所であり、弟子たちを召された所であり、弟子たちと共に歩まれた所であります。復活されたイエス様が弟子たちとガリラヤで再び会われる。それは、もう一度弟子たちと共に歩み直されるということです。イエス様が捕らえられた時に、弟子たちはイエス様を見捨てて逃げました。その弟子たちともう一度やり直そう。それがガリラヤで会うことの意味です。イエス様は、弟子たちの裏切りを赦し、もう一度やり直そうと招かれたのです。復活されたイエス様との再会は、イエス様の赦しを前提としています。イエス様は、すべてを赦し、ガリラヤから再出発しよう、そう招かれたということなのです。このイエス様の赦しによって与えられた、復活のイエス様との再出発。キリスト教会の歩みはここから始まっているのです。

 このことは、私共にとっても同じことです。私共は間違います。信仰が惰性に陥ることもあるでしょう。色々な事情の中で、礼拝に集えなくなったり、祈れなくなったり、礼拝に集っていても説教が心に響かない。そういう時もあります。しかし、復活の主は自らの十字架を指して、あなたの罪は赦された、もう一度共に歩もう、そう招いてくださる。この招きによって、私共の信仰は新しくされ、歩み直す。そして、ガリラヤから再出発するのです。イエス様と最初に出会った所から始めるのです。そこが私共のガリラヤです。ですから、ガリラヤは誰にでもあります。「私のガリラヤ」があるのです。私にもあります。しかも、幾つもある。20歳で洗礼を受けた時、22歳で教会学校の教師を始めた時、25歳でそれを辞めようと思った時、27歳で神学校に入った時、30歳で富士美さんと結婚して東舞鶴教会に遣わされた時、そして48歳でこの富山鹿島町教会に遣わされた時、それが私のガリラヤです。ガリラヤは、イエス様と最初に出会った所であると共に、すべてを赦されてイエス様と共に再出発した所なのです。

2.ガリラヤに退かれた

 さて、今朝与えられております御言葉は、12節「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。」と告げます。「ヨハネが捕らえられた」このことについては、14章において少し詳しく記されております。14章1節から12節に、ヨハネがヘロデによって殺されたことが記されているのですが、その3~4節に「実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、『あの女と結婚することは律法で許されていない』とヘロデに言ったからである。」とあります。このヘロデというのは、イエス様が生まれた時に二歳以下の男の子を皆殺しにしたヘロデ大王の息子の一人で、ヘロデ・アンティパスのことです。彼は、兄弟フィリポの妻であるヘロディアを自分の妻にしてしまいました。これに対して洗礼者ヨハネは、それは許されることではないと批判したのです。そのためにヨハネはヘロデに捕らえられてしまったのです。しかしそれは表向きの理由で、ヨハネの運動があまりにも民衆の支持を集めたので、支配者としてのヘロデは、自らの地位を守ろうとしてヨハネを捕らえたということなのかもしれません。そして、このヘロデはガリラヤの領主だったのです。

 ですから、この「退かれた」ということが、ヘロデから逃げようとして退いたということであるとするならば、イエス様はわざわざヨハネを捕らえた者のお膝元に行ったということになり、辻褄が合いません。逃げるためならば、ヘロデの勢力が届かないところに行くのが普通でしょう。とするならば、この「ガリラヤに退かれた」とは、イエス様がヨハネの運動から退いたということではないかと思うのです。そして、ヨハネの運動から離れて御自身の宣教を開始する、その為にガリラヤに行かれたということです。ヨハネが捕らえられることによって、ヨハネの時は終わった。遂に御自身の時が来た。そのことをはっきり悟られて、行動に移されたということなのでしょう。

3.死の陰の地、ガリラヤ

 では、どうしてイエス様は御自身の宣教開始の地をガリラヤとされたのでしょうか。どうして、ガリラヤでなければならなかったのでしょうか。

 それは、御自分が育った村がガリラヤのナザレだったからではありません。イエス様はナザレを御自身の宣教の根拠地とはされませんでした。イエス様が根拠地とされたのは、ナザレではなくカファルナウムでした。この町はガリラヤ湖の北に位置する湖畔の町です。人口5万を数えたと言われる、当時としては大都市です。そこを宣教開始の町とされたのです。ナザレはガリラヤ湖の南の方にあります。イエス様は、ガリラヤの南の方ではなく、北の方で宣教を開始されたのです。

 ここに「ゼブルンの地とナフタリの地」という言葉が出てきます。これは、地名ではありません。ゼブルン・ナフタリというのは、イスラエル十二部族の中の部族名です。ヨシュアによって率いられたイスラエルの民は、主エジプトの最後に約束の地カナンに入るわけですが、ヨシュアはこのカナンの土地を神様に与えられた土地として、部族ごとに分配するわけです。ゼブルン、ナフタリというのも、イスラエル十二部族の中の部族の名前であり、そしてこの二つの部族に与えられた土地が、ガリラヤ湖付近の、カナンの地の中で一番北の土地であり、イエス様の時代のガリラヤだったのです。

 ここで引用されているイザヤ書8章23節b~9章1節は、いくつかの説はありますが、紀元前701年にアッシリア王センナケリブによってエルサレムが攻め込まれた時に告げられたものであると考えられています。メソポタミアの大国アッシリアによって攻められたエルサレムは、風前の灯火となりました。メソポタミアからエルサレムに向けて進軍してくるとき、真っ直ぐ西に向かってやって来ることはありません。砂漠を横切らなければならないからです。チグリス・ユーフラテス川沿いに北東に進み、一気に南下してくる。それが進軍のルートでした。ですから、アッシリアが攻めてくる道筋に当たる北の地方、ゼブルンの地・ナフタリの地は、アッシリアの進軍によって最も激しく破壊され、戦争の傷を深く負った所だったのです。9章1節にあるように「闇の中を歩む民」であり、「死の陰の地に住む」人々となったのです。しかし、イザヤはそのような人々が「栄光を受ける」「大いなる光を見る」その人々の上に「光が輝いた」と告げたのです。外国の軍隊に踏みにじられた畑、焼かれた家、親を失った子どもたち、そして子どもを失った親たち。この戦争の悲惨の中で、一体イザヤは何を見たというのでしょうか。このような悲惨の中にたたずむ人々が、どんな栄光を受けるというのでしょう。どんな光を見ることが出来るというのでしょう。

4.イザヤの預言の成就として

 イザヤは告げるのです。5節「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」これは毎年クリスマスになると読まれるキリスト預言の所です。ひとりの男の子が生まれる。その幼子は、「『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」のです。その幼子こそ、イエス・キリストに他なりません。そして6節「ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」と告げたのです。ダビデの王座が回復される。神の民が再び主の平和を手に入れる。そして、その王国は正義と恵みによってとこしえに立っていくというのです。この王国こそ、主イエス・キリストによってもたらされる神の国です。イエス様はこの国を建てるために来られたのです。

 イエス様はこのイザヤの預言の成就する方として来られた。だから、イエス様の宣教はガリラヤから始められなければならなかったのです。もちろん、イザヤが告げた預言は、イエス様の時代よりも700年も前のものです。ガリラヤの町々村々も、イザヤが見ていたような、戦争の悲惨を目の当たりにするような状況ではなかったでしょう。確かに時代は変わった。しかし、イエス様の時代に生きるガリラヤの人々は、既に栄光を受け、光を見ていたでしょうか。そうではありませんでした。アッシリアの後はバビロニア、その後はペルシャ、そしてマケドニア、ローマと続く外国の支配の下に、700年の間ガリラヤの人々は生き続けていたのです。

 しかし、遂にまことの光であるイエス様が来られたのです。まことの平和の国、神の正義と恵みに満ちた国、神の国(=天の国)を建てるためにイエス様が来られたのです。この国は、世の国々が建っては倒れる中で、決して倒れることのない国です。その神の国、天の国を建てるために、そこに一人一人を招き入れるために、イエス様は来られた。

 始めに、ガリラヤはイエス様と一緒に歩み始めた所、一切を赦されてイエス様と再び歩み出した所だと申しました。私共はそれぞれ自分のガリラヤを持っていると申しました。その通りなのです。しかし、イエス様と出会う前のガリラヤもある。それは暗闇に覆われた地であり、死の陰の地です。まことの生きる希望もなく、やがては死によってすべて飲み込まれてしまう空しいものを必死に追い求めて、心も体も壊してしまう。そういう地に私共も生きていた。何が大切であり、何を守るために生きるのかも分からずに、ただ目の前のことに振り回され、一喜一憂して生きていた。そのようなガリラヤをも私共は知っているのです。そのような暗闇が覆い、死の陰の地と言われるガリラヤに生きていた私共が、イエス様と共に、イエス様の赦しの中に生きる、新しいガリラヤに生きる者とされたのです。それは、光のガリラヤ、希望のガリラヤ、命のガリラヤです。イエス様が、そこに生きるようにと私共を招いてくださったのです。c

5.悔い改めよ。天の国は近づいた

 そのイエス様の招きの言葉が、「悔い改めよ。天の国は近づいた。」という言葉なのです。悔い改めは反省ではありません。新約のギリシャ語の「悔い改め」という言葉は、旧約においては「立ち帰る」というへブル語です。新約聖書が出来る前、旧約をへブル語からギリシャ語に翻訳するということが行われました。このギリシャ語訳旧約聖書を七十人訳と言うのですが、そこではへブル語の「立ち帰る」という言葉にギリシャ語の「悔い改め」という言葉を当てたのです。つまり、悔い改めるとは、神様の許に立ち帰ることなのです。自分を造ってくださった神様に向かって歩み出す。神様に立ち帰るということです。そして、神様が造ってくださった本来の自分を取り戻す。神様から離れて自分勝手に生きていた自分が、神様との親しい交わりに生きる者となる。それが悔い改めるということなのです。あれが悪かった、これが悪かったと自分の犯した小さな罪を数え上げても、本当の悔い改めにはならないのです。反省をいくらしても、悔い改めにはならないのです。自分が生きる根本。何のために、何を喜びとし、何を誇りとし、何を希望として生きるのか。そこが変わること、変えられること。神様に立ち帰って変えられること。それが悔い改めなのです。

 もちろん、神様に立ち帰りたいと思っても、自分の罪というものが神様との間の高い高い、厚い厚い壁となって立ちはだかり、おいそれと神様に立ち帰ることは出来ませんでした。だから、イエス様は「悔い改めよ。」と告げると共に、「天の国は近づいた。」と告げられたのです。天の国、神の国には私共が近づいていくのではないのです。神の国の方から私共に近づいてくるのです。そして、そこに入るようにイエス様が招いてくださるのです。この近づいてくる神の国に誰もが入ることが出来るように、高く厚い神様との間の罪の壁を、御自身が十字架にお架かりになることによって壊してくださった。私共が入れる門、私共が入れる穴を開けてくださったのです。だから私共はただこのイエス様の招きに応えて、悔い改めれば良い。神様のもとに立ち帰れば良い。神様に背き、神様なんて知らないとうそぶいていたこと、自分の力と自分の手で生きているのだと思い違いしていたことを赦していただき、あなた様と共に生きていきたいと心から願う。それだけで良いのです。ただそれだけで、光の国、希望の国、とこしえの神の国に生きる者とされるのです。これがイエス様によって告げられ、イエス様によって与えられた福音なのです。

 神の国、天の国というのは、死んでから行く所ではありません。もうここに来ている。イエス様がおられる所、イエス様と共に歩む所。そこに神の国、天の国は来ているのです。誰でも悔い改めたなら、神の国の門は開かれるのです。そして、神の国に生き始めるのです。イエス様が、「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と私共を招き、私共に約束してくださったのです。

 私共は今から聖餐に与ります。この聖餐は、私共が主イエス・キリストの赦しに与り、イエス様と共に生きる、神の国に生き始めたことの確かなしるしです。イエス様の体が、血が、命が、私共の中に入り、イエス様と一つにされるのです。そして、この神の国はやがて完成され、イエス様と一つにされた者が、イエス様と共に一つの食卓を囲むことになる。そのことをも指し示しています。

 この聖餐の食卓を囲むたびに、私共は悔い改め、新しいガリラヤへと歩み出していくのです。主はあなたと共におられます。そして今朝、私共に告げておられます。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」 さあ、ここからイエス様と共に歩む新しいガリラヤへと、神の国へと歩み出して参りましょう。

[2016年4月3日]


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