1.信仰の出来事として
共々にマタイによる福音書を読み進めております。今朝私共に与えられております御言葉は、二人の目の見えない人がイエス様によって目が見えるようにされたという出来事が記されています。この出来事は、イエス様は誰であるのか、イエス様はどのようなお方なのか、そのことを信仰との関わりの中で示しております。この二人の目の見えない人のいやしの出来事は、信仰抜きに為されたことではありません。この二人の信仰が前提です。ですから、これは信仰の出来事です。信仰抜きの話ではないのです。
信仰というものには中身があります。この中身によって、同じ信仰という言葉を用いても、それは全く違ったものになります。聖書は、「信仰とは良いものだ。だから、何でもいいから信じなさい。」そんなことは決して言いません。聖書が信じるようにと勧める信仰には中身があります。その中身とは、イエス・キリストというお方を信じる、自分を救ってくださるお方として信じるということです。
順に見てまいります。
2.ダビデの子
27節「イエスがそこからお出かけになると」とあります。「そこから」というのは、この直前において、イエス様は指導者の娘を生き返らせるという奇跡を行われたわけですが、その奇跡を為された所からということでしょう。
多分、この時イエス様の周りには弟子たちや群衆が大勢いたのではないでしょうか。死んだ少女を生き返らせるというとんでもない出来事の後ですから、人々も弟子たちもかなり興奮した状態でイエス様と共に歩んでいたのではないかと思います。その時です。二人の目の見えない人が、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください。」と叫びながらついて来たのです。
彼らは、イエス様を「ダビデの子」と呼びました。「ダビデの子」というのは、メシア、キリスト、救い主の別の言い方です。マタイによる福音書においてイエス様を「ダビデの子」と最初に呼んだのは、この二人の目の見えない人でした。
ここで、「ダビデの子」について少し説明が必要かもしれません。ダビデ。それはイエス様の時代から千年も前のイスラエルの王様です。イスラエルの歴史の中で、イスラエルが最も力を持ち、繁栄した時代の王様です。ダビデ王は、サムエル記下7章において、預言者ナタンの口を通してこのような約束を与えられました。11b~16節です。「主はあなた(ダビデのこと)に告げる。主があなたのために家(ダビデ王朝を意味する)を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家(ダビデ王朝)、あなたの王国(神の民イスラエル)は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」これがダビデ契約と言われるものです。
では、ダビデ王朝はとこしえに続いたかと言いますと、南ユダ王国が紀元前587年にバビロニアによって滅ぼされて、ダビデ王朝は終わってしまいます。しかし、神様のこの約束は反故にされたのではない、やがてこの契約が実現される時が来る、この約束を実現する方が来る、そう信じるようになります。預言者もそのことを語りました。そして、イエス様の時代には、救い主、メシアが来てくださるという期待が民の間に広まっていました。そして、そのメシア、キリストによってもたらされる世界こそがダビデ契約の成就なのだと信じ、期待し、メシアを「ダビデの子」と呼ぶようになっていたということなのです。つまり、この二人の目の見えない人は、イエス様を「ダビデの子」と呼ぶことによって、イエス様こそ神様が遣わされた救い主であると告白したのです。
3.我らを憐れみ給え
さらに、この二人は、イエス様に向かって「わたしたちを憐れんでください。」と言いました。おおよそ現代人は、誰かに憐れみを乞うなどということはしたことがないだろうと思います。誰かに憐れみを乞うということは、自分ではどうにも出来ないと完全に降参した者の姿です。この二人は、イエス様に憐れみを乞うたのです。聖書は、これがイエス様に救いを求める者、イエス様を信じる者の姿なのだと告げているのだと思います。彼らはイエス様に向かって、一回だけ「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください。」と叫んだのではないでしょう。何度も何度も、声の限りに、この声がイエス様に届くようにと叫んだに違いありません。人々の前でこんな風に大声で叫ぶことは恥ずかしい。私共ならそう思うかもしれません。しかし、彼らには恥ずかしいなどと思っている余裕はありませんでした。この方にすがるしか道はない。この時を逃したら、もう二度とチャンスは来ないかもしれない。そう思って、声の限りに叫んだ。自分の力を頼り、自分にプライドを持っていたら、こんなことは出来ません。キリストの教会の礼拝は、長い間この言葉をもって始められてきました。「主よ、憐れみ給え。キリストよ、憐れみ給え。」ラテン語で「キリエ、エレイソン。クリステ、エレイソン。」そう祈って礼拝を始めてきました。実に、イエス様の前に何も持たない者として、ただイエス様に憐れみを乞うしかない者として立つ、それが私共の姿なのです。
4.信仰試問
さて、イエス様は、自分をダビデの子と呼び、自分に憐れみを求めるこの二人をどうされたでしょうか。聖書は、この二人は「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください。」と言いながらイエス様について来たと記しています。つまり、イエス様は、彼らの声を聞くとすぐに二人をいやされたのではなかったのです。どうしてなのかは分かりません。イエス様は家に入ります。この家はシモン・ペトロの家だったかもしれません。この二人もその家の中に入りました。そこで、イエス様はこの二人にこう言われたのです。「わたしにできると信じるのか。」ここでイエス様はこの二人に、御自分に対する信仰を問うたのです。イエス様による信仰試問と言っても良い場面です。イエス様が問われたのは「わたしにできると信じるのか。」です。イエス様を救い主、メシアとして信じることは、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください。」で分かっています。それに対してイエス様は、「実際に救うことが出来る、その力があると信じるか。」と問われたのです。彼らは答えます。「はい、主よ。」とても短い言葉です。イエス様による信仰試問の答えはこれだけです。「はい、主よ。」それ以上の答えをイエス様はお求めになりませんでした。
私共の教会においても、洗礼を受ける方に対して長老会において試問をします。信仰を試問されるというのは、とてもドキドキして、緊張して嫌だなと思う方もおられるでしょう。でも、この試問は神様の御前における信仰試問なのですから、緊張するのは当たり前なのです。試問される人は大変でしょうが、試問する人も大変なのです。何を問えば、この人が洗礼を受けようとすることが、神様の促しによるものであるかどうか明らかになるか。試問する長老自身の信仰が問われる場面でもあるからです。その問いは、イエス様がそうされたように、「はい」「いいえ」で答えられるようなもので良いのだと思います。難しいことを問う必要はありません。「あなたはイエス様を神の独り子と信じますか?」「あなたはイエス様の十字架によって一切の罪を赦されたと信じますか?」「あなたは洗礼を受けて、神の子として、神の僕として新しく生きる者となりたいですか?」それで良いのだと思います。
5.信仰の力によってではなく
イエス様はこの二人の「はい、主よ」との答えを受けて、二人の目に触り、こう告げられました。「あなたがたの信じているとおりになるように。」これは重大な言葉です。イエス様はここで、二人の信仰など問題にせず、二人をいやされたのではないのです。二人の信仰を問うている。イエス様というお方は目が見えるようにすることが出来るし、してくださる。そう信じたからこの二人はいやされた。その意味では、このいやしは、全く信仰の出来事なのです。信仰抜きには、この出来事は起きない。まずこのことをはっきりと確認しておかなければなりません。
しかしその上で、このイエス様の言葉は丁寧に読みませんと、誤解を招きかねないと思います。その誤解とは、「私共が信じるならば、必ず信じたようになる。そうイエス様は言われた。」そのような信仰理解を生じかねないということです。更には、ここでは目の見えない人が見えるようにしていただいた。しかし、これは目だけのことではない。足だって、手だって、心臓だって、肺だって、肝臓だって、癌だっていやしてもらえる。要は信じるかどうかだ。信じれば、そうしてもらえる。信じれば、そうなる。このような理解は、このイエス様の言葉を正しく受け止めていないと思います。
私は、神様によって不思議ないやしが与えられるということは信じています。これを神の癒やしと書いて、神癒(しんゆ)と言います。神様は全能のお方ですから、私共をいやすことがお出来になります。実際、私もそういう体験を何度もしてきました。しかし、「だから、信じて祈ればどんな病気もいやされる。」と言うのはどうかと思います。更に、そのことを強調し、「病院に行くな。薬も飲むな。ただ祈れ。」と言うのは間違っています。神様のいやしは、病院も医者も薬も、すべてを用いて為されるものです。神様はすべてを支配しておられるからです。
つまり、この出来事は、確かに信仰の出来事ではありますけれど、信仰があれば何でも出来るといった、いわゆる「信仰の力」を示している出来事ではないということです。立派な信仰を持てば、その信仰の力によっていやされる。いやされないのはその人の信仰が弱いから、不十分だからだというような信仰理解をここから導き出すことは出来ないし、してはならないのです。
6.有るか無きかの信仰を受け止めてくださるイエス様
ここで、この二人の信仰というものについて、少し思いを巡らしたいと思います。この二人は確かにイエス様を「ダビデの子」と呼びました。イエス様に憐れみを求めました。また、「わたしにできると信じるのか。」と問われ、「はい」と答えています。これは私共の信仰の中身を示しています。ですから、この二人に信仰があったことは確かです。しかし、その信仰はどれほどのものであったかと言えば、イエス様なら何とかしてくれるのではないか、イエス様に頼るしかない、そんな藁をもつかむような思いだったのではないかと思うのです。どんなことがあってもイエス様から離れない。信じ抜く。そんな立派な信仰ではなかったと思うのです。けれども、イエス様は、そのような有るか無きかの信仰、御利益(ごりやく)を求めているだけではないかと言われれば言い返せないような信仰であっても、それを受け止めてくださり、信仰者として認めてくださり、憐れんでくださり、救ってくださるということなのです。「あなたがたの信じているとおりになるように。」というイエス様の言葉はそういう意味なのです。それは先週見ました、12年間長血を患っていた女性をイエス様がいやされた時、イエス様は「あなたの信仰があなたを救った。」と言われましたが、その女性の信仰だって、この二人の目の見えない人の信仰と同じようなものだったでしょう。それをイエス様は信仰と認めてくださって、いやしてくださったのです。
イエス様は実にそのようなお方なのです。私共が信仰によって救われるとは、そういうことなのです。立派な信仰者になって、その立派な信仰によって救われるという話ではないのです。私共の救いは、ただイエス様によって為していただくのです。私共は、ただこのイエス様の憐れみにすがるだけです。イエス様は、このまことに情けない、有るか無きかの信仰を受け取ってくださり、いやしてくださり、救ってくださるということなのです。だから、12年間長血を患っていた女性のいやしも、この二人の目の見えない人のいやしも、私の話、私の救いの出来事と重なってくるのです。私共も、イエス様なら何とかしてくれる、そう思ってイエス様におすがりした。そうしたら、イエス様は本当に私を救ってくださった。そういうことでしょう。私共の中に、自らの信仰の強さを誇れる人など一人もいないでしょう。でも、それで良いのです。どうして、イエス様をそのような方として理解するのか。それは、イエス様が私のために十字架にお架かりになってくださった方だからです。
ここに聖霊という言葉は出て来ませんけれど、私は、これは聖霊のお働きが記されていると思っています。この二人の目の見えない人がイエス様を「ダビデの子」と呼んだこと、「わたしたちを憐れんでください。」と叫びながらイエス様について来たこと、そもそもイエス様にこの二人の目の見えない人が出会ったこと、ここに既に、聖霊なる神様のお働き、お導きがあったのです。この有るか無きかの信仰さえも、私共は自分で発見したり、自分で手に入れたものではありません。イエス様は、この二人の目の見えない人が自分を頼ってやって来た。この出会いの中に、イエス様は神様の御計画、神様のお導きというものを見て、二人をいやされた、救われたということなのだと思うのです。
7.イエス様が見えるようになる
この二人は目が見えるようになりました。二人はその見えるようになった目で何を見たのか。それは、自分の目の前に立っておられるイエス様の御姿でありました。自分をいやしてくださったイエス様の御姿でした。イエス様が見えるようになる。この目が開かれた二人に与えられた新しい景色、その真ん中にイエス様が立っておられたのです。
この目の見えない人のいやしの出来事は、教会の歴史の中で、霊的な目が開かれる出来事として受け止められてきました。イエス様の救いに与ることによって、私共はイエス様が見えるようになった。イエス様が誰であり、どのような方であるのかが分かった。そして、イエス様の愛、イエス様の憐れみ、イエス様の力に目が開かれ、このお方の守りと支えと導きの中にある自分の人生を再発見したのです。イエス様が見えるようになるということは、この方の御手の中にある私を見出すということです。私の人生は、私の力、私の努力、私の能力ですべてを切り開いてきたわけではない。私の人生は、イエス様の御手の中にあった。このことを再発見するのです。それがイエス様が見えるようになるということです。
8.誰にも知らせるな
さて、この二人にイエス様は、「このことは、だれにも知らせてはいけない。」と命じらました。それは、一つには、「ダビデの子」という言い方の中に、政治的メシア、力によってイスラエルという国を再び栄光に輝くものにする救い主というイメージがあったからでしょう。これを言いふらせば、イエス様を政治的メシアとして担ぎ上げる人が出て来るからです。イエス様は確かに「ダビデの子」であり、メシアでしたけれど、それは十字架にお架かりになるために来られたメシアでした。イスラエル民族の復興のためだけに来られた方ではなく、すべての人を神様の救いへと導かれるメシアとして来られました。その御業が完成されるのは十字架の死と復活によってです。ですから、それまでは誰にも知らせてはいけないと言われたのでしょう。また、このいやしの出来事を言いふらせば、人々はイエス様に対してそのような、目に見えるいやしばかりを求めに来ることになってしまうことを、イエス様は知っておられたからでしょう。
しかし、この二人の人はイエス様の言いつけを守らず、この出来事を言い広めてしまいました。この二人にしてみれば、こんな素晴らしいことをしてくださった方のことを黙っているなんて出来なかったのです。そもそも、今日まで目の見えなかった者の目が見えるようになれば、二人のことを知っている人々は、家族であれ、友人であれ、一体何があったのかと問わないはずがありません。そして問われれば、この二人もイエス様によっていやされたということを語らないわけにはいかなかったでしょう。イエス様の救いに与った者の口を閉じさせておくなどということは、出来ないことです。キリストの教会が語り続けて来たのも同じことです。黙ってなどいられなかったからです。
私共の有るか無きかの信仰を受け止めてくださり、十字架の上で私共の一切の罪を担う救いの御業を成し遂げてくださり、その救いに与らせてくださったイエス様を今、共々にほめたたえ、心からなる感謝を捧げたいと思います。
[2018年1月14日]