1.多様性を持ちつつ、信仰において一致しているキリストの教会
今、世界には20~22億人のキリスト者がおります。世界の3人に1人はキリスト者です。日本では人口の1%くらいなのですけれど、目を世界に広げますと、実にたくさんの人々がイエス様を我が主、我が神と信じ、祈りを捧げています。それだけの人々が信じているのですから、そのあり方も実に多様です。礼拝の仕方一つとっても、私共がいつもここで礼拝をしているあり方から見ると、これが同じキリスト教かと思うほどの多様さがあります。賛美の仕方も祈り方も説教のスタイルも違います。楽器の伴奏無しの賛美をしている教会もあれば、笛や太鼓を使って踊るように賛美をする教会もあります。決められた言葉で歌うように祈る教会もあれば、泣きながら叫ぶように祈る教会もあります。そのような礼拝に出席したら、私共はきっと戸惑うだろうと思います。自分はどう動いたら良いのか分からずに、ボーッとしてしまうかもしれません。
先週の金曜日、「世界祈祷日の集会」が富山新庄教会で行われました。富山市内の6つの教会(教団の3教会、カトリック、聖公会、小泉町のバプテスト教会)から婦人たちが集まって、御言葉を受け、祈りを合わせました。この6つの教会は毎年、富山市民クリスマスを一緒に行っている教会ですので、お互いに牧師の顔も知っておりますし、知り合いの信徒の方もおります。昨年は私共の教会が会場教会でした。この集会では、以前はWCC(世界キリスト教協議会)が作成しNCC(日本キリスト教協議会)が翻訳した冊子を用いておりましたが、十数年前からは、祈りの課題はその冊子を用いますが、祈祷会そのものは会場教会の礼拝の様式で行うことになりました。ですから、カトリック教会や聖公会で行う時は、式文を読むという形になります。私共は他の教会、まして違う教派の教会の礼拝に出席することはまずありません。礼拝堂に入ったことさえほとんどないでしょう。その意味では、いろいろなキリストの教会があるということを実感する、とても良い機会だと思っています。
確かに、礼拝の仕方、祈り方等、違う所は多々あるわけですけれど、同じ所、一致している所もたくさんある。そうでなければ、祈りを合わせることは出来ません。その同じ所というのは、父・子・聖霊なる神様を信じ、この方を拝み、この方に祈っているということです。ですから、一緒に祈れますし、賛美を共にすることが出来るわけです。聖書も同じですし、主の祈りも翻訳は違っていても同じ祈りです。キリストの教会は実に多様なあり方を持ちながら、しかし信仰においては一致している。そういう群れなのです。
2.12人の弟子
今朝与えられている御言葉は、十二弟子、これは「使徒」と呼ばれる特別な者たちですが、この12人の弟子がイエス様に選び出されたことが記されております。
イエス様は、この直前の9章37~38節で「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」と言われました。それに続いて、12人の弟子が選ばれ、召し出された。ですから、この12人は、まさにイエス様の収穫のための働き手として選び出されたということです。イエス様は、その収穫の働きを為すことが出来るようにと、この弟子たちに汚れた霊に対する権能をお授けになりました。汚れた霊を追い出し、病気や患いをいやす権能です。これは、イエス様が為された業を受け継ぎ、これを為す者として遣わされるためでした。この12人の弟子、使徒たちによってキリストの教会の歩みは始まり、この使徒たちによって始められた業が、今の私共の教会の歩みへとつながっているわけです。この弟子たち、使徒たちが何をするためにイエス様に遣わされたのかは、次の主の日に見てまいりますが、イエス様の救いの御業を為すためであったということは明らかなことでしょう。今日は、この選ばれた12人の弟子たちに目を向けたいと思います。
第一に、何故12人なのか。イエス様は、何故12人を選んだのか直接言ってはおられませんけれど、先程お読みいたしました創世記35章にヤコブの息子12人の名前が記されておりました。このヤコブの12人の息子たちからイスラエルの12部族が生まれるわけです。ヤコブの12人の息子とイエス様の12人の弟子。どちらも12人というのは偶然の一致ではないでしょう。イエス様は、ヤコブの12人の息子たちに倣って12人の弟子を選ばれた。そう考えるのが自然です。それは、この12人の弟子、十二使徒によってキリストの教会が建てられていくからです。つまり、旧い神の民イスラエルに対して、新しい神の民としてのキリストの教会、それを意図してイエス様はこの12人の弟子を選ばれた。そう考えて良いと思います。
では、この12人はどんな人たちだったのか。実に多様な人たちでしたけれど、共通しているのは、当時のユダヤ社会におけるいわゆるエリート層の人ではなかったということです。それともう一つ、皆若かったということです。一人の人間として見れば、他の人から尊敬されるような人格者でもなければ、立派な教育を受けたような人でもなく、欠けを挙げればきりがないような若者ばかりだったということです。しかし、イエス様はこの12人を選ばれた。このイエス様の選び、これしかこの12人を特別な者とする根拠はありません。それは、いつの時代、どの国におけるキリストの教会においても同じことです。イエス様が選んでくださった。何故だか分かりませんけれど、選んでくださった。そして、務めを与えてくださった。そこに、この12人の特別さ、そしてキリストの教会の特別さというものがあるということです。
具体的に見てまいりましょう。
3.ペトロと呼ばれるシモン
最初にペトロと呼ばれるシモンが出てきます。本名はシモンです。イエス様がペトロという名を与えられました。この経緯はマタイによる福音書16章13節以下に記されております。十二使徒のリストはマルコによる福音書やルカによる福音書にも記されておりますけれど、その最初に出てくるのは必ずペトロです。彼が十二弟子の筆頭であったことは間違いないでしょう。彼はガリラヤ湖畔の漁師でした。
マタイによる福音書16章13節以下には、イエス様の「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」という問いに対して、ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です。」と答え、これがイエス様に対する最初の信仰告白と言われています。その告白に対して、イエス様は「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と言われました。ローマ・カトリック教会は、「この岩」というのをペトロ個人と理解し、ペトロの後継者であるローマ法王がキリスト教会のトップなのだと言っているわけです。私共は「この岩」というのはペトロの告白のことで、イエス様をメシア、キリスト、神の子と告白した、この告白の上に教会は建つと理解します。確かに、ペトロはイエス様に対して初めてキリスト告白をした人でありますけれど、その直後にイエス様が十字架と復活の予告をされますと、イエス様に対して「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」といさめ、逆にイエス様から「サタン、引き下がれ。」と言われた人です。
また、ガラテヤの信徒への手紙2章11~12節には、「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。」とあります。ケファ、これは岩を意味するヘブル語で、他の弟子たちはペトロのことをそう呼んでいました。ペトロは、初代教会の大問題であった、異邦人とユダヤ人の食物をめぐる対立の中で、何を食べようと救いには関係ないという福音にしっかり立たずにユダヤ人の顔色をうかがったので、パウロは面と向かってペトロに反対したと言われています。ペトロは、決して強い人ではなかったのです。もっと言えば、イエス様が十字架に架けられた時、イエス様を知らないと三度言ってしまうような人だったのです。
「だからペトロはダメだ」ということなのでしょうか。そうではありません。そのようなペトロが選ばれ、使徒の筆頭とされたのです。それは、キリストの教会というものは、人間の力や知恵によって建っていくものではないからです。ただ、イエス様の愛と憐れみ、守りと導きの中で建っていくものだからです。そのことが明らかになるために、ペトロは選ばれたのです。私共とて同じです。信仰深いから、まじめだから、人柄が良いから、イエス様は私共を選ばれたのではありません。ただ、イエス様の愛と真実と力が明らかになるために私共は選ばれ立てられているのです。ペトロは紀元67年頃にローマで殉教しました。
4.アンデレ
次に、ペトロの兄弟であるアンデレですが、彼もまた漁師でした。彼は、イエス様に洗礼を授けたヨハネの弟子でした(ヨハネによる福音書1章35~42節)。その洗礼者ヨハネからイエス様が救い主であることを示されます。そして、兄弟であるペトロにイエス様を紹介しました。彼は、ギリシャで紀元60年頃に殉教したと言われます。
5.ゼベダイの子ヤコブとヨハネ
次に、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ。彼らもまた漁師でした。マルコによる福音書3章17節には、この二人に対して「ボアネルゲス(雷の子ら)」というあだ名をイエス様が付けられたと記されています。気性が激しかったのでしょう。彼らはイエス様に「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」(マルコによる福音書10章37節)と言ったことがありました。12人の弟子の中でさえも上下の関係で見ていた。人と比べて自分が上にという思いから離れられなかったのです。しかし、彼らは変わります。ヤコブは紀元44年頃エルサレムで殉教します。十二使徒の中で最初の殉教でした。
そして、ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれるほどに、「互いに愛し合いなさい。」が口癖だったと言われています。手紙を3つ書き、聖書に残りました。彼は紀元100年頃に90歳を越えて死んだと言われています。彼も変えられたのです。
6.フィリポとバルトロマイ
フィリポとバルトロマイ。ヨハネによる福音書1章43~51節に、フィリポは、イエス様に「わたしに従いなさい。」と言われて従ったと記されています。バルトロマイは、この時フィリポによってイエス様の所に連れて行かれたナタナエルではないかと言われています。バルトロマイはアルメニアやペルシャに伝道したと伝えられています。フィリポもバルトロマイも殉教しました。
7.トマス
トマスは、イエス様が復活されて弟子たちにその姿を現された時にそこにおらず、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(ヨハネによる福音書20章25節)と言った人です。彼はインドにまで伝道し、その地で殉教しました。
8.徴税人のマタイと熱心党のシモン
徴税人のマタイ。彼は収税所に座っている時に、イエス様に「わたしに従いなさい。」と言われて、イエス様に従いました(マタイによる福音書9章9節以下)。そして、熱心党のシモンです。徴税人のマタイと熱心党のシモンがいる所に、イエス様の弟子の多様性がはっきり表れています。徴税人というのはローマの権威でユダヤ人から税金を取り立てる、いわばローマの手先です。一方、熱心党というのは、ユダヤ教の神様こそ唯一であるとするのは良いのですが、そのユダヤがローマに支配されているのが許せない。今の言葉でいえば、ユダヤ民族主義者、ユダヤ国粋主義者と言っても良いでしょう。そして、そのためには手段を選ばない、ユダヤにおける右翼のテロリスト集団です。この徴税人と熱心党の人が同じ所にいるというだけでもあり得ないことでした。そして、この徴税人も熱心党の人も、当時のユダヤにおいては、多分、世間から相手にされなかったような人たちだったと思います。しかし、徴税人であったかどうか。熱心党の者であったかどうか、そんなことは少しも問題にならない。それがイエス様の弟子たちの集団だったのです。ただ、イエス様がこの二人を弟子として選ばれた。そして、二人は一緒にイエス様の弟子として働いたのです。マタイはマタイによる福音書を記し、熱心党のシモンはエジプト、メソポタミアに伝道し殉教したと言われます。
9.アルファイの子ヤコブとタダイ
アルファイの子ヤコブとタダイについてはよく分かりませんが、二人ともペルシャに伝道し、その地で殉教したと伝えられています。
10.イスカリオテのユダ
最後に、イスカリオテのユダです。彼は、イエス様を銀貨30枚で売った裏切り者です。どうして彼が十二弟子の中に選ばれたのか。このことについては、昔から多くの議論がされてきました。本当の所は分かりません。しかし、こうは言えると思います。イエス様を裏切ったのはユダだけじゃない。ペトロも三度知らないと言ったし、他の弟子たちもみんな逃げたのです。しかし、彼らは復活の主に出会って、イエス様こそまことの神の子であるとの信仰を新たにされ、全世界に出て行った。一方、ユダは裏切ったという所で終わってしまった。イエス様を裏切るとすぐに自殺してしまったからです。ユダが救われるかどうか、私には分かりません。ただ、はっきりしていることは、ユダだけが罪の誘惑に負けたのではないけれど、他の者たちはみんな立ち直った。新しくされたということです。復活のイエス様に出会い、再びイエス様の弟子として召し出され、全世界に遣わされていったのです。しかし、ユダはそうではなかった。
イエス様の弟子たちの多様性を今日はみましたけれど、この多様性には限界がある。そのことをユダの存在は示しているように思うのです。私共は弱い。罪も犯すだろう。だけど、復活のイエス様によって生まれ変わるのです。新しくされるのです。罪の赦しの中で生き直すことが出来るのです。何度でも、何度でもです。それは、聖霊なる神様によって与えられる救いの道です。しかし、この聖霊なる神様による御業を拒めば、私どもはユダになるしかない。罪の中に留まり、自己完結してしまう。それはイエス様の弟子たちの多様性を超えている。私共はユダになってはいけないのです。イエスは主なり。主は私のために十字架に架かり、復活され、今も生きて働いておられる。この方によって私は救われた。この一点を抜いてしまえば、私共はイエス様の弟子ではなくなってしまうのです。この一点を抜いてしまえば、キリストの教会は多様性を有するのではなく、単なるバラバラな人間の集まりに過ぎなくなってしまいます。
私共は今から聖餐に与ります。この聖餐の恵みこそ、多様性を持ちつつ、私共を一つに結ぶものです。ただ一つのキリストの命に与る、一致のしるしなのです。キリストの教会は二千年の間、この聖餐に与る群れとして歩んで来ましたし、これからも歩んでいくのです。ここに多様な私共を結び付ける、ただ一つの命、キリストの命があるからです。
[2018年3月4日]