日本キリスト教団 富山鹿島町教会ホームページ|礼拝説教

礼拝説教

「宮清め」
イザヤ書 56章1~8節
マタイによる福音書 21章12~17節

小堀 康彦牧師

1.はじめに
 今朝与えられております御言葉は、イエス様の「宮清め」と呼ばれている場面です。イエス様はろばの子に乗ってエルサレムに入られました。神の都エルサレム。エルサレムには神殿があり、そこに神様が御臨在されると受け止められていて、それで神の都と呼ばれていました。イエス様はこの神の都の王としてエルサレムに入城されました。それは神の御子、まことの王として、また平和の王、柔和な王としての入城でした。
 そのイエス様が真っ先に向かわれたのは、エルサレム神殿でした。力の王であったならば、その行き先は、ヘロデ王がいる所か、ローマ総督ピラトのいる所だったでしょう。しかし、イエス様は神の御子、平和の王として来られた方でしたので、父なる神の家である神殿に行かれました。それは、何よりも神様との関係を新しくすることこそ、イエス様の為すべきことだったからです。そこで何をしたのかと言いますと、12節「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。」ということでした。このイエス様の荒々しい姿にいささか戸惑う人もいるかもしれません。イエス様はお優しい方ではないのか、どうもこの時のイエス様の姿はイメージと合わない、と思われる方もおられるでしょう。しかし、これもまた、イエス様の本当の姿なのです。それは、人間の罪というものをそのまま見過ごすお方ではないということです。

2.エルサレム神殿
 エルサレム神殿は当時のユダヤ教の中心です。言うなれば、ここで行われる礼拝がユダヤ教における正式の礼拝でした。そして、ユダヤ人の男性は必ずエルサレム神殿にお参りしなければなりませんでした。イエス様がエルサレムに入城されたのは過越の祭りが近づいていた時でしたので、ユダヤ全土から、更にはローマ帝国中に散らばっていたユダヤ人の多くも、エルサレム神殿にお参りするためにエルサレムに集まって来ておりました。通常の人口の何倍もの人々がエルサレムに集まり、エルサレム神殿に詣でていた。ですから、この時エルサレム神殿は人々でごった返しておりました。
 当時のエルサレム神殿の礼拝がどうなっていたか、お話ししましょう。ソロモンによって建てられたエルサレム神殿は、B.C.587年バビロンによって南ユダ王国が滅びた時に、破壊されてしまいました。この神殿をソロモンの神殿とか、第一神殿と言います。そして、B.C.538年にバビロン捕囚から解放された人々が、戻って来て真っ先に取り組んだのがエルサレム神殿の再建でした。再建はなかなか進みませんでしたけれど、エズラそしてネヘミヤによって再建されます。これはソロモンの神殿に対して、第二神殿と呼ばれます。そしてイエス様の時代、この第二神殿がヘロデ大王によって大改修されます。その工事はB.C.20年から50年間も続き、神殿はきらびやかに、豪華になりました。神殿の大きさは南北500m、東西300mもあり、朝日に照らされると光り輝いたと言われています。
 その構造は、門を入るとまず、高い壁の内側にぐるりと「異邦人の庭」と呼ばれる広場がありました。異邦人の庭までは、異邦人も障害を持った者も子供も入れます。そして、その中に更に高い壁があり、「美しの門」と呼ばれる門から入ると、「婦人の庭」と呼ばれる所があります。ユダヤ人でも、婦人はそこまでしか入れません。更に「ニカノル門」を通ると、礼拝する所に出ます。そこには祭壇があり、牛や羊や鳩などが焼かれて神様に献げられます。そして、その後ろに聖所があり、そこには祭司しか入れません。その聖所の奥には至聖所があって、そこは大祭司が年に一度だけ入れる所でした。

3.異邦人の庭で
 イエス様が宮清めをされたのは、異邦人の庭でのことだったと思われます。ここで、神殿に献げるいけにえの動物が売られ、神殿に献げる貨幣に両替されていました。どうして神殿に献げる動物がここで売られていたかと申しますと、神様に献げる動物は傷の無いものでなければなりませんでした。しかし、エルサレムに巡礼に来る者たちは、何日もかけて遠くからやって来るわけです。何週間もかかって遠くローマから来る者もいたでしょう。そのような巡礼者たちが、献げる動物と一緒に旅をするのは大変なことです。しかも途中で動物に傷が付いてしまえば、それは献げられなくなってしまいます。それで、これは傷の無い、献げ物に適した動物ですよと神殿がお墨付きを与えた動物が、神殿で売られていたわけです。当然、神殿の外で買うより高い値段です。神殿の外で買うより何倍かの値段で売られていましたが、人々はここで献げ物の動物を買って、祭壇がある所へと進んで行きました。
 また、両替というのは、エルサレム神殿に献げるお金は、ローマのコインではダメだったのです。ローマのコインにはローマ皇帝のレリーフが刻まれているので、偶像礼拝を禁じるユダヤ教ではふさわしくないと考えられていました。そこで、ユダヤが独立していた時代の貨幣に交換して献げていたのです。しかし、その貨幣は神殿の外では通用しません。現代の日本で考えれば、私共が使っているお金ではなく、寛永通宝のような昔の貨幣に替えなければならなかったということです。そのための両替です。当然、手数料が取られます。そして、ここで商売していた人々から、神殿に上納金が納められていました。
 しかし、いけにえの動物を売る人々も、両替をしていた人々も、多くの巡礼者が必要とするサービスを提供していただけ、と言って良いと思います。何か悪いことをしていたわけではありません。では、イエス様はここで何を為さったのでしょうか。
 イエス様はこの時、ここで商売をしていた人々だけに怒って、両替人の台をひっくり返したり、鳩を売る者の腰掛けを倒したりされたのではありません。聖書は、「そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し」と記します。売っていた人たちだけではなくて、買っていた人たちも追い出した。つまりイエス様は、このように献げ物をすればそれで自分は神様に赦され、神様に守っていただけると考える、その信仰のあり方、神殿礼拝のあり方そのものを、それは違う、御心に適うものではない、そう言葉と行動で示されたのです。

4.強盗の巣にしている
 そのことが、イエス様がこの時にお語りになった言葉に示されています。13節にありますイエス様の言葉は、二重かぎ括弧を付けて、『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』とあります。この二重かぎ括弧は旧約からの引用を示しているのですが、これは先ほどお読みいたしました、イザヤ書56章7節の言葉です。しかし実は、その後の「ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」という言葉も、エレミヤ書7章11節の言葉です。
 まず、エレミヤ書の方から見てみましょう。この「強盗の巣」という強烈な言葉ですが、これは「巡礼者たちに高い動物を売りつけ、両替手数料を取って私腹を肥やす強盗たちめ。」とイエス様が言われた、そんな風に読みそうです。しかし、イエス様がお語りになったのは、そういう意味が全く無いとは言いませんが、エレミヤ書が語っている文脈はそうではありません。エレミヤ書7章2節b~6節を見ますと「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダヤの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。」とあります。そして、8~11節「しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。」とあります。つまり、主の神殿がある、主の神殿があるから大丈夫だ、そう言って自らの日々の歩みを省みず、盗み、殺し、姦淫し、異教の神々を拝んでいながら、神殿に来ては「救われた」と言う。そんなお前たちが集う神殿は、強盗の巣窟ではないか。そうエレミヤは告げたのです。イエス様は、エレミヤが「強盗の巣窟」と見た神殿礼拝と、今目の前で為されている神殿礼拝は、何も変わっていない。いけにえを献げればそれでOK。けれど、神様を拝むということが、そんな安易なことであるはずがない。そう言われたのです。
 これは私共にも向けられている言葉です。私共はイエス様の十字架によって救われました。そうである以上、このイエス様の十字架にお応えする者として生きる。そのことが欠けてしまったのならば、私共の礼拝は真実な礼拝とはなり得ないということでありましょう。私共と神様との交わりは、この主の礼拝の時だけのものであるはずがありません。主の日の礼拝において、父・子・聖霊なる神様との交わりを与えられた私共は、御国に向かっての六日間の歩みへとここから押し出されていくのです。悔い改めた者としての歩みが、この礼拝から始まっていく。そうでなければ、私共の礼拝もまた、「強盗の巣」ということになってしまうでしょう。

5.わたしの家は祈りの家
 次に、イザヤ書の引用の方を見てみましょう。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」この「わたし」というのは神様です。ですから、わたしの家とは神様の家のことであり、つまり神殿です。それは祈りの家と呼ばれるべきだ、というのがイザヤ書から引用された言葉の意味です。しかし、そうなっていない。そうイエス様は言われたのです。イザヤ書56章は、3~5節aを見ますと「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も言うな、見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる、宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名をわたしの家、わたしの城壁に刻む。」と告げています。異邦人も、宦官も、神殿で礼拝することが許されなかった人たちです。しかしイザヤは、そのような者たちも神様は覚えておられると言いました。そして、イザヤ書56章7節で「わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら、わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」と告げたのです。最初に申しましたように、イエス様の時代でも、異邦人や障害を持った人たちは「異邦人の庭」までしか入れなかったのです。婦人たちは「婦人の庭」にまでしか入れなかった。しかし、それは神様が求める祈りの家の姿ではない。異邦人も障害を持った人も、すべての者が神様に祈りを捧げ、献げ物を献げるなら、神様はそれを受け入れると約束されたではないか。それなのに、どうして異邦人の庭、婦人の庭というように、すべての人が神様の前に集うことができない礼拝をこの神殿で行い、これこそが最も正しい、最も正式な礼拝だなどと言っているのか。この神殿は神様の御心に適った祈りの家になっていない。そうイエス様は言われたのです。
 ですから、14節において「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。」とありますように、イエス様は目の見えない人、足の不自由な人、献げ物を献げる所まで入ることができない人々をいやされて、神様がこのような者たちも憐れんでおられ、このような者たちの祈りをも聞かれるのだということをお示しになったのです。
そしてこの時、子供たちまでもがイエス様に「ダビデの子にホサナ。」と叫んだ。子供たちは「ダビデの子にホサナ」という言葉の意味が分かっていたわけではないでしょう。でも子供たちは、イエス様がエルサレムに入城された時に、皆が口々にそう叫んでいるのを聞いていた。そして、目の見えない人や足の不自由な人がいやされるのを見て、人々と一緒になってこう叫んだのです。当時の感覚では、子供たちというのは可愛らしい者の代表ではありません。そうではなくて、何もできない者、価値のない者、そういうものの代表でした。しかし、目が見えない人、足の不自由な人、何もできない人、そういう人々が神様の憐れみを受け、神様と共に生きる道が開かれている、そのことを示すためにイエス様は来られたのです。それがイエス様の十字架でした。イエス様の十字架によって示される神様の御心を、イエス様はここで言葉と業をもって示されたのです。

6.祭司長や律法学者は腹を立てた
 これに対して、祭司長や律法学者といった当時のユダヤ教の指導者たちはどう思ったのか。15~16節b「他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。『子供たちが何と言っているか、聞こえるか。』」とあります。彼らは腹を立てたのです。
 イエス様の同じ言葉を聞き、同じ業を見ながら、彼らは腹を立て、子供たちは「ダビデの子にホサナ。」と叫んだのです。そして、祭司長たちや律法学者たちは、「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」とイエス様に言います。これは、「子供たちがお前に向かって『ダビデの子』と言っているが、これは神様を冒瀆することではないか。聞こえているなら、どうしてさっさと止めさせないのか。」そう言ったのです。イエス様の同じ業を見、同じ言葉を聞いても、それに対して全く反応が違う。それは、祭司長たちや律法学者たちには守るものがあり、それをイエス様に脅かされると思ったからです。自分の権威、自分の立場、自分の正しさ、今までの習慣、そういうものを脅かされると思った。それは正しい感覚でした。イエス様はエルサレム神殿における礼拝ではなく、いつでもどこでも誰でも神様に向かって祈り、礼拝を捧げることができる新しい神様との交わりを与えるために来られた方だったからです。この神殿でのイエス様と祭司長たちや律法学者たちとのやり取りは続いていきます。そして遂には、イエス様は彼らに十字架に架けられて殺されることになってしまいます。しかし、その十字架の死によって、その後に続く復活によって、更にはペンテコステの出来事によって、イエス様による新しい礼拝が、キリストの教会という新しい祈りの家が生まれることになるのです。神様の御業は、人間の力によって阻止することなど出来はしないのです。

7.幼子さえも
 さてイエス様は、祭司長たちや律法学者たちの問いに対して、「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」とお答えになりました。彼らは聖書の専門家です。読んだことがないはずはなく、知らないはずもありません。これは詩編8編の冒頭の言葉です。詩編8編では、天、月、星といった壮大な神様の創造の御業に対して、幼子も乳飲み子も神様をほめたたえる、と歌われています。つまりイエス様はこの詩編8編の冒頭の言葉を引用して、「天や月や星といった、誰が見ても明らかな神様の大いなる御業を幼子や乳飲み子さえ誉め讃える。それと同じように、わたしが今為したいやしの業は、誰が見ても神様をほめたたえないではいられない出来事ではないか。実際、幼子たちは『ダビデの子にホサナ』と言っている。それなのに、あなたがたはそうではなく、腹を立てている。何とかたくななのか。」そう言われたのでしょう。
 彼らは聖書を知っていました。全部覚えるほどに知っていました。しかし、その中心が分からなかった。イエス・キリストというお方によってすべての民を救いへと導くという神様の御計画が分からなかった。だから、「聖書読みの聖書知らず」になってしまったのです。そして、聖書なんて読むことさえできなかった人々に、神様はその救いの筋道を明らかにされたのです。
 私共もそうです。聖書を知らず、それ故に神様に造られたことも、神様がどんなに私共を愛してくださっているかも知らず、自分の思いのままに生きていた。そのような私共を、なおも神様は愛してくださり、招いてくださり、聖霊を注ぎ、信仰を与え、神の子としてくださいました。何とありがたいことかと思います。この恵みに感謝し、この時の幼子たちのように、共々にイエス様をほめたたえたいと思います。ここに、イエス様に与えられた私共の礼拝がある。この教会が祈りの家として立ち続けてきた中心がある。イエス様を我が主、我が神と拝み祈る時、聖霊なる神様が私共のただ中に御臨在され、私共自身が神の宿となるのです。

[2020年2月9日]