1.はじめに
先週、北陸連合長老会の牧師会が行われました。個人加盟の牧師も出席しまして、10名ほどの牧師が集まりました。いつものように説教の演習と神学の学び、そして各教会の様子を報告し、祈りを合わせる時を持ちました。その日の牧師たちの男女比は5対5でした。今では女性の牧師は少しも珍しくなくなりました。東京神学大学の在校生の男女比は学年によって違いますが、半々とまではいかなくとも男性3に対して女性が2くらいにはなっています。神様は男と女を半々に造られているのですから、このようになりますのも当然のことなのでしょう。勿論、まだ女性が教師になることを認めていない教会も少なからずあります。ローマ・カトリック教会やギリシャ正教等の東方教会などが代表的なものですし、聖公会はこの問題を巡って大きく揺れています。けれども、私共の教会の伝統においては、旧日本基督教会が1933年(昭和8年)に高橋久野、翌年の1934年(昭和9年)には植村環の按手を行っています。これは世界的にも最初期の女性牧師の誕生でした。
社会における女性の立場や地位ということについては、国や時代によって大きく異なります。日本においては、教会も含めて、女性の立場や地位が欧米に比べて低いということがよく指摘されます。そうなのかもしれません。ただ教会においては神様の召しというものがあって、それに応える形でそれぞれの奉仕の場が与えられます。ですから、神様の召しがあってもそれに応える道が、男か女かということによって閉ざされるようなことがあってはならないだろうと思います。
2.神様の選びには男も女もない
今朝与えられておりますのは、女性で士師として立てられたデボラについての御言葉です。士師記の中に、士師は12名出てきます。その中で女性の士師はこのデボラだけです。女性は士師の中で12分の1です。この人数のことだけ見ますと、旧約の時代は女性が指導的立場に就くということは極めて珍しいことだったとは言えるでしょう。しかし、大切なことは神様の召しです。神様は女性であるデボラを士師として選び、立てられました。ですから、この神様の召しということについては、女性であるか男性であるかということは関係ないことだ。そのように言うことは出来ると思います。男性と女性の間に性における差があることは確かです。男性は出産出来ないというのは典型的な例です。しかし、神様の御業が為されるために、神様が選び、立てられる時、男女の差が決定的な意味を持つわけではないことをこのデボラの存在は私共に教えています。
男性であるか女性であるかということは、私共の意識というものに大きく作用しているものです。しかし、神様はそのような私共の意識の中にはおられるわけではありません。ですから、私共の意識を超えて、神様は神様自身が必要であると思われる者を選び、召し出し、立てられるわけです。現在、私共の教会の長老は全員男性で、執事が全員女性ということになってしまっているのですけれど、長老は男性、執事は女性、そんな決まりなど全くありません。最近この教会に来られた方はそんな印象を持っておられるかもしれませんが、私がこの教会に赴任してきた時には女性の長老もおりましたし、男性の執事もおりました。神様の選びには男と女の差はないということを、今朝は与えられている御言葉に出てくる二人の女性の話からしっかり受け止めたいと思います。
3.女性の士師デボラ
一人目はデボラです。1~4節を見てみましょう。「エフドの死後、イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、主はハツォルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡された。ヤビンの将軍はシセラであって、ハロシェト・ハゴイムに住んでいた。イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫んだ。ヤビンは鉄の戦車九百両を有し、二十年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけたからである。ラピドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。」
士師記の定型の出だしです。3章に記されています士師エフドはモアブと戦い、これに勝利したイスラエルには80年間の長きにわたる平和が来ました。しかし、士師エフドが死ぬと、「イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行」ってしまいます。偶像礼拝です。そして、神様は「カナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡され」ました。ヤビンは「鉄の戦車九百両」を持っていました。これがどれ程すごいかと言いますと、出エジプト記14章に記されております、エジプトを脱出したイスラエルを追いかけてきたエジプトの軍勢は「えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し」たものでした。出エジプトの時の方が少し時代が前だとはいえ、エジプト軍を上回るような大軍勢をカナンの王ヤビンは持っていたということです。この戦車というのは馬に引かせる二輪の馬車のようなものです。これが、当時の最先端の武器でした。一人が馬を扱い、一人が矢を放ち、一人が盾を取る。しかもこの戦車は「鉄の戦車」とあります。たぶん鉄で補強するなりされた、頑丈なものだったのでしょう。鉄は最先端の金属で、イスラエルの人々はまだこれを自分たちで造り出すことは出来ませんでした。カナンの王ヤビンの軍勢は、「鉄の戦車」まで持っていたのですから、先端が鉄の矢や槍も持っていただろうと思います。一方、イスラエルの人たちの武器はこん棒や石です。これではまともな戦いにはなりません。ですから、20年にわたって力ずくでヤビンはイスラエルを押さえつけたのです。そして、「イスラエルの人々は、主に助けを求めて叫」びました。それに神様が応えて、イスラエルを救うために立てられたのが士師デボラでした。
このデボラについて「ラピドトの妻、女預言者デボラ」と聖書は言います。デボラは結婚していて、夫もいました。更に5節を見ますと「彼女は、エフライム山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下に座を定め、イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていた。」とありますから、預言者として、裁き司として、既にデボラは働いていたわけです。そういう中で、彼女は特別な神様の召しを受けました。それが、イスラエルを圧迫しているカナンの王ヤビンを討つというものでした。6~7節「さて、彼女は人を遣わして、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せて言った。『イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。「行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す」と。』」 イスラエルを支配していたカナンの王ヤビンを倒す。その為にナフタリとゼブルンの1万人を集め、ナフタリのバラクにその軍勢を率いさせる。そうデボラは神様に告げられて、それをバラクに告げました。
4.バラク、そして1万人の民と共に
士師の多くは、自らが先頭に立って敵と戦いました。中には単身で闘った者もいます。サムソンなどはその例です。しかし、士師デボラは戦いの前線で、先頭に立って戦ったわけではありませんでした。彼女はバラクという人を立て、ナフタリとゼブルンの1万人によってカナンの王ヤビンを倒すという神様の御計画を知らされ、それを為すように神様に命じられ、その言葉通りに行いました。自分が先頭に立つのか、一人でやるのか、或いは誰かを別のリーダーを立てるのか。それは神様がお決めになることです。大切なことは、召されたことに忠実であるということです。デボラはバラクに、ナフタリとゼブルンから闘う者1万人を集め、これを率いていくように告げます。それが神様によって告げられたことだったからです。
なぜナフタリとゼブルンという二つの部族からだったのかという疑問を持たれるかもしれません。それは神様がお決めになったことですから、本当の理由は分かりません。ただ、カナンの王ヤビンはハツォルを治めていました。このハツォルという町はガリラヤ湖の北20キロメートルほどにある町です。皆さんの聖書の巻末にあります地図3を見ますと、ハツォルはナフタリ族に分け与えられた土地にありました。そして、戦場となったキション川はゼブルン族に分け与えられた土地でした。この土地の分配はヨシュア記に記されていますけれど、イスラエルがその土地のすべてを占領して分配したわけではありません。まだ征服していない土地も含めて、この土地はこの部族のもの、というように分配されました。将来ここを征服したならば、それはその分配された部族のものといった具合です。それで、この土地を分配された二つの部族が担当となり、二部族から招集された者がカナンの王ヤビンと戦うことにされたのでしょう。ただ5章を見ますと、この戦いに参加したのは完全にナフタリとゼブルンの二部族だけからではなかったようです。主力がこの二部族だったということなのでしょう。キション川は地図5に記されています。カルメル山の麓を流れて地中海に注ぐ川です。
イスラエルのこの1万人という数は相当多いと思われる方もいるでしょうけれど、900の鉄の戦車に比べれば、比較にならない程の兵力だったと考えて良いでしょう。馬に引かれた二つの車輪のついた戦車というのは、通常それだけがあるわけではなくて、当然、歩兵が一緒にいるわけです。戦車一台に対して仮に50名の歩兵がいたとしても、5万人の兵力になります。そしてその兵士たちは武装しているわけです。一方イスラエルの1万人はいわゆる民兵であり、武器は石とこん棒。相手は鉄を使うことが出来、槍を持ち、弓を放ち、鎧も身に着けている。そして最新鋭の戦車を連ねて攻めてくる。とてもまともな戦闘にはならない。兵力、装備だけを見れば、当然そう判断するしかありません。しかし、これは主の戦いです。士師デボラは主の言葉を、「行け、ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し、タボル山に集結させよ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す。」との言葉を告げました。神様が「わたしは彼をお前の手に渡す」と言われた。この言葉によって始まった戦いでした。神様は士師デボラにバラクと1万人の闘う者を与え、これと共に戦わせました。デボラは一人ではありませんでした。主の戦いは、このように共に闘う者をも備えられるのです。
この言葉をデボラから告げられたバラクはこう答えます。8節「バラクはデボラに言った。『あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません。』」何か弱々しい感じがします。それに対してデボラは「わたしも一緒に行きます。」と答えます。何かデボラとバラクの関係が、母と息子のようにも思えます。5章は、この戦いの後でデボラとバラクが歌った歌ですが、その7節で「わたしデボラはついに立ち上がった。イスラエルの母なるわたしはついに立ち上がった。」と歌われています。実にデボラはイスラエルの母として、イスラエルを守るために立ち上がりました。そして、バラクはこのデボラの言葉によって立たされたのです。デボラは神様に召し出され、立ち上がった。そして、彼女は一人ではなかった。これはとても大切なことでしょう。
5.神様の時、神様が先頭に立って
デボラとバラクと1万人の兵はケデシュに集結し、それからタボル山に陣を敷きました。タボル山というのは、ガリラヤ湖南端の西方約20kmの地点にあるおわん型の山で、標高575mの山です。高く険しい山ではありません。ここからは、イズレエル平野がすべて見通せます。陣を敷くには絶好の場所でした。そして、カナンの王ヤビンの将軍シセラは、鉄の戦車900台をはじめ全軍をキション川沿いに展開しました。その時です。デボラはバラクに告げました。14節「立ちなさい。主が、シセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか。」この言葉と共に、バラクと1万の軍勢は、タボル山から一気にキション川沿いに展開していた将軍シセラの率いるカナンの王ヤビンの軍勢目がけて駆け下りました。聖書は、15~16節「主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた。バラクは、敵の戦車と軍勢をハロシェト・ハゴイムまで追いつめた。シセラの軍勢はすべて剣に倒れ、一人も残らなかった。」と告げています。
ここでどういう戦いが行われたのか、正確には分かりません。ただ5章20節には「もろもろの星は天から戦いに加わり、その軌道から、シセラと戦った。」とありますので、夜、闇夜を突いての奇襲ではなかったかと言う人もいます。また5章21節には「キション川は彼らを押し流した。」とありますので、いつもは水が干上がっていて雨期になると濁流になるキション川が、この時洪水のような勢いで流れはじめ、シセラの軍勢を飲み込んだのではないか、またその雨のぬかるみの故に戦車は自由に動くことが出来ずに、バラクが率いるイスラエル軍と戦うことなく破れたのではないか。そう考える人もおります。具体的なことは分かりません。確かなことは、バラクに率いられたイスラエル軍が勝利し、シセラの軍勢はすべて剣に倒れ、一人も残らず全滅し、敵の将軍シセラは戦車を降りて一人逃げ去ったということです。聖書はそれを神様の勝利として告げます。そして、この日を境に、イスラエルの人々はカナンの王ヤビンを圧することが出来るようになり、遂にはヤビンを滅ぼすに至りました。そして、イスラエルはこれから40年にわたって平和になったのです。
神の民にとって、主が先立ってくださり自分たちに勝利を与えられたという、この経験が何より大切なのです。主が生きて働いて、私共に先立って戦ってくださっている。この経験です。これは誰かから言われて、そういうものかと思うということではありません。実にリアルな、生ける神様との出会いです。ここに私共の信仰、神の民の信仰が確かにされていく道があります。神の民は繰り返し繰り返し、この経験をさせていただき続けてきました。それが神の民である教会の宝です。それは一人一人のキリスト者の人生において起きた出来事という場合もありましょうし、教会全体が味わった出来事である場合もありましょう。そして、私共の信仰の歩みは、この経験を共有していく中で営まれていくのです。そしてその最大の出来事が、イエス様の十字架と復活という出来事なのです。この今も生きて働き給う神様との出会いの共有、交わりの共有、神様の出来事の共有、そこにキリストの教会は建っています。
6.もう一人の女性、ヤエル
さて、戦車を捨てて逃げていった敵の将軍シセラはどうなったでしょうか。17節「シセラは、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に走って逃げて来た。ハツォルの王ヤビンと、カイン人ヘベル一族との間は友好的であったからである。」とあります。彼はカイン人へベルの妻の天幕に逃げ込みました。自分の王であるヤビンとカイン人へベルの一族が親しかったので、かくまってくれると思ったからです。へベルの妻ヤエルは、シセラが来ると天幕に迎え入れ、布で覆ってやり、水が欲しいと言えばミルクを飲ませました。ところがヤエルは、シセラが寝込んでから忍び寄って、彼のこめかみに釘を打ち込んで殺してしまったのです。どうして、彼女がそのような事をしたのか、理由は分かりません。カイン人ヘベル一族もイスラエルの神様を信じていたのかもしれませんし、カイン人へベルの一族がハツォルの王ヤビンと親しくしていたのは、単にヤビンの兵力を恐れてのことであり、その兵力がなくなれば「もう、言うことを聞かなくてもいい。」ということだったのかもしれません。理由は分かりません。しかし、聖書はこれもまた神様の御手の中の出来事であったと告げています。と言いますのは、9節でデボラがバラクに対して「わたしも一緒に行きます。」と答えた時、同時に「ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」と答えています。「主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」と言われた女性、それはデボラではなく、このヤエルのことでした。イスラエルと将軍シセラとの間に戦いが始まる前から、神様はこのことを告げておられました。神様はすべてを御存知でした。
最初に、二人の女性の話から、神様の選びには男と女の差はないということをしっかり受け止めたいと思うと申しました。士師デボラもへベルの妻ヤエルも、用いられ方は違いますけれど神様の御計画の中で用いられました。5章24節では「女たちの中で最も祝福されるのは、カイン人へベルの妻ヤエル。天幕にいる女たちの中で、最も祝福されるのは彼女。」と歌われています。それは、彼女は神様の御手の中で為すべきことを為したからです。デボラもそうです。神様の御計画の中で、為すべきことを為し、神の民を守ったのです。ここに彼女たちの意義がありました。
7.神の時を逃さず
ここで、ヤイルがしたことは人殺しではないか、こんな罪深いことをして、どうして「女たちの中で最も祝福される」者、「天幕にいる女たちの中で最も祝福される」者と言われるのか、変ではないか。そう思われる方がおられるかもしれません。士師デボラにしても、バラクを用いて大勢の敵を殺したということではないか。確かに、旧約には血なまぐさい出来事が出て来ます。これを現代の私共に直接的に重ねるならば、とんでもないことになってしまいます。「新しい神の民であるキリストの教会に敵対する者は皆殺しだ。それが御心だ。旧約聖書を見よ。」と言う人がいれば、当たり前のことですけれど、それはもう完全に狂っています。そのような過ちをキリストの教会は歴史の中で犯してきたことも忘れることは出来ません。十字軍などはその代表的なものでしょう。しかし、イエス様は神様を愛し、隣り人を愛するように、神様に仕え、隣り人に仕えるようにと教えてくださいました。私共はこの御言葉に反して、御心に従うことは出来ません。
神様の救いの歴史、神様の御手の中にある歴史の焦点はどこにあるのかと言いますと、神の民を終末まで守り導くこと。そして、この世界が御心に適う世界へと変えられていくこと。この二つにあるのだと思います。この二つの焦点を持つ神様の御心は、私共にはとても解くことが出来ないような、まことに複雑な連立方程式なのかもしれません。私共は生きていく上で、どうすることが御心にかなうのかがよく分からないという時もあるでしょう。いやむしろそのような時の方が多いかもしれません。そのような時、私共はどうすれば良いのか。私はこう思います。明らかに罪であるという場合を除いて、やりたいようにしたら良いのです。神様の御心に従うということは、いつでも「これをやりなさい。」という神様の声が聞こえてそれに従うというようなことではないからです。主の日にここに集い、神様の子とされている恵みを心に刻み、喜びと感謝のうちに生きる。それで十分なのです。
ただ、へベルの妻ヤエルが、「女たちの中で最も祝福される」者、「天幕にいる女たちの中で最も祝福される」者と言われているのは、時を逃さずに事を為したからです。イスラエルがバラクによって勝利したのも、デボラによる「立ちなさい。主が、シセラをあなたの手にお渡しになる日が来ました。主が、あなたに先立って出て行かれたではありませんか。」との言葉に従って、時を移さずにタボル山から一気に将軍シセラの率いる軍勢に襲いかかったからです。大切なことは、神様が「これを今しなさい。」と言われる時は、それを行うということです。しかし、そのような時は人生の中で何度もあるものではありません。しかし、そのような召しを受けたならば、その時には男であるとか、女であるとか、子どもであるとか、年寄りであるとか、そんなことには一切頓着することなく、それを為さなければならないのでしょう。それが神の民、神の子・僕とされた私共の御前における歩みなのです。
祈ります。
恵みに満ち給う全能の父なる神様。
今朝、あなた様は私共に神の子・僕として歩むべき姿を教えてくださいました。私共があなた様の憐れみの中で、神の民の一員とされ、神の子・僕とされておりますこと、まことにありがたく感謝いたします。この恵みの中に、喜びと感謝をもって歩むことが出来ますように。そして、あなた様が御言葉をもって為すべきことを示してくださいましたならば、時を逃さずに、それに従っていくことが出来ますよう導いてください。
この祈りを、私共の救い主、主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン
[2020年7月26日]