1.はじめに
マタイによる福音書を共々に読み進めています。前回は、総督ピラトによってイエス様が十字架につけられることが決められた場面から御言葉を受けました。ピラトはイエス様が十字架につけられるようなことは何もしていないことを知っておりましたけれど、「十字架につけろ」「十字架につけろ」と叫ぶ群衆の叫び声に負けて、結局、十字架につけることにしてしまいました。そして、ここからイエス様の具体的な十字架への歩みが始まります。
2.十字架の道行き
今、私共はレント(受難節)の時を歩んでいますが、ローマ・カトリック教会ではこの時期、「十字架の道行き」と呼ばれる儀式が行われます。「十字架の道行き」という言葉は日本語としても美しい響きを持っていて、とても良いネーミングだと思います。これはたいてい金曜日に行われるのですが、レントの期間にこの「十字架の道行き」に与り、告解をすることを求められます。以前は、この二つをしないとイースターの聖餐に与れないことになっていました。「十字架の道行き」は中世から行われているものです。ローマ・カトリック教会の礼拝堂の壁には必ず、イエス様が十字架の上で死んで葬られるまでの14の場面の絵や彫刻或いはそれを象徴するものが付けられています。その場面を一つ一つ思い起こし、黙想し、祈りを献げて、イエス様の御受難を心に刻むというものです。私もこれに与ったことがありますが、聖書にそんな場面は記されていないけれど、と思うような場面もあります。
最初は①ピラトはイエスに死を宣告する。という場面です。次に、②イエスは十字架を受け入れる。これは十字架を担がされた場面です。そして③イエスは初めて倒れる。これは聖書にはないですね。④イエスは聖母マリアに会う。これはカトリックらしいですね。⑤キレネのシモンは十字架を担うのを助ける。⑥ヴェロニカはイエスの顔を拭く。これは聖書にはありません。⑦イエスは再び倒れる。これも聖書にはありません。⑧イエスはエルサレムの婦人たちと会う。⑨イエスは三度倒れる。これも聖書にはないですね。⑩イエスは服をはぎ取られる。⑪イエスは十字架に釘付けされる。⑫イエスは十字架上で死去される。⑬イエスは十字架から降ろされる。これはピエタと呼ばれる場面で、イエス様が母マリアに抱かれる場面ですね。これも聖書にはありません。そして⑭イエスは墓に葬られる。で終わります。一場面ごとに黙想し祈るというもので、小一時間かかるものです。
私もこれに与ったことがありますが、イエス様の御受難を心に刻むのにとても良い習慣だと思いました。最近は、聖書の箇所を読んで、短い説教が為されて、そして祈るということを繰り返すやり方で行っている教会や修道院もあるようです。私共は「十字架の道行き」を行う習慣はありません。けれどもこのレントの時、イエス様の御受難の聖書の箇所から御言葉を受け、それを心に刻んで歩むということについては同じです。ただ、私共が為していることとローマ・カトリック教会の「十字架の道行き」と違うところがあるとすれば、それは私共はイエス様の御苦難を心に刻むだけではなくて、イエス様のこの御受難に際して、イエス様を我が主・我が神として受け入れなかった人間の罪、私の罪をもしっかり見て、イエス様の御前に悔い改めるというところだろうと思います。「イエス様、おいたわしや。」ということではなくて、「我がため、このような苦しみをお受け頂き、まことにありがたく、かたじけなく、どうかお赦しください。」ということになるという点でありましょう。
3.イエス様の周りの者たち
イエス様の「十字架の道行き」の場面において、聖書はイエス様の姿や言葉はほとんど何も記していません。ここで記されているのは、十字架につけられることになったイエス様に対する人々の言葉であり、態度であり、心根です。聖書を読めば、私共は人間の罪というものを見せつけられます。そして、その人間の罪の姿は私共と無縁ではありません。それどころか、ここには私共の姿が克明に描かれていると言っても良いほどです。勿論、イエス様が十字架にお架かりになられたのは、二千年前の地球の裏側でのことです。私共が直接そこに居合わせたわけがありません。しかし、代々の聖徒たちは、このイエス様の「十字架の道行き」に出てくる様々な人々の言葉や態度に、自分自身の罪の姿を見てきました。そして、イエス様に対して申しわけなく、「イエス様、お赦しください。」との祈りへと導かれてきたのです。
「イエス様、おいたわしや(かわいそう)。」ということと、「イエス様、お赦しください。」との違いはどこにあるのでしょうか。それは、「イエス様の御苦難が私のためである」とはっきり受け止めているかどうか、「イエス様を苦しめたのは私だ」ということを知っているかどうかということです。これが分からなければ、イエス様の御苦難は「おいたわしや」というところに留まってしまうでしょう。
イエス様の「十字架の道行き」において、イエス様の周りには、兵士たち、キレネ人シモン、一緒に十字架に架けられた二人の強盗、そこを通りかかった人々、そして祭司長・律法学者・長老たちが次々に出てきます。今日は、その中のローマの兵士たちとキレネ人シモンについて見ていきます。
4.兵士によって(1)~鞭打たれる~
最初にローマの兵士たちが出てくるのは、ピラトによってイエス様の十字架が決定され、バラバが釈放された時です。バラバは解放され、イエス様はローマ兵によって鞭打たれました。この鞭は革に石や骨や金属が埋められていました。これで打たれると、鞭の跡がつくだけでは済みません。肉が引きちぎられ、血が飛び散りました。この鞭打ちだけで気を失う者が出たと言われています。十字架につける前に弱らせておくためであり、何よりみせしめのためだったのでしょう。実際、イエス様はこの鞭打ちによってひどく弱られました。自分で十字架を担げなくなるほどでした。ちなみに、イエス様がゴルゴタの丘まで担いだのは、十字架の横木だけだったと考えられています。十字架全部では重すぎて、一人で担げる重さではなくなってしまうからです。十字架の処刑はいつも決まった所で行われますから、縦の丸太はいつも立てたままになっていて、十字架に架けられる者が横木を担いで行った。そのように考えられています。
5.兵士によって(2)~侮辱される~
イエス様は鞭打たれてから、総督ピラトの官邸に連れて行かれました。そこにはローマ兵が常駐していました。ローマの法によってローマから遣わされた総督が裁きを行う、その刑罰を執行するのはローマ兵の役割でした。ローマ兵はローマにとっての治安維持のために常駐していました。
聖書には、27節「部隊の全員をイエスの周りに集めた」とありますが、このときイエス様の周りにどのくらいの兵隊たちが集まったのでしょうか。正確には分かりませんけれど、ここで「部隊」と訳されている言葉は、600名からなるローマの兵隊の単位を示す言葉です。部隊の全員がここにいたかどうかは分かりませんけれど、十数人が寄ってたかってイエス様をいじめている場面をイメージしていた方も多いと思いますが、どうもそれは一桁違うようです。彼らはイエス様を十字架に架けて処刑をするという、エルサレムに駐屯するローマ兵としての通常の仕事に取りかかろうとしているのです。ここで行われてたことは、プライベートな、あいつは気に入らないからやっつけてしまおうという「いじめ」のようなものではありません。そうであればこそ、ここでイエス様に対して為されたひどい仕打ちは、自分より弱い立場の人間に対して、刃向かうことが出来ない人間に対して、圧倒的な強い力、公の力を持った者が、抵抗出来ない者に対してどんなことをするのかを示している、そう言っても良いでしょう。
彼らは、イエス様の着ている服をはぎ取り、赤い外套を着せました。この赤い外套はローマ兵の外套で、王様の紫の衣に見立てたのでしょう。そして、茨で編んだ冠を頭に載せました。茨のトゲは、大人の小指ほどの長さがある硬く鋭く尖ったものです。これで編んだ冠は、王様の冠に見立てたわけで、これを被せられれば頭から血が流れたに違いありません。更に、葦の棒を右手に持たせました。これは、王様の権威の象徴である王笏に見立てるためでした。このようにイエス様は王様に見立てられました。それはイエス様の罪状書きに「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれていたからです。そして、兵士たちはイエス様の前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱したのです。もし、本気でイエス様を敬い、イエス様の御前にひざまずいて「ユダヤ人の王、万歳」と言ったのなら、イエス様に対しての最も正しい対応です。しかし、彼らは侮辱するためにそうしたのです。イエス様は政治的な意味では「ユダヤ人の王」ではありませんでしたけれど、メシアとしてはまさに「ユダヤ人の王」でした。メシアとしてのイエス様の心を土足で踏みにじり、侮辱したのです。私共は自分が大切にしているものを侮辱される時、本当に腹が立ち、心も傷つきます。ローマ兵たちはそのことを知っていて、わざとこうしたのでしょう。そして、彼らはイエス様に唾を吐きかけ、葦の棒で頭をたたき続けたのです。これは、兵隊の一人がそうしたというのではなくて、次々と兵士が入れ替わり立ち替わり、そのようにしたのです。徹底的に侮辱したのです。更に言えば、彼らはこの時楽しんでいた。娯楽に興じるかのように、イエス様を侮辱し、笑いものにして、楽しんだのです。
ひどい話です。しかし、この兵士たちが特に悪人であったわけではありません。彼らは普通の人です。だから怖いのです。人はこのような状況になれば、誰でもこうしてしまうものだからです。それが、人間の罪、私共の罪なのです。強い国が弱い国を支配した時、必ずこのようなことが起きます。強い国の人は、自分が強かったり偉かったりしているわけではないのです。しかし、「虎の威を借る狐」になってしまう。そして、人権も何もあったもんじゃない、ひどい仕打ちをするんです。どこの国もやったことです。そして、今も行われています。ひどい話です。聖書は、これが人間なのだ、そうはっきり告げています。「私はこんなことはしません。」そんな風に言える人はいません。置かれた立場、状況で、人はどれだけでも残酷になれるし、なってしまうのです。そうでなかったら、戦争なんて出来るはずがありません。これは、今も行われていることです。
6.黙っておられるイエス様
この時、イエス様はどうしておられたでしょうか。イエス様は、ただ黙っておられました。何故でしょうか。イエス様は十字架への道を、神様の御心として受け入れられたからです。イエス様が十字架にお架かりになられるのは、今自分に対してひどい仕打ちをしているこのローマの兵士たちの罪、またこの兵士たちの行為に現れたすべての人間の罪、そのすべてが赦されるために身代わりになって十字架の上で裁かれるということです。ですから、イエス様はただ黙って耐えられたのです。そして、何もお語りにならなかったイエス様が語り始めるのです。
人間の罪によって痛めつけられ、人間としての尊厳さえも奪われ、生きる力と勇気を失った者たちに、「今も、わたしはあなたと共にいる。」そう告げてくださるお方だからです。イエス様は「わたしは知っている。あなたの痛み、あなたの苦しみ、あなたの嘆き、あなたの絶望の暗闇をわたしは知っている。わたしも味わったのだから。しかし、わたしがいる。ここにいる。だから大丈夫。」そう告げられる。
そして、この時の兵士のように、とんでもないことをしてしまった者、被害者のことを思うといたたまれない思いに駆られる者にも告げます。「あなたのしたひどい仕打ちをわたしは知っている。わたしもその仕打ちを受けたのだから。でも、わたしはあなたを赦す。あなたは赦された者として、新しく生きて行きなさい。あなたのために、あなたに代わって、わたしは十字架につけられて裁かれたのだから。そして、あなたがひどいことをしたその人にも赦してもらいなさい。」そう告げられるのです。
7.兵士によって(3)~服をくじ引きする~
イエス様が十字架につけられると、兵士たちはイエス様の服をくじで分け合いました。自分たちのために十字架の上で苦しんでおられるイエス様のことなど全く眼中になく、目の前にあるイエス様の服を、幾つかの部分に分けて、どれが自分に当たるかとくじ引きをしていたのです。彼らにしてみれば、いつもの仕事であり、処刑される罪人の服を分け合うのは役得の一つだったのでしょう。誰に文句を言われるわけじゃない。
レントのこの時期、イエス様の苦しみに思いを向けて生きているのはキリスト者だけでしょう。それ以外の人にとって、この兵士たちと同じように、キリストの苦しみなど、目の前の服の切れ端ほどにも意味のあるものではないのです。それは何時の時代、どこの国でも同じです。しかし、その人たちのためにもイエス様は十字架にお架かりになりました。それは本当のことです。この十字架の下で、少しも十字架を見上げようともしないこの兵士たちのためにも、イエス様は十字架にお架かりになった。そうでなければ、いったい誰が救われましょう。私共はみんな、そのような者だったのですから。イエス様の十字架は、目の前の損得にばかり目を奪われているその人のそばに立っています。私共はみんな、十字架のもとで日々の生活を営んでいるのです。ですから、イエス様の十字架を探す必要はありません。今生きている場で、日々の生活のただ中で、イエス様の十字架を見上げれば良いのです。ちょっと目線を上げるだけ、十字架のイエス様を見上げるだけ。そうすれば、イエス様が誰であるのか、イエス様が私のために何をしてくれたのかが分かるでしょう。それだけで良い。信仰は神様・イエス様への愛ですから。信仰の反対は、神様・イエス様に対しての無関心なのです。イエス様の十字架に無関心な者が、関心を持つ。そこから、すべてが変わっていきます。
8.シモンという名のキレネ人
では最後に、どうしてもイエス様に無関心でいられない者になってしまった人を見てみましょう。それはキレネ人のシモンです。キレネというのは、現在のリビア東部、地中海を挟んでちょうどギリシャの対岸にある、アフリカの都市の名前です。キレネは当時、ローマ帝国の一部でした。彼は多分、過越の祭のためにエルサレムに巡礼に来たのでしょう。ギリシャ語を話すユダヤ人であったと考えられています。彼は、イエス様が十字架を担いでゴルゴタに行く途中、たまたま遭遇しました。そして、イエス様が十字架を担いで行くのが難しそうだということで、ローマ兵によって「お前ちょっと来い。この十字架を担げ。」と言われてしまったのでしょう。彼は今まで、イエス様と出会ったことも、話を聞いたこともなかったのではないかと思います。ところが、十字架を担がされてしまった。マルコによる福音書では、このキレネ人シモンのことを「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」と記しています。マルコによる福音書を読み、聞くのはキリスト者です。そこに「アレクサンドロとルフォスの父」と記されているということは、マルコによる福音書が書かれた当時、つまりイエス様が十字架に架かり復活されてから30~40年経った頃ですが、このシモンの二人の息子はキリストの教会では名の知れた者であったということを示しています。キレネ人シモンがキリスト者になったかどうかは分かりません。しかし、二人の息子がキリスト者になったことは間違いありません。これは素敵なことではないでしょうか。
皆さんはこのキレネ人シモンはどんなふうにイエス様の十字架を担いだと思い描くでしょうか。キレネ人シモンが一人で担いで、イエス様はその横を手ぶらで歩いた。これは考えにくいと思います。罪人が自分の十字架を担ってゴルゴダの丘まで歩くというのは、刑罰の一部のようなものですから、これが完全に免除されるというのは考えにくいと思います。とすれば、先ほど申しましたように、イエス様が担いでいたのは十字架の横木ですから、この横木をイエス様とキレネ人シモンが前後になって担いだと考えるのが自然だと思います。そうすると、この姿はイエス様が11章29~30節で言われた「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あながたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」という御言葉そのものではないでしょうか。キレネ人シモンは、イエス様の十字架を強いて負わせられてしまったが故に、イエス様と軛を共にして歩むことになってしまった。そして、それ故に、イエス様とはどういう方なのか、何を為し、何を語られた方なのか、知りたくなった。とても無視することなど出来なかった。忘れられない関わりが出来てしまったのでしょう。
シモンは確かに同じ軛をイエス様と負って、ゴルゴタまで歩きました。それは彼にとって、少しも楽しくない、ただ辛いものでしかありませんでした。イエス様は道々、人々にあざけられたことでしょう。口汚くののしられたでしょう。それはイエス様と一緒に十字架を担っていたシモンには、まるで自分がそう言われているように聞こえたに違いありません。何で自分はこんな目に遭わなきゃいけないのかと思ったことでしょう。これが彼とイエス様との出会いでした。「強いられた恩寵」という言葉がありますが、元になったのが、このキレネ人シモンがイエス様の十字架を担がされた出来事です。シモンは嫌だったのです。でも、ローマ兵に逆らうことなど出来るはずもなく、仕方なく担いだ。しかし、そのことによってイエス様との繋がりが出来、子どもたちはキリスト者になりました。イエス様との出会いが与えられ、救いへと導かれていく道がここにはっきり示されています。それはイエス様の十字架を共に担う、イエス様と同じ軛で繋がれて歩むということです。多少しんどくても、「強いられた恩寵」として、神様の御業の道具としてお仕えしてみる。そうすれば、必ずイエス様との出会いが与えられ、イエス様と共に生きる幸いを味わうことになります。この恵みの証人として、キレネ人シモンと共に、私共も立たせていただきたい。そう、心から願うのです。
祈ります。
恵みに満ちたもう全能の父なる神様。
今日、あなた様はイエス様の十字架への道行きの場面の御言葉から、イエス様に関わった者たちを通して、私共の罪と私共に与えられている恵みを教えられました。感謝します。どうか、私共が、「虎の威を借る狐」のように弱い者・小さな者を虐げることがありませんように。また、私共が与えられた為すべきことを、たとえ辛いことであっても、強いられた恩寵として受け止めていくことが出来ますように。辛いとき、悲しいとき、ひどい圧迫を受けているときも、イエス様が私共と共にいてくださることを信じて歩んでいけますように。
この祈りを私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン
[2021年3月7日]