1.はじめに
今朝与えられている御言葉は、ティベリアス湖畔において復活のイエス様が弟子たちと出会った場面です。ティベリアス湖というのは、私共が馴染んでいる言い方で言えばガリラヤ湖です。ヨハネによる福音書20章において、復活されたイエス様がエルサレムで弟子たちにその御姿を現されたことが記されておりました。イースターの朝、イエス様の墓の前で泣いていたマグダラのマリアに御姿を現され、その日の夕方には、トマスを除く弟子たちにその御姿を現されました。そして、次の週の初めの日にはトマスを含めた弟子たちにその御姿を現されました。それはエルサレムでの出来事でした。そして、20章の最後にはこうあります。「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」確かにヨハネによる福音書には、イエス様が為された奇跡、ここでは「しるし」と言っていますけれど、これは他の福音書に比べると圧倒的に少ない。そのこともここでちゃんと言っているわけです。また、この福音書の目的は、この書を読む人が「イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるため」とはっきり告げています。この目的に沿って、イエス様が誰であるかということについてはっきり告げるために、ヨハネによる福音書は書かれました。たとえば「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。」とか「初めに言があった。」とか「わたしは命のパンである。」といったヨハネによる福音書の独特な表現は、すべてこの目的のためであったということです。
2.加えられた21章
この20章30~31節をどう皆さんは読まれるでしょうか。普通に読みますと、これは結びの言葉であって、このように記されているということは、ここでヨハネによる福音書は閉じられている、終わっている。そう受け取ることになるでしょう。トマスが復活されたイエス様に対して「わたしの主、わたしの神よ。」と告白した。その告白をもって、これを読む人が「イエスは神の子メシアであると信じる」ということを目的として記されたヨハネによる福音書は、書くべきことはすべて記した、もうこれで閉じる。そういうことであったはずです。ところが、21章がその後に続いています。これは、一旦20章で終えたけれども、どうしても21章を書き加えなければならないと思った人が、これを書き加えたと考えるしかありません。勿論、これを書き加えた人は、個人的にこれを書き加えたということではなくて、ヨハネによる福音書を記した人が集っていた教会、同じ信仰の歩みをしていた教会が21章を書き加えたということだと思います。
では、なぜ21章が書き加えられたのか。それについては色々な説があります。昔から様々な説が出されてきましたが、それを今ここで紹介する時間はありません。ただ、ここで大切なことは、復活されたイエス様が弟子たちと出会った場所が関係しいるということです。復活されたイエス様が弟子たちと出会った場所が、マタイとマルコではガリラヤであるのに対して、ルカそしてヨハネの20章までではエルサレムになっています。もう少し丁寧に言いますと、マタイとマルコにおいては、マグダラのマリアなどの婦人たちはエルサレムで復活のイエス様と出会いましたけれど、復活のイエス様が彼女たちに対して弟子たちに伝えるように言われたのは「あなたがたより先にガリラヤに行く。そこで会う。」ということでした。そこで弟子たちはガリラヤに行き、復活されたイエス様にお会いして、イエス様から全世界に福音を宣べ伝えるようにとの命令を受けたわけです。これがマタイとマルコにおいて記されている、復活のイエス様と弟子たちとの出会いの場面です。このように、イエス様の復活の場面だけでも4つの福音書を読み比べてみますと、復活されたイエス様が弟子たちに出会ったのはエルサレムなのかガリラヤなのか。どっちが本当なのか。そんな疑問を持たれる方もいるのではないかと思います。私も、神学校に入る前でしたけれど、ガリラヤなのか、エルサレムなのか、どっちなんだと思ったことがありました。
私は、今は単純にこう考えています。それは、復活のイエス様はエルサレムでも弟子たちと出会い、そしてガリラヤにおいても会われた。どちらか一方だけではない。だから、ヨハネによる福音書は20章でエルサレムにおいて復活されたイエス様が弟子たちと出会ったということを記して閉じられたけれど、どうしてもガリラヤでの出会いのこともちゃんと記しておかなければならないということで21章が加えられたのだ、と私は考えています。ヨハネによる福音書はマタイ・マルコ・ルカによる福音書より後に記されましたから、この違いを知っているわけで、それでどうしてもガリラヤにおける復活のイエス様と弟子たちとの出会いを、21章を書き加えなければならないと考えたのだと思います。これはとても大切なことで、復活のイエス様と弟子たちが出会ったのは1回だけではない。何度も、そして何人もの弟子たちに出会った。イエス様の復活とはそういう出来事だったからです。ですから今朝与えられている御言葉の最後、14節で「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。」と、わざわざ記したのでしょう。
3.不漁
さて、弟子たちはガリラヤに来ました。どうしてエルサレムからガリラヤに来たのか。ヨハネによる福音書はそれについては何も記していませんけれど、マタイによる福音書やマルコによる福音書によるならば、「ガリラヤで会う」と復活されたイエス様が告げられたからです。そして、この時一緒にいたのは11人ではなくて、7人でした。どうしてイスカリオテのユダを除く11人全部でなかったのか、それは分かりません。そしてペトロが「漁に行く」と言いますと、「一緒に行こう」と言って他の6人がついてきました。どうして漁に出たのか。暇つぶしということではなかったと思います。ペトロもアンデレもゼベダイの子ヤコブとヨハネも漁師でしたので、単純に生活のため、食べ物を得るためということではなかったかと思います。彼らはイエス様と一緒に旅をしてエルサレムにまで行っていたわけで、蓄えとか生活の余裕なんかあるはずがなかった。復活のイエス様と出会うまでの間、ガリラヤでボーッとただ待っているわけにはいかなかった。そういうことではなかったかと思います。
そして、彼らは漁に出ました。「しかし、その夜は何もとれなかった。」(3節)のです。彼らはガリラヤ湖の元漁師でしたから、舟を操る技術も、魚を捕るための技術や知識も持っていました。しかし、一晩漁をしても何もとれなかった。自然相手ですから、漁に出れば必ず魚がとれるというわけではありません。それは漁に限ったことではありません。一生懸命やれば必ず良い結果が出るとは限らない。勿論、良い時もあります。しかし、そうでないときもある。これが私共の普通の日常です。この日、弟子たちは上手くいかない日だったということです。
4.大漁=イエス様だと分かる
夜が明けて、もう漁を止めて陸に上がろうとしていたとき、イエス様が岸に立っておられました。復活のイエス様です。しかし、弟子たちはそれがイエス様だとは気がつきませんでした。復活のイエス様が弟子たちに声を掛けます。「子たちよ、何か食べる物があるか」、これはそのまま「食べる物があるか」という意味にもとれますし、彼らがとっていたのは魚、食べ物でしたから、これは「何かとれたか」と聞いたとも受け取れます。いずれにせよ、一晩中何もとれなかったので、彼らは「ありません」と答えました。するとイエス様は、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」と言います。この時、岸にいたイエス様と船にいた弟子たちとの間は200ペキス、つまり90メートルほど離れていましたから、波打ち際ではパシャパシャと波打つ音もありますし、普通の声で話していたのでは聞こえる距離ではありません。この時、イエス様も弟子たちも、大きな声を出して話したに違いありません。その声を聞いても、この時、弟子たちはまだ復活のイエス様だとは気がつきませんでした。
弟子たちは、言われたとおりに舟の右側に網を打ちました。するとどうでしょう。網を引き上げることが出来ないほどたくさんの魚がかかったのです。その網にかかったたくさんの魚を引き揚げようとする中で、彼らは思い出しました。イエス様と自分たちが最初に出会った時の出来事です。ルカによる福音書5章1節以下に記されている出来事です。この時も、彼らは夜通し漁をしても何もとれなかった。漁から戻り、ペトロたちが網を洗っているとイエス様が来られました。そして、群衆に話をするためにペトロに船を出してもらい、船から岸にいる群衆に向かって話をされました。そして、話が終わるとイエス様は「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われました。一晩中漁をしても何もとれなかったのですから、ペトロはそんなことしてもムダだと思ったでしょうけれど、言われたとおりにすると、おびただしい魚が網にかかった、あの出来事です。あの時、ペトロとヨハネとヤコブがいました。多分、ペトロの兄弟アンデレもいたと思います。この網にかかったたくさんの魚を引き上げる感覚、手応え、あの時と同じだ。あの岸にいる方はイエス様だ。はっきり分かりました。それで、多分ヨハネが「主だ。」とペトロに言ったのです。
この時網にかかった魚の数は153匹であったと聖書は記しています。この数字が何を意味しているのか、これも昔から色々な説が言われていますけれど、定説のようなものはありません。ルカによる福音書の5章において、イエス様はあの出来事のすぐ後でペトロにに「あなたは人間をとる漁師になる。」と言われました。そのことと重ねるならば、この153匹の魚は、これから弟子たちが伝道していく国や地域、或いは民族、そのようなものを象徴していると考えて良いと思います。イエス様の言うとおりにするならば、伝道が進展する、そのことを暗示していると読んで良いでしょう。
5.イエス様が用意された食事
この「主だ。」という言葉を聞いたペトロは、上着をまとって湖に飛び込み、岸に向かって泳ぎました。ペトロは漁をしていたので、上着を脱いで裸同然の格好をしていたからです。しかし、水に飛び込んで泳ぐのですから、普通は上着を脱ぐものでしょう。ところが、ペトロはわざわざ上着を着て、飛び込んだのです。どうして?と思いますけれど、それは「主の御前に出るのに、裸同然の姿では失礼ではないか。」ということだったからでしょう。わざわざ上着を着て、飛び込んで、一刻も早くイエス様の所に行きたいという、ペトロらしい行動ではあります。イエス様に対しての純情と言いますか、真っ直ぐさと言いますか、これがペトロなんでしょう。ペトロはビショビショの上着でイエス様の前に立ちました。いささか素っ頓狂ではありますけれど、私は素敵だなと思います。
この時、ペトロとイエス様が、他の弟子たちが来るまでの間、何を話していたのかは分かりません。ペトロは復活のイエス様に出会うのは三度目ですから、ただ驚き喜んだ一回目とは違っていたでしょう。一回目、二回目の時よりは落ち着いて、改めて復活のイエス様を「我が主、我が神」として拝んでいたのではないかと、私は想像します。
他の弟子たちも魚のかかった網を引いて、戻って来ました。そうすると、何と炭火がおこしてあって、魚が焼かれているではありませんか。バーベキューですよね。そして、パンも用意されておりました。イエス様は、「今とった魚を何匹か持って来なさい。」と言われました。朝食の用意が整っていたわけです。勿論、これを準備されたのは復活のイエス様でした。イエス様がすべてを備えられた食事でした。
皆さんはこの話を聞いて、何か思い出されませんでしょうか。私は二つの場面を想い出します。一つは、弟子たちととった最後の晩餐、過越の食事です。ヨハネによる福音書には記されておりませんけれど、他の福音書には、弟子たちが過越の食事をするためにエルサレムに行くと、イエス様の言われたとおり、水瓶を運んでいる人に出会い、その人に「先生が弟子たちと食事をする部屋はどこか」と言うと、整えられた二階の広間が用意されていました。過越の食事は、何が大変かと言いますと、この食事をする場所を確保するのが大変でした。巡礼の人々がユダヤ全土からエルサレムに集まって来て、いつもの何倍もの人たちで溢れるわけです。その人たちが一斉に過越の食事をするわけですから、親戚の家でもなければ、とても場所を確保することは難しかったのです。しかも、イエス様と弟子たち合わせて13人ですから、少し広い場所が必要でした。弟子たちは心配してましたけれど、イエス様が既にその場所を確保しておいてくださいました。
そして、もう一つ。それは五千人の給食の出来事です。男の人たちだけで五千人、女性と子どもを加えれば一万人を超える人たちがいたでしょう。イエス様は、その人たちを5つのパンと2匹の魚で満腹にされました。この時パンを配り、魚を配ったのは弟子たちでした。これは、弟子たちの心に深く、強く刻まれた出来事でした。イエス様の力をはっきりと示された出来事でした。この時も弟子たちはただイエス様が備えられた食事を配っただけでした。
イエス様が備えてくださった食事を前にして、弟子たちはそのようなイエス様と一緒にとった食事の場面を思い起こしていたに違いありません。
6.復活のイエス様との食事
この時、イエス様は弟子たちに「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われました。弟子たちの心の中に、色々な思いが溢れてきました。十字架にお架かりなられる前の日の最後の晩餐が、イエス様との最後の食事になったと思っていました。もう二度とイエス様と一緒に食事をすることなどないと思っていた。それなのに、またイエス様とこうして一緒に食事が出来るなんて。ガリラヤでイエス様と一緒にしていた毎日の食事、罪人たちとの食事、五千人の給食、何度も何度もしてきたイエス様と一緒の食事の場面を思い起こしたことでしょう。そして、また、こうしてイエス様と一緒に食事が出来るなんて、何と嬉しいことか、何とありがたいことか、そう思ったことでしょう。
この時、弟子たちは誰も復活のイエス様に対して「あなたはどなたですか」と聞いた者はいなかったと聖書は記します。これは不思議な言葉です。だってそんなことは、分かりきっていることでしょう。イエス様が目の前にいて食事をしているのですから、「あなたはどなたですか」なんて聞くはずがありません。では、どうしてこんな当たり前のことを聖書は記しているのでしょう。それは、「あなたはどなたですか」と聞かないことが当たり前のことではなかったからではないでしょうか。つまり、この時のイエス様はぱっと見れば誰でもイエス様と分かるお姿ではなかったということではないかと思うのです。ルカによる福音書においては、エマオに行くまでクレオパともう一人の人は、復活のイエス様と道すがらずっと一緒に話をしていたのに、彼らはイエス様とは気づきませんでした。彼らがイエス様だと気付いたのは、イエス様と一緒に食事を始めた時でした。マグダラのマリアもイエス様の墓の前で泣いていた時も、「マリア」と声を掛けられるまで、復活のイエス様を目の前で見ているのに、イエス様とは気づきませんでした。マリアは復活されたイエス様を墓の管理人だと思っていたのです。このように、復活のイエス様はぱっと見ただけでは分からない、つまりただ死体が生き返ったというのとは少し違った姿だったのではないでしょうか。でも、この食事の時、弟子たちはこの方がイエス様であるということがはっきり分かっていました。それは彼らが復活のイエス様と出会ったからです。復活のイエス様との出会いとは、単にその体を目で見た、手で触れたという以上のことです。それはイエス様と心が繋がる、イエス様との愛の交わりに入る、そういう出来事だったということではないでしょうか。
7.聖餐に与る群れ
以前、求道者の方と話していたときに、「聖書にはどうしてこんなに食事の場面が多いのですか。」と聞かれたことがあります。その人が考えていたのは、聖書というものがキリスト教の真髄を記す書であるとするならば、食事というちっとも宗教的でない行為、またその場面が、どうしてこんなに出てくるのか。何か変ではないか、そう感じたのです。私は、この方はとても大切なことに気づいたと思いました。確かに聖書はキリスト教の本質を示している書なのですが、キリスト教という宗教は、その本質において、「神様との交わり」そして「キリスト者同士の交わり」なのです。そして、この交わりが最も端的に表れたところが食事の場なんですね。キリストの教会は食事をとても大切にしています。キリストの教会において、食事はあってもなくてもよい、どうでもよいものなどでは決してありません。それどころか、その中心にあると言っても良いほどです。
その復活のイエス様との食事の場、出会いの場、交わりの場こそ、私共に与えられている聖餐なのです。私共が与る聖餐は、最後の晩餐の時にイエス様が制定されたものです。しかし、私共は聖餐に与るとき、最後の晩餐の場面だけを思い起こすわけではありません。イエス様の言葉、為されたこと、十字架とその意味、色々なことを思い起こします。そして、何よりも、復活のイエス様が今ここに聖霊なる神様として臨んでおられる。今生きておられるイエス様と一緒に食事をしている、その交わりに与るわけです。更に、やがて御国において同じ食卓を囲む、そのことを信仰をもって受け止め、御国への希望を新たにされるわけです。聖餐というものが、最後の晩餐を記念するだけであったのならば、それは昔むかしのイエス様を思い出しているだけです。しかし、聖餐は復活のイエス様との食事です。今、共におられるイエス様との確かな交わりに与ることです。イエス様は聖書の中にだけ、教会の記憶の中にだけおられるお方ではありません。それだけならば、それは墓の中にいるイエス様です。しかし、イエス様は復活されて墓から出、弟子たちと一緒に食事をされた。その食事に、私共も聖餐によって今も与っている。復活されたイエス様との出会い、交わりを与えられる時。それが聖餐です。
コロナ禍によって、この二年間、私共は具体的な交わりを制限しなければなりませんでした。これは、本当に辛いことです。私共は主の日の礼拝の扉を閉めることはしませんでしたし、聖餐も工夫をしながら中止することはありませんでした。しかし、祝会を行うことは出来ませんでしたし、訪問聖餐も自宅におられる方にしか実施することは出来ませんでした。病院に入院されている方、施設に入所されている方とは、顔と顔を合わせることさえ出来ませんでした。今も出来ません。これは本当に辛いことであり、申し訳ないと思っています。何とか、今年は少しずつでも交わりの時を持てるようなればと願っています。今日の礼拝の後、訪問聖餐についての学びの時を持ちます。コロナ禍でありますので、長く時間は取れませんけれど、私共の地上の命が閉じられるまで、私共はこの聖餐の恵みに与る群れの一員として生かされていることを、しっかり受け止める時になればと願っています。
お祈りいたします。
恵みと慈愛に満ちたもう、全能の父なる神様。
今朝、御言葉を通して、私共に与えられている復活のイエス様との交わりを教えていただきました。生ける神の子、イエス様との交わりが与えられていることを心から感謝します。聖餐の恵みに生かされ、やがて御国においてイエス様と共に食卓を囲む日を待ち望みつつ、感謝と希望をもって一日一日、御前を歩ませてください。
この祈りを私共のただ独りの救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
[2022年5月15日]