日本キリスト教団 富山鹿島町教会ホームページ|礼拝説教

礼拝説教

「神の箱が奪われた」
サムエル記上 4章1~22節
ルカによる福音書 13章6~9節

小堀 康彦牧師

1.はじめに
七月最後の主の日の礼拝を捧げています。毎月、その月の最後の主の日は旧約から御言葉を受けています。今はサムエル記上から御言葉を受けています。このサムエル記というのは、イスラエルのリーダーが士師から王に換わっていく時代のことが記されています。サムエル記上の9章で初代の王サウルが立てられます。そして、16章ではダビデに油が注がれて次の王として選ばれるのですけれど、実際にダビデがユダの王となるのは、サムエル記下2章のことです。ダビデが王となったのがおおよそ紀元前1000年のことですから、今朝与えられております御言葉はおおよそ紀元前1100年頃のことと考えて良いでしょう。サウルとダビデを王として立てたのがサムエルでした。
 モーセによって率いられたイスラエルの民は、エジプトを脱出し、40年の旅の末に神様が約束された地であるカナンの地に着きます。この時のことが記されているのが「出エジプト記~申命記」です。モーセはカナンの地に入る直前に亡くなり、ヨシュアがその後を継いでイスラエルの民を導いてカナンの地に定着していきます。その辺のことが記されているのが「ヨシュア記」です。イスラエルは同じ神様を拝み、契約を結んだ者として、十二部族の連合体という緩やかな共同体を作っていきました。そして、外敵が攻めてくると士師と呼ばれるリーダーが立てられ、一つになってこれと戦いました。このことが記されているのが「士師記」です。士師は王ではありませんが、イスラエルをまとめ上げ、導くために、神様によって立てられた者でした。しかし、士師が立てられている間は良いのですが、士師がいなくなると、イスラエルの民はすぐに他の神様に心を奪われてしまいます。それで周辺の民に攻め込まれるということが繰り返されました。しかし、士師では対応出来ない状況が生じるようになります。それは、周辺の民が王を立てて攻めてくるということが起きてきたからです。王がいるということは、常備軍を持つということです。この時代の変換期をサムエル記は記しているわけです。

2.ペリシテ人
 さて今朝与えられている御言葉には、イスラエルがペリシテ人と戦って負けたということが記されています。士師記の後半において、イスラエルの敵として出てくるのがペリシテ人です。サムソンが相手にしたのもペリシテ人でした。このペリシテ人というのは、イスラエルがカナンの地に定着し始めた頃に、海沿いの地方にやってきた民です。イスラエルはカナン地方に山側から入ってきました。そして、ペリシテ人は海側から入ってきた。彼らは海洋民族ではなかったかと考えられています。聖書の巻末にあります地図4を見ますと、ペリシテと書かれた地域があります。そこにエクロン、ガト、アシュドド、アシュケロン、ガザ、と五つの町の名前が記されていますが、これがペリシテの五つの星と呼ばれる都市国家です。海側の平地とごつごつした山側とでは、海側の平地の方が豊かであると考えて間違いありません。農作物が豊かに収穫出来るからです。更にペリシテ人たちはこの時、既に鉄を持っていました。イスラエルはこの時代、まだ自分たちで鉄を作ることは出来ません。ペリシテから買い求めていました。ですから、イスラエルで鉄の剣を持っているのは、ほんの限られた人たちだけでした。イスラエルの人たちの武器は主にこん棒と石です。一方、ペリシテ人たちは鉄の剣や槍を持っている。この状況は、サムエル記上17章にあります、有名なペリシテ人ゴリアトと少年ダビデの戦いの場面を思い起こしていただければ良いかと思います。ゴリアトは兜・鎧で身を固め、穂先が鉄製の大きな槍を持っています。一方、ダビデは羊飼いの服装で、武器は石投げ器。石投げ器というと何か機械のようなものをイメージする人がいるかもしれませんが、そんなものではありません。石投げ器というのは、皮の紐の真ん中に石を受けるところがあり、この紐をグルグル回して、回転がついたところで紐の一歩の端を放して石を飛ばすというものです。ゴリアトとダビデの戦いはダビデが勝ちましたけれど、この時の装備が当時のペリシテ人とイスラエル人の違いを象徴的に示していると考えて良いでしょう。鉄を持っているかどうかは、軍事的には大変な違いです。弓矢と鉄砲、歩兵と戦車ほどの違いです。ペリシテが海側から山側に向かって勢力を伸ばす中で、イスラエルはペリシテに支配されてしまう状況にあった。それが士師記のサムソンの時代の状況です。そこで何とか山側から海側に向かってペリシテを押し戻そうとしていたのが、この時の戦いです。
 ちなみに、現在この地域をパレスチナと呼びますが、これは元は「ペリシテ人の土地」という意味の言葉です。また、モーセに率いられたイスラエルが約束の地へ向かう旅において、どう見ても楽に行けるはずの海沿いの道を行かなかったのは、このペリシテ人たちが既にそこにいたからとも考えられています。イスラエルは山側からカナンの地に入るしかなかったのです。この時代のイスラエル人の宿敵がペリシテ人だったのです。

3.敗戦
 さて、今朝与えられている4章の前半で、イスラエル軍とペリシテ軍は陣を敷き、戦列を整えて戦ったことが記されています。結果はペリシテ軍の勝利でした。イスラエル軍では四千人が打ち倒されました。この時、両者がどの程度の軍を布陣したのかは分かりません。ただ、次の戦いでも「イスラエルの歩兵三万人が倒れた」とありますから、多分、互いに十万、二十万人という軍勢が対峙する、雌雄を決する大決戦だったのでしょう。
 最初の会戦でペリシテに敗れ、四千人が打ち倒されたイスラエルは、何とか勝つための手段を考えなければなりません。そして、この時彼らが思いついたのが「主の契約の箱」を戦場に運んでくることでした。当時の戦いは、神様と神様との戦いと考えられていたからです。戦いに勝った方の神様が負けた方の神様を支配する、或いは破壊する。ですから、イスラエルは万軍の主にお出でいただいて、ペリシテ人との戦いに勝利をもたらしてもらおうと考えたのです。これは、当時の戦いに対する考え方からすれば、的外れではありません。しかし、神様と十戒の約束をしたイスラエルにとって、それは本当に正しいことだったのか。聖書は、この結果が三万人の兵士が倒れるという大敗北であったこと、そしてこの「主の契約の箱」がペリシテ人に奪われてしまったということから、この「主の契約の箱」を戦勝に運んで戦ったことは神様の御心に適わなかった、と告げているのでしょう。

4.敗戦の理由(1) 契約の箱は偶像にあらず
 では、何がいけなかったのでしょうか。まずここで考えなければならないことは、「主の契約の箱」とは何なのかということです。「主の契約の箱」というのは、神様にいただいた十戒を刻んだ石の板が納められている箱です。この箱の蓋の両端にはケルビムの像があり、その像の間に主の臨在があると考えられていました。「主の契約の箱」は出エジプトの旅の間中、そしてカナンに定着してからも聖所の中の最も聖なる所にあり、神様の御臨在のしるしとされていました。ソロモンによって神殿が作られても、神殿において「主の契約の箱」が置かれる所が最も聖なる所、至聖所とされていました。バビロン捕囚によって失われてしまうまで、聖所においても神殿においても、「主の契約の箱」は神様の御臨在のしるしでした。しかし、「主の契約の箱」は偶像ではありません。この契約の箱さえあれば自動的に神様がそこに臨在してくれる、そういうものではありません。なぜなら神様は自由なお方だからです。たとえそれが契約の箱であろうとも、神様の臨在を限定することは出来ません。それは私共日本人の感覚で言えば、契約の箱を御神輿にしてしまうことだからです。それでは契約の箱が偶像になってしまいます。偶像礼拝の根本にあるのは、「自分のために神様を利用する」ということです。この場合、イスラエルはペリシテ人との戦いを勝利に導くために「契約の箱」を利用した、つまり神様を利用したということです。天地を造られたただ独りの神様は、決して私共に利用されるお方ではありません。このことは、私共もしっかり心に刻んでおかなければなりません。神様はどんな時でも私共の主であって、私共に利用されて、私共の僕になったりはしないということです。
 勿論それは、私共が困窮した時に神様に助けを求めても無駄だ、意味がないということではありません。神様は私共の祈りを聞いてくださいますし、その憐れみの中で、私共の思いを超えた力をもって御業を為してくださいます。私共はそれを信じておりますし、神様はそのように私共が神様を信頼し頼ることを喜んで受け入れてくださいます。しかしそれは、これを持っていれば、或いはこの言葉で祈れば、神様は私共の願いを聞いてくれるというものではありません。それは偶像であり、呪術です。私共はただ神様の御前にひれ伏し、憐れみを願うだけです。「神様の御前」とは、私共が生きているすべての場所です。私共は神様が天におられることを知っています。天はすべての地の上にあります。私共の生きているすべての地の上に天はあり、そこに神様はおられます。そこに向かって私共が祈りを捧げる時、そこが「神の御前」となります。私共は神様の御前において、神様を畏れ、敬い、憐れみを求めて祈るばかりです。私共が何らかの手段で神様に自分たちの願いを叶えさせようとすることは出来ませんし、許されません。それは神様を自分のために利用することだからです。

5.敗戦の理由(2) 悔い改めなき信仰
さて、もう一つの点は、2章、3章からの流れの中で見なければなりません。それは、祭司エリの二人の息子ホフニとピネハスのことです。彼らは祭司エリの息子であり、契約の箱があるシロの聖所におりました。しかし、彼らのしていたことは、人々が神様に捧げるための供え物から、神様に捧げる前に自分たちが好きなところを取って、私腹を肥やすということでした。神様をないがしろにしていたのです。更に、聖所において性的な乱れも引き起こしました。祭司エリは息子たちを諭しましたけれど、彼らは父の言うことを聞こうとはしませんでした。そして神様は、エリの家を裁くこと、この二人の息子を裁くことをサムエルを通してお告げになりました。「主の契約の箱」をシロの聖所から戦場に運んできたのは兵士たちでしたが、ホフニとピネハスも一緒でした。祭司エリは高齢でしたので、息子たちが来たのでしょう。そして、聖書はペリシテとの戦いでイスラエルの三万人の歩兵が倒れたことを記すと共に、ホフニとピネハスが死んだと記します。サムエルによって告げられたように、神様はホフニとピネハスを裁かれました。ホフニとピネハスが契約の箱を神輿のように担いだとしても、主はそこにはおられなかった。それは、彼らが長い間、悔い改めることなく、神様をないがしろにしてきたからです。神様は、御自分をないがしろにする者と共にはおられません。裁かれます。そもそも、ホフニとピネハスには信仰があったのでしょうか。もしあったとするならば、それは「悔い改めなき信仰」というものでした。聖書の信仰において、悔い改めなき信仰というものはあり得ません。しかし、ホフニとピネハスは、自分の父が祭司だったというただそれだけの理由で、聖所で祭司の役割をしていました。父エリに咎められようと、耳を貸すことはありませんでした。彼らは神様をないがしろにし、シロの聖所に集うイスラエルの民の信仰さえも弱めていたのです。彼らが悔い改めることはありませんでした。そして、神様がそれを見過ごされることもありませんでした。  日本人の宗教感覚において、信仰と悔い改めは必ずしも結びつくものではないかもしれません。それは、信じる対象が生ける聖なる神ではないからです。偶像の前では悔い改めることはありません。しかし、聖書の信仰においては、聖なる神様の御前に出た時、私共は自らの罪を知らされます。そこで私共は自らの罪を悔い、赦しを求めます。そして、神様から赦しを受けて、神様との親しい交わりを与えられ、神様との共なる歩みが始まります。更にその歩みを為していく中においても、私共は神様を愛し、信頼し、従うことにおいて不徹底であることを知らされます。神様の御心よりも自分の思いばかりが前に出てしまうからです。ですから、悔い改めは一度すれば良いというものではなく、神様の御前に出る度に、私共は悔い改めへと導かれます。罪人である人間は、悔い改めなしには聖なる神様と共にあることは出来ないからです。

6.イ・カボド
 この戦いの結果、「主の契約の箱」つまり「神の箱」はペリシテに奪われてしまいました。祭司エリは98歳になっていました。エリは戦場から戻って来た者から、イスラエル軍がペリシテ軍の前に敗走したこと、多くの兵士が死んだこと、二人の息子ホフニとピネハスが死んだことを伝えられます。そして最後に、「神の箱」が奪われたことが告げられました。18節には「その男の報告が神の箱のことに及ぶと、エリは城門のそばの彼の席からあおむけに落ち、首を折って死んだ。」と記されています。彼はサムエルによって告げられた神様の言葉によって、自分の二人の息子が死ぬことは覚悟していたことでしょう。しかし、「神の箱」が奪われた。このことに祭司エリは脳天を砕かれるようなショックを受けました。そして、実際首を折って死んでしまいました。
 11節以下の所で5回も「神の箱が奪われ」と告げられています。「神の箱が奪われ」たということは、祭司エリにとって、神様の御臨在を失った、神様の民としてのイスラエルの存在意義がなくなったということでした。
 最後にピネハスの妻が産気づいて子を産みます。そして、その子の名が「イカボド」と名付けられたと記されて4章は終わります。イカボドとは、「イ=どこへ」と「カーボード=神の栄光」が合わされた言葉で、「神の栄光はどこへ」つまり「神の栄光は失われた」という意味です。「神の箱」はペリシテに奪われました。神様は、ペリシテとの戦いでは、出エジプトの時に現されたような不思議な業をもってイスラエル軍を守ってはくれませんでした。では、ピネハスの妻が我が子に「イカボド」と名付けたように、神様の栄光、神様の御臨在は、イスラエルから去ってしまったのでしょうか。もしそうであるならば、イスラエルの歴史はここで閉じられたことでしょう。しかし、そうはなりませんでした。確かに「神の箱」はペリシテに奪われ、イスラエルは神様の御臨在を失ったかのように見えます。しかし、これに続く5章・6章には、「神の箱」がイスラエルに戻ってくる話が記されています。つまり、「神の箱」が失われたのは一時のことでした。それは神様の懲らしめのためではなかったかと思われます。神様は神の民を懲らしめ、訓練されますが、神の民を見捨てることは決してありません。しかしそれは、「神様は裁かない」ということでは全くありません。神様は裁かれます。徹底的に裁かれます。そして、悔い改めることを求め、時を与えてくださいます。その御心がはっきり表されたのが、イエス様の到来であり、イエス様の十字架であり、イエス様の御言葉です。

7.神様のイチジクの木
 先ほどルカによる福音書13章6節以下のイエス様によるたとえ話を読みました。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」というたとえ話です。
 このたとえ話には、イチジクの木と、それを植えた主人と、その木の面倒を見ている園丁とが出てきます。主人は父なる神様です。イチジクの木とは、神様に植えられた木ですから、神の民イスラエル、また私共キリスト者を指しています。そして、園丁とは主イエス・キリストです。父なる神様は、求める実を見つけることが出来ないので、イチジクの木を切り倒せと言われる。神様が求める実とは、神様の御前に悔い改めて、神様と共に生きる者となるということです。それがないのなら切り倒すしかない。裁き、滅ぼすしかない、そう言われる。しかし、それに対して園丁は、「肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。」と言います。つまり、園丁は「もう少し待ってください。」と言うのです。「もう少し待ってください。」これは、切り倒されることを知らない、実を付けていないイチジクの木に代わって、主イエスが神様に向かって言われるのです。「肥やしをやってみます。」とは、イエス様の十字架、そしてイエス様の御言葉を指しています。主イエスは、悔い改めることなく、神様に裁かれることさえ考えず、のん気に構えている人間のために、御自身が十字架に架かり、神様の裁きを待っていただいているのです。そして、イエス様は私共に向かっては、「神様の裁きが来る前に悔い改めよ。」そう告げています。

8.神は御言葉と共に
では、「神の箱」「主の契約の箱」がペリシテに奪われた時、神様はどのようにして神の民に御臨在を示し、神の民を導かれたのでしょうか。それはサムエルを通して、神の言葉を、神様の御心をイスラエルに伝えることによってです。4章1節は「サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。」です。イスラエルにはサムエルがいました。彼の言葉が全イスラエルに及んだのです。3章の最後を見てみましょう。「サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた。主は引き続きシロで御自身を現された。」とあります。実に、主なる神様は御言葉をもって、シロでサムエルに御自身を示されました。サムエルは神様の御心を告げ、偶像から離れ、悔い改めて主なる神様と共に歩むことを告げました。ですから、たとえ「神の箱」が奪われたとしても、神の民イスラエルは神様の御臨在を失った、神様と共にあることがなくなったわけではありません。神様は御言葉と共に、御言葉によって、神の民イスラエルの上に臨まれました。そのために、神様は御自分の言葉を告げるサムエルを備えられたのです。それは、今に至るまで変わりません。神様は神様の言葉と共におられます。神の言葉と共にあるのならば、神様はいつでも、どこでも、何をしていても、神の民と共にいてくださいます。私共の神様は、目に見える何かと共にあるのではありません。立派な礼拝堂も、木や金属で出来た十字架も、本としての聖書も、神様を直接宿すことは出来ません。では聖餐はどうだ、と思う方もおられるでしょう。聖餐のパンと杯は、御言葉と共にあることによって、イエス様の御臨在をはっきりと示すものとなります。そのようにして、神様は御言葉を与えて、神の民と共に歩んでくださいます。私共が御言葉を受けて悔い改め、神様との親しい交わりの中に生きる時、神様は私共と共にいてくださいます。いつでも、どこでも、どんな時にもです。その神様と共なる歩みへと、ここからまた新しく歩んでまいりましょう。

 お祈りいたします。

 恵みと慈愛に満ちたもう、全能の父なる神様。
 あなた様は今朝、私共に新しく御言葉を与えてくださいました。ありがとうございます。私共は自分の都合ばかり考え、あなた様の御心を二の次にしてしまうような者です。聖なるあなた様の御前に出ることさえ出来ないような者です。しかし、あなた様はそのような私共のためにイエス様を与えてくださり、共に歩もうと招いてくださいます。御言葉をもって私共の信仰をただしてくださいます。どうか、あなた様との親しい交わりの中で、ここから始まる新しい一週も、御国に向かっての確かな歩みをなさせてください。
 この祈りを、私共の主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

                                        

[2022年7月31日]