日本キリスト教団 富山鹿島町教会ホームページ|礼拝説教

礼拝説教

「王権は続かない」
サムエル記 上 13章1~16a節
使徒言行録 13章16b~23節

小堀康彦 牧師

1.はじめに
 レント、受難節の日々を歩んでおります。今朝は3月の最後の主の日ですので、旧約から御言葉を受けます。サムエル記上の13章です。ベニヤミン族のサウルという青年が神様に選ばれて、イスラエルの最初の王様となりました。この時代、イスラエルの民と最も厳しく敵対していた民族はペリシテでした。現在、この地方はパレスチナと呼ばれていますが、このパレスチナという地名は、「ペリシテ」という言葉がなまって出来たと考えられています。ペリシテ人については分かっていないことが多いのですけれど、紀元前13世紀頃に地中海の東の地域にやって来た「海の民」ではないかと考えられています。エーゲ海やギリシャのミケーネ文明を担った人々に起源を持ち、大変高度な文明を持っていました。彼らは地中海の東の沿岸地域に住み、イスラエルはその山側に住んでいました。出エジプトの時、イスラエルはエジプトから地中海の沿岸部を通って約束の地に入ったのではなく、沿岸部を避けるようにして東側からヨルダン川を渡って、約束の地の山側に入りました。普通に考えますと、エジプトから約束の地に行くのならば、左手に海を見て、平坦な沿岸部を北上した方がずっと近くて楽だったはずです。ところが、イスラエルはそうしませんでした。それは、沿岸部にはペリシテ人が住んでいたからだと考えられています。勿論、神様がそのことに配慮し、沿岸部を避けてイスラエルを導かれたのですけれど。出エジプト記13章17~18節には、「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。」とあります。「ペリシテ街道」と言われているほどに、沿岸部の道はペリシテが支配していました。そしてイスラエルが約束の地に入っても、海側はペリシテ、山側にイスラエル、そのように交わることなく住み分けていれば良かったのですけれど、次第に接触し、そして衝突するようになってしまいました。そのような時代にイスラエルの王として立てられたのがサウルでした。

2.ペリシテとの戦いを前に
 今朝与えられている御言葉は、そのペリシテとイスラエルの王サウルが最初に戦った時のことが記されています。2節を見ますと、「イスラエルから三千人をえりすぐった。そのうちの二千人をミクマスとベテルの山地で自らのもとに、他の千人をベニヤミンのギブアでヨナタンのもとに置き、残りの民はそれぞれの天幕に帰らせた。」とあります。つまり、サウル王は3000人の常備軍を持つようになりました。2000人は自分のもとに、1000人は息子のヨナタンのもとに置きました。そして、サウル王の息子ヨナタンはペリシテの守備隊と戦い、これを破ります。その結果、イスラエルとペリシテとの間で全面戦争が勃発してしまいました。
 当時のペリシテ人とイスラエルとの間には、決定的な文明の差がありました。それは鉄を持っているかどうかです。今朝与えられている御言葉の直後にこう記されています。19節「さて、イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである。」とあり、更に22節には「こういうわけで、戦いの日にも、サウルとヨナタンの指揮下の兵士はだれも剣や槍を手にしていなかった。持っているのはサウルとその子ヨナタンだけであった。」つまり、王様のサウルとその息子ヨナタンだけが鉄の剣と槍を持っていたけれど、それ以外の者は持っていなかった。理由はイスラエルは鉄を造ることが出来なかったからです。では、イスラエルは何を武器としていたのか。こん棒と石です。これがイスラエルの主な武器でした。一方、ペリシテは鉄を造ることが出来ました。それでペリシテの兵士たちは鉄の剣や槍を持っていました。更に鎧を持つ者までいました。圧倒的な差です。
 そして、この鉄を持つことによってペリシテは、広い畑を耕せるようになりました。その結果、多くの人口を養うことが出来るようになります。鉄は持っているし、人口は多い。つまり多くの兵士を動員出来たわけです。その数が5節に記されています。「ペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結した。その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった。彼らは上って来て、ベト・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。」これはとんでもない兵力です。戦車というのは、馬に引かせた車輪の付いた乗り物です。「ベン・ハー」という映画を見た方が多いと思いますが、あれに出てくる乗り物がここで言われている戦車です。戦車3万とありますけれど、これはとんでもない数です。出エジプトの時にエジプトの軍勢がイスラエルを追ってきましたが、その時の戦車の数は600でした。その50倍です。また、戦車は士官が乗るものですから、戦車一台につき何十人という歩兵が付いているものです。仮に50人が付いていたとしますと、歩兵の数は150万人というとてつもない数になってしまいます。更に騎兵が6000人。一方、イスラエルには、この時騎兵はまだなかったと思います。また、イスラエルは鉄を持っていませんから、この時自分たちで戦車を造ることも出来なかったのではないかと思います。とんでもない数の兵士とおびただしい最新兵器がイスラエル軍の前に現れたわけです。これに対するイスラエルは、こん棒と石を持った常備軍3000。サウルは全イスラエルに集結するように呼びかけましたけれど、どれほど集まったでしょうか。
このペリシテの陣容を見たイスラエルは、戦う前から戦意を喪失してしまいました。6~7節「イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。ヨルダン川を渡り、ガドやギレアドの地に逃げ延びたヘブライ人もあった。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていた。」イスラエルの人々は、みんな逃げたり、隠れたりしました。何とか逃げないでいた兵士たちも、サウル王の後ろでおののいていた。これでは、戦う前から結果は目に見えています。兵力差は数だけでも100倍以上。しかも、武器の質が全く違う。イスラエルの人たちが逃げたり、隠れたりするのも当然です。

3.神様に頼る
 サウル王はこの時、どうしたでしょうか。焼き尽くす献げ物をささげたのです。焼き尽くす献げ物をささげて、神様に勝利を願い求めたのです。焼き尽くす献げ物をささげるのは祭司の務めです。この時はサムエルがその役を担っていました。サウルはサムエルに来てもらって焼き尽くす献げ物をささげ、神様の守りと力添え、そして神様御自身が戦ってくださるように願い求めるつもりでした。サムエルはサウル王に7日間待つように命じます。サウルは7日待ちましたけれど、サムエルは来ません。それで、サウル王は自ら焼き尽くす献げ物をささげたのです。ところが、サウル王が焼き尽くす献げ物をささげ終えたその時、サムエルが到着しました。何と間が悪いことでしょう。サウル王はサムエルにこう告げました。11~12節「サムエルは言った。『あなたは何をしたのか。』サウルは答えた。『兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました。』」このサウル王の言い分は、よく分かります。ペリシテの軍勢を見て、イスラエルの兵士たちがサウルのもとからどんどん逃げていく。それを止めることも出来ない。サウル王は、一日千秋の思いでサムエルを待ったことでしょう。しかし、サムエルは来ない。サウル王は遂にしびれを切らして、サムエルに代わって焼き尽くす献げ物をささげて、神様に助けを求めたのです。これのどこが悪いというのでしょうか。
 サムエルはサウル王にこう告げます。13~14節「サムエルはサウルに言った。『あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。』」なんかサウル王がかわいそうだ。そんな風に感じる人もいるでしょう。サウル王の置かれている状況を考えれば、とてももうサムエルを待ってはいられない、そこまで追い詰められていたのでしょう。何しろ、ペリシテの軍勢は比べものにならないほどに強大なのです。その上、兵士たちは逃げ始めている。15節bには「サウルは、自分のもとにいた兵士を数えた。およそ六百人であった。」とあります。3000人いた兵士が600人にまで減っています。まだ戦いは始まっていません。それなのに、3000人のうち2400人がもういない。逃げたのでしょう。5分の4、つまり80%もの兵士が逃げてしまっていたのです。何とかしなければ。そう思うのは当然でしょう。いや、もう何ともならない。それが客観的な判断かもしれません。しかし、サムエルがサウル王に言い放った言葉には、サウル王に対する同情は少しも感じられません。どうしてでしょうか。サムエルはこのサウル王の行動に、神様への信頼の欠如をはっきり見たからです。たとえ兵士がすべて逃げようとも、神様によって立てられた神の民の王であるサウルは、ただ神様の力と御業と愛を信頼して立ち続けなければならなかったのです。神様と共にあるイスラエルは倒れはしない。ペリシテに破れることなどない。サムエルは、神の民イスラエルの王であるサウルが、その神様への信頼の上に立てなかったことを責めたのです。サウル王は目の前の強大な敵を前に、神の民の戦いは主なる神様の戦いであることを忘れてしまったのです。そのようなことでは、神の民の王であり続けることは出来ない。あなたの王権は続かない。サムエルはそう宣言したのです。

4.この戦いの結末:ヨナタンによって
 では、この戦いの結末はどうだったでしょうか。神様によってサウル王は見捨てられてしまった以上、圧倒的な軍勢の差があるイスラエルはペリシテの軍勢にあっという間にけ散らされ、徹底的に打ちのめされ、敗北したのでしょうか。そうはならなかったのです。えっ??と思いますよね。14章に記されていることですが、サウル王の息子ヨナタンが自分の武器を持つ従者と二人で、ペリシテの先陣に切り込んでいったのです。彼は従者にこう告げました。14章の6節です。「ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。『さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない。』」彼は「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない。」と言い切りました。この信仰です。ヨナタンはペリシテの陣に行き、20人ほどを切り倒します。このため、恐怖がペリシテの陣営に広がり、地は揺れ動き、恐怖はその極に達しました。そして、ペリシテ軍は同士討ちを始め、それを見て逃げいてたイスラエルの兵士たちも混乱に乗じて戻り始め、ペリシテ軍は敗走し、イスラエルは勝利したのです。ヨナタンの信仰に基づく行動が、戦局を変えてしまいました。勿論、そこに神様の御手が働いたことは言うまでもありません。主が戦ってくださったのです。
 このヨナタンは、サウル王の次のイスラエルの王として選ばれたダビデと、深い友情で結ばれます。信仰によって結ばれた友情です。ダビデもまた、ペリシテの巨人ゴリアトと戦う時、「あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。」(サムエル記上17章36節)と告げ、ゴリアトと一騎打ちをして、鎧で身を包んだゴリアトを石で倒しました。ヨナタンとダビデの友情は、神様の御業を信じ抜く信仰によって結ばれたものでした。
 サウル王がこの時、神の民の王として為すべきだったことは、焼き尽くす献げ物をサムエルに代わってささげることではなく、サムエルが来るまでじっと待つこと。そして、神様のお働きによってイスラエルは必ず勝利するいうことを信じ抜くこと、信じ切ることでした。それが神の民の王であるサウルの為すべきことだったのです。

5.神の民は神様と共にある
 私共が今朝この御言葉からはっきり示されることは、神様の御業を信じ抜く、信じ切るということです。私共にとっては、ヨナタンやダビデよりも、サウル王の方が分かりやすいかもしれません。サウル王は目に見えるものによって判断しました。しかし、ヨナタンもダビデも、目に見える所によって判断することなく、ただ神様の御業だけを信じました。これが神様によって私共に与えられている信仰です。イエス様は十字架に架かり、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に復活されました。このイエス様の御業によって罪を赦され、神の子とされ、復活の命を与えられた私共です。復活の命を、目に見える何によって知ることが出来ますか。目に見える何を根拠にして復活の命を確信出来るでしょうか。目に見えるものなど何もありません。まして、私共の力など何の役にも立ちません。私共は肉体の死によって限界付けられた存在です。しかし、神様・イエス様には、そんな限界はありません。そして、神様・イエス様は、私共の限界を突破し、私共を救いの完成へと導いてくださいます。永遠の命を与えてくださいます。これを信じるのが、私共に与えられた信仰です。この信仰においては、私共の愚かさ、力のなさ、罪深さ、肉体の弱さといったものは、決定的な意味を持ちません。それを突き抜けて、神様の全能の御力が働かれるからです。この神様の憐れみと全能の御腕の中に生きる者とされたのが私共です。私共に与えられている信仰は、憐れみ深く全能の御力を持っておられる、この神様と共にあるという信仰です。そして、その信仰によって拓かれた新しい世界は、この神様と共に生きる世界です。ですから、私共は自らの弱さや愚かさを自覚しつつも、少しも「もうダメだ」とは思わないのです。「もうダメだ」というのは、神なき世界の言葉です。神様に救われる前の私共の言葉です。自分の力で何とかしなければ、何とか出来る、と思っている世界の言葉です。しかし、神様に救われ、神様と共にある者とされた私共には、「もうダメだ」はありません。私はダメですけれど、神様が生きて働き、出来事を起こし、御業を為してくださるからです。それを信じるのが私共の信仰です。

6.神の民とは、弱く、小さなもの
 聖書が告げる神の民は、いつも弱く、小さな存在です。神の民は、アブラハムから始まりました。たった一人からです。アブラハムから生まれたのはイサク。イサクからヤコブ。ヤコブから12人の息子たち。そして、イスラエルの民となりました。彼らはエジプトの地で奴隷になりましたが、神様はモーセを立てて、御自分の民をエジプトから導き出しました。しかし、エジプトを脱出して約束の地に来ても、周りには強大な力を持った民がいつもいました。イスラエルは弱く、小さな民であり続けました。申命記7章6~7節「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。」と告げられています。アッシリア、バビロン、ペルシャ、マケドニア、ローマそしてエジプトという巨大な国家に支配され、神の民はいつも弱く、小さな民でしかありませんでした。そして、イエス様の弟子たちである新しいイスラエルは、たった12人で始まりました。パウロが伝道した時代、新約聖書が記された時代、キリストの教会はまことに小さな群れでしかありませんでした。人間の目から見ればそうでした。しかし、どんなに小さな群れであろうと、どんなに愚かな民であろうと、どんなに不信仰な民であろうと、神の民は、神様の愛してやまない特別な存在であり続けてきました。神様の宝の民です。それは今も変わりません。私共は神様の「宝の民」です。だから、大丈夫なのです。自分の力や能力ばかり見てしまえば、私共はサウル王と同じように、「もうダメだ」と思わざるを得ない現実の中に生きています。しかし、今朝、御言葉を通して私共に告げられたことは、私共を愛してくださっている全能の神様が、私共と共にいてくださるということです。この神様を信頼するということです。信じ抜くということです。時が来れば、神様が事を為してくださるのですから、私共はうろたえることなく、恐れることなく、それぞれ為すべきことを神様の御前に、健やかに為していけば良いのです。

 お祈りします。

 恵みと慈愛に満ちたもう、全能の父なる神様。
 あなた様は今朝、御言葉を通して、御自身が私共と共にいてくださり、私共の思いを超えた御業を為してくださる方であることを示してくださいました。そして、あなた様を信じ抜くことを促してくださいました。ありがとうございます。私共は、不信仰故に、しばしばあなた様の憐れみに満ちた全能の御業に信頼することが出来ずに、「ああ、もうダメだ」と嘆いてしまいます。しかし、あなた様は私共の父であられます。私共はあなた様の子としていただきました。どうか、私共に聖霊を注ぎ、信仰を与えてくださり、あなた様を信頼して、安んじて御国に向かっての歩みを為させてください。
 この祈りを、私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

[2023年3月26日]