日本キリスト教団 富山鹿島町教会ホームページ|礼拝説教

伝道開始記念礼拝説教

「地の果てに至るまで」
詩編 19編2~5節
使徒言行録 1章6~11節

小堀康彦 牧師

1.はじめに
 本日の礼拝は伝道開始142年記念礼拝です。週報に記してありますように、私共の教会の伝道開始は、1881年(明治14年)8月12日~14日の三日間、富山市旅籠町において開かれたトマス・ウィン宣教師一行による伝道集会です。これが、富山に初めて福音が公に伝えられた時です。勿論この時、富山にはキリストの教会は一つもありませんでしたし、キリスト者も一人もおりませんでした。私は毎年伝道開始記念礼拝をささげる度に、当たり前のことなのですけれど、たった142年前には富山には一人のキリスト者もいなかったという事実に驚くのです。現在でも富山のキリスト者の数は少ないですが、それでも幾つもの教会が建っています。富山市内だけでも10以上あるでしょう。その内、日本基督教団の教会が3つです。富山県全体では30以上のキリストの教会があるでしょう。その内、9つが日本基督教団の教会です。
 富山県にある日本基督教団の教会はどれも古いものです。昭和3年、今から95年前に亀谷凌雲牧師が当教会を辞して、御自身の出身地である新庄の地で開拓伝道に専心されて建てられた富山で一番新しい教会、それが富山新庄教会です。逆に言いますと、それから富山県では新しい開拓伝道が日本基督教団としては為されていないということになります。富山市にあります多くの教会は戦後に建ったものです。もっとも、私共の教会も含めて戦前から富山市にあった教会の建物は8月1日の富山大空襲で皆焼けてしまいました。そこから戦後に会堂を建て替えて、それぞれの教会は再出発したというのが実情です。先の大戦が終わった時、私共の教会も会堂は焼失し、教会員は9名、定住牧師はいない。そういう状況でした。コンセットハットの会堂(かまぼこ型兵舎の払い下げ)が与えられ、日本基督教団富山総曲輪教会として最初の礼拝がささげられましたのは、1951年(昭和26年)8月10日のことでした。実に、大戦が終わって6年後のことです。それまでの間、二番町教会と合同で礼拝したり、焼失しなかった富山新庄教会の会堂で礼拝をささげたりしておりました。そして、1954年(昭和29年)に鷲山林蔵牧師が着任されて、再出発の歩みが力強く始められていきました。鷲山林蔵牧師の後に山倉芳治牧師、その後に大久保照牧師、藤掛順一牧師、そして私と続きます。伝道開始142年を記念するに当たって、私共は、改めてこの地における伝道の志を新たにされたいと願うのです。

2.復活のイエス様の言葉①:マタイによる福音書
 さて、キリストの教会は、イエス様の弟子たちが復活されたイエス様御自身に出会い、復活のイエス様によって告げられた御言葉に促され、押し出され、イエス様の弟子集団としての歩みを始めました。復活のイエス様が弟子たちに告げられた御言葉。多分、皆さんがすぐに思い起こすのは、マタイによる福音書の最後に記されている御言葉でしょう。28章18~20節「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」ここには、一つの宣言と三つの御命令と一つの約束が告げられています。
 第一に、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」という宣言。ここでイエス様は、御自身が誰であるか、どのような者なのかということを明確に告げておられます。イエス様は天と地のすべてを支配し、これを導く権威と力を持つ者であると告げられました。要するに、天地を造られた神様と同じであると宣言されたわけです。この、イエス様が誰であるかということは、決定的に重要です。弟子たちはイエス様の言われたこと、為されたこと、そして何よりもイエス様によって与えられた救いを告げていくわけですが、そのイエス様が、ちょっと偉いかもしれないけれど結局の所「ただの人間」ということであるならば、それは絶対に正しく、唯一の救いであるとは言えないでしょう。偉い人は、幾らでもいるのですから。イエス様は復活された御姿をもって、弟子たちにこのことを告げられました。ただ口で言うだけなら、少し頭のおかしい人は誰でも言えます。しかし、その人は復活はしません。イエス様は復活されて、その御姿を弟子たちに現されて告げられました。だから、この言葉は真実なのです。  そして、三つの命令ですが、「すべての民をわたしの弟子にしなさい。」「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」なさい。「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」です。これはこのように三つに分けて考えることも出来ますけれど、一つのことの三つの側面を語られている、或いはひとつながりのことだと理解すべきでしょう。この三つは切り離すことが出来ません。キリスト者とは、イエス様の弟子であるということです。そして、キリスト者は洗礼を受けることによって、イエス様と一つに結ばれます。そして、洗礼を受けてイエス様の弟子となった者は、イエス様の言葉に喜んで従う者として生きていきます。この三つは分けることは出来ません。イエス様の弟子にはなるけれど、洗礼は受けない。洗礼は受けるけれど、イエス様の弟子にはならないし、イエス様に従って生きていくことはしない。私は私の道を行く。そんなことはあり得ません。そのようなわがままな人がいないとは言いませんけれど、それはイエス様が望まれている姿ではありません。キリストの教会は、この三つのことをいつの時代でも、どこの国や地域でも為し続けてきました。
 最後に、約束です。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」という約束。これがあればこそ、弟子たちはどこにでも出ていって、イエス様の御名を宣べ伝え、洗礼を授け、互いに愛し合い、赦し合い、仕え合っていくことを教えてきました。

  3.復活のイエス様の言葉②:ルカによる福音書
 今、マタイによる福音書が記す復活のイエス様が語られた言葉を見て来ましたけれど、ルカによる福音書ではどうでしょうか。ルカよる福音書の最後の所を見ますと、やはり復活されたイエス様は弟子たちにこう告げています。24章の最後の所です。45~48節「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。『次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。』」やはり、イエス様の十字架と復活、罪の赦しがすべての国の人々に伝えられていくとイエス様はお語りになりました。内容的には、マタイによる福音書の最後に記されているイエス様の大号令と同じです。ただ、ルカによる福音書が告げるイエス様の言葉で注目しなければならない言葉があります。それは「あなたがたは証人となる」という言葉です。イエス様がまことの神であられ、その告げられたことがどんなに素晴らしいか、その救いに与ることはどんなに私共を変えていくか、その恵みに与るために洗礼を受けなさい、と弟子たちは告げていくわけです。ここでイエス様は、それは「恵みの証人」「復活の証人」として伝えなければ、決して伝わるものではない。あなたがたは「証人」となるのだ、証人として伝えていくのだ、とイエス様は弟子たちに告げられたのです。
 先ほどお読みしました使徒言行録1章8節にもこうあります。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」ここでも、復活されたイエス様によって「証人となる」と告げられています。使徒言行録は元々ルカによる福音書とセットで、上巻・下巻と考えて良いものですから、この「証人となる」という表現は、イエス様の福音・イエス様の救いを宣べ伝えていく時に、これ以外のあり方ではダメだ、これ以外にない。そうイエス様に教えられたこととして伝えているわけです。

4.証人として
 「証人」というのは、実際に自分が見たり、聞いたり、体験したりしたことを語る者です。他人が言ったことを鵜呑みにして語るのでは証言にはなりません。聞いた者も「へー。」で終わってしまいます。イエス様が弟子たちにその復活の御姿を現されたのは、何よりも弟子たちがイエス様の「復活の証人」となるためでした。「イエス様が復活された」というこの事実には、イエス様は死によって滅ぼされない方であり、私共の一切の罪の裁きを飲み尽くしてくださる方、つまり、神様であり救い主であることが示されています。しかし、「イエス様が復活した」ということをどうして人々が信じるでしょうか。こんな話を聞けば、「あなたは頭がおかしいんじゃない。」と言われて終わりです。しかし、これをどうしても伝えて行かなければなりません。聖霊が弟子たちに降ったペンテコステの日、ペトロは、人々を前にしてキリストの教会における最初の説教をしました。長い説教ですので今それを語り直すことは出来ませんけれど、ペトロは使徒言行録2章32節でこう言っています。「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」イエス様の弟子とは、実にこのイエス様の証人、何よりも復活の証人として立てられた者なのです。
 もう一人、イエス様の弟子を見てみましょう。パウロです。彼はこのイエス様の福音をギリシャ人たちに伝えました。哲学の町アテネで、パウロはイエス様の福音を伝えます。けれど、イエス様の復活について話が及ぶと、人々は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう。」(使徒言行録17章32節)と言ってその場を切り上げました。人々は、復活を語るまでは話を聞く。しかし、復活の話になると相手にしない。耳を閉じてしまう。復活とは、そういうものです。現代人だから復活を信じないけれど、自然科学が発達していない二千年前なら信じた。そんなことはありません。いつの時代でも、どこの国でも、復活という出来事はとても信じられないことなのです。しかし、イエス様の復活がなければ、私共の救いもありません。では、この復活をどう伝えることが出来るのでしょうか。イエス様は「証人となる以外にない」と弟子たちに告げられたのです。証人として語るとは、このようにも考えられるし、このような見方も出来る、そんな話ではありません。弟子たちの前に復活のイエス様は立たれた。そのイエス様が弟子たちに話された。彼らはイエス様を見、イエス様の言葉を聞いた。その出来事を「証人として語る」。それ以外に語りようがない。それは、イエス様の十字架による赦しも同じことです。その赦しに自分は与った。神様の子とされ、神様と共なる歩みを与えられた。永遠の命の希望に生きる者となった。その私が、恵みの中に生かされている証人としてその恵みを語る。それ以外に語りようがない。福音とはそういうものです。語るだけではありません。その存在がイエス様の命を、喜びを、希望を証ししている。そのような者たちによって、福音は伝えられ続けてきました。
 そして、実際その福音が伝わったから、今、私共はこうしてイエス様を我が主・我が神として拝み、礼拝しているわけです。そこで何が起こったのでしょうか。何が起き続けてきたのでしょうか。それが「聖霊によって」ということです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、…地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」とあるとおりです。証人として立ち、証人として語る。そして、それが証言として聞き取られ、受け止められ、信じる者が起こされる。それは、聖霊なる神様による驚くべき御業、もっとはっきり言えば奇跡なのです。その奇跡を起こし続けておられるお方、それが聖霊なる神様です。弟子たちは証人として語ったわけですが、第一世代の弟子たちはそれで良いとして、第二世代、第三世代の弟子たちはどうだったのでしょうか。復活されたイエス様は40日間、復活の御姿を弟子たちに現されて、天に上って行かれました。ですから、第一世代の弟子たち以降、復活のイエス様に出会った弟子たちはいないわけです。私共もそうです。それがどうして証言することが出来るのでしょうか。それが「聖霊によって」ということです。聖霊のお働きの中で、代々の聖徒たちはイエス様の御言葉を聞いてきました。自分に告げられた言葉として聞いてきました。また、イエス様の救いの御業を見てきました。だから、証言することが出来たのです。皆さんが救いに与ったのも、そういうことです。聖霊なる神様によって、出来事が起きました。実にキリスト者は、そしてキリストの教会は、その存在そのものが聖霊なる神様による奇跡です。キリストの教会は、この奇跡によって福音を宣べ伝え続け、この奇跡によって建ち続けています。

5.復活のイエス様の言葉③:地の果てまで
 使徒言行録1章において復活のイエス様が告げられたもう一つの言葉に注目してみましょう。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、…地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と告げられた、「地の果てまで」です。先ほど、パウロはギリシャ人に伝道したと申しました。イエス様の救いは、ユダヤ教という民俗宗教の枠を越えて広がっていきました。ローマ帝国全体に広がっていきました。そして、西ローマ帝国のキリスト教会はゲルマン民族へ、東ローマ帝国のキリスト教会はスラブ民族へと伝道していきました。キリストの福音が自然に広がっていく。そんなことは決してありません。イエス様の福音を伝えるために召され、立てられ、遣わされた者がいて、そしてそれを支えるキリスト者の群れがありました。地道に、たゆみなく、キリストの福音は伝えられ続けられました。そして1881年、142年前にこの富山にもイエス様の福音が伝えられたのです。
1881年、それは「偉大な19世紀」と呼ばれる時代の中の出来事でした。「偉大な19世紀」、それはキリスト教の伝道の歴史において特筆すべき、桁違いの数の宣教師たちが世界中のキリストの教会から、まさに「地の果てまで」遣わされた時代です。そこで中心的な役割を果たしたのがアメリカ合衆国の教会でした。ローマ・カトリック教会においては16世紀に世界伝道が積極的になされました。この時にフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本に伝えられました。そして19世紀、福音主義教会もローマ・カトリック教会も世界中の教会が、まだ福音を知らない世界中の国や地域に宣教師を遣わしました。その数は何千、何万という数になると思います。まさに、イエス様が告げられた「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」との御言葉によって押し出された人々が、地の果てにまで出ていきました。

6.復活のイエス様と共に、この御言葉に促されて
 どうして、イエス様の福音は「地の果てに至るまで」伝えられなければならないのでしょうか。「イエス様がそのようにお命じになったから」、それはそのとおりなのですけれど、その根本的な理由は、神様は天と地のすべてを造られたただ独りのお方だからです。先ほど詩編19編の始めの所をお読みしました。この詩編は、神様の創造の御業を歌った詩編です。詩人は2節「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」と歌い、5節「その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」と歌います。天と地にあるすべてのものは神様によって造られた。すべての被造物はその存在をもって、神様の全能性、偉大さ、大いなることを示している、と歌います。立山も称名滝もそうです。立山や称名滝が凄いのではなくて、それを造られた神様が偉大なのであり、立山も称名滝もその存在をもって神様の偉大さを語っている。人間もそうです。実に複雑なメカニズムで呼吸をし、運動し、考え、生きています。その世界の主、世界の王が、御子をイエス様として送られ、その御子の十字架によって私共を救い、新しい命に生かし、神様との親しい交わりの中に生きるようにと招いてくださいました。ですから、この救いはすべての者に開かれています。しかし、この御心が伝えられなければ、人はどうしてその招きに応えることが出来るでしょう。だから、地の果てに至るまで伝えられなければならないのです。
 この神様の御心をしっかりと受け止め、この御心に従う者として、「先に」キリスト者は救われました。先に救われた者は、この良き知らせをまだ知らない人に伝える責任があります。その責任を自分のこととして受け止めた者によって、福音は伝えられ続けてきました。私共にもその責任があります。イエス様に与えられた責任を果たしてきた代々の聖徒たちは、復活のイエス様が弟子たちに告げられた言葉を、自分に告げられた言葉として聞きました。そして、この言葉に促されて出ていきました。そして、代々の聖徒たちは御言葉を語り続ける中で、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というイエス様の約束が真実であることを知らされ続けました。イエス様が共にいてくださるという恵みの事実は、茶の間でのんびりお茶を飲んでいる時に思い知るというよりは、この復活のイエスの御言葉に従う中で、この御言葉に促されて一歩を踏み出す中で、本当にそうなんだと出来事をもって知らされていくものです。「地の果て」とは、イエス様の福音を知らない人がいる所のすべてです。いわゆるキリスト教国の中にも「地の果て」はあります。そしてその意味では、この富山は「地の果て」だらけです。私共が救われたということは、この「地の果て」において、神様から遣わされている者として、主の御前における責任を果たす者として召されたということです。ですから、まことに欠けに満ちた器でありますけれど、言葉と業と存在をもって主の救いの証人として為すべき務めを果たしていきたいと心から願うのです。

 お祈りします。

 恵みと慈愛に満ちたもう、全能の父なる神様。
 伝道開始142年を覚えて、御言葉を与えられました。聖霊なる神様のお働きの中で救われ生かされておりますことを心から感謝します。先に救われました私共が、まだあなた様の救いを知らない一人一人にあなた様の救いの恵みを証言していくことが出来ますように、いよいよあなた様の救いの恵みの素晴らしさを味わい知らせてください。復活のイエス様の御臨在のもとで弟子たちに語られたイエス様の言葉を、自分に語られた言葉として聞き取り、その御言葉に促され、健やかに、為すべき務めに励む者であらしめてください。
 この祈りを、私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

[2023年8月6日]