1.はじめに
今朝、私共は主イエス・キリストの御降誕を記念して礼拝を捧げています。クリスマスという言葉は、元は「クリスト」と「マス」という言葉から成っています。「マス」というのは「祭り・礼拝」を意味します。また、新約聖書が書かれたギリシャ語ではイエス・キリストを「イエスース・クリストス」と言います。ですから「クリスマス」は、「クリストの祭り・礼拝」、つまり「キリストの祭り・礼拝」という意味になります。イエス・キリストは二千年ほど前に、私共から見ればほとんど地球の裏側でお生まれになりました。その出来事を今日は世界中で喜び、祝っています。クリスマスというのは、この日にイエス様が生まれた誕生日というよりも、この日に「イエス様の誕生をお祝いする、記念する」と考えて良いでしょう。ただ、現在の私共が用いている暦で12月25日をクリスマスとしているのは西方教会です。私共の教会も西方教会の伝統にあります。一方、ロシア正教などの東方教会は、使っている暦が違いますので、12月25日をクリスマスとしていますけれど、その日は私共の暦では1月7日になっています。
2.クリスマス停戦
私が小・中学生・高校生の頃、ベトナム戦争がありました。そして、毎年この時期はクリスマス停戦が行われるとニュースで報道されていました。皆さんも覚えておられると思います。私は子供心に、「戦争しているのに、どうしてクリスマスだからといって停戦するのかな。」と思っていました。正直なところよく分かりませんでした。しかし、今はよく分かります。このクリスマス停戦には長い歴史があります。中世のヨーロッパでは、この季節に戦争をすることは禁じられていました。勿論、戦争なんて誰もやりたくありません。戦場にいる兵士たちも同じです。天使が「地には平和」と歌ったクリスマスに戦争をするなんて、御心に適わないことは明らかです。しかし、すぐに戦争を止めるわけにはいかない。そこで、クリスマス停戦となったのでしょう。
それでは、ウクライナやガザ地区では、今年はクリスマス停戦がないのだろうかと思って調べてみました。残念なことに、クリスマス停戦は行われないようです。それどころか、イエス・キリストの生誕の地とされるヨルダン川西岸にあるベツレヘムでは、毎年催されるクリスマス行事が中止になったそうです。ガザ地区で続く戦闘を受けてのことです。いつもならば、世界中からベツレヘムに大勢の人たちが集まりクリスマスを祝うのですけれど、今年はそれもありません。しかし、そうであればこそ、いよいよ主の平和がウクライナにもパレスチナにも与えられるようにと祈るものです。
3.ベツレヘムへ
イエス様がお生まれになったのは、ベツレヘムという村でした。このベツレヘムという村は、今お読みいたしましたサムエル記上17章12節以下に記されておりますように、ダビデの出身地でした。イスラエルの王となる前、ダビデはベツレヘムで羊の世話をする羊飼いをしていました。
マリアに御使いが現れ、「あなたは聖霊によって神の子を身ごもる」と告げてから、10ヶ月が経ちました。マリアはもう臨月になり、大きなお腹になっています。そういう時に、ローマ帝国の皇帝アウグストゥスから人口調査の勅令が出ました。人口調査をする目的は大体二つです。一つには税金を決めるため、もう一つは確保出来る兵士の数を把握するためでした。どちらにしても、ユダヤの人たちにとっては、ありがたい話ではありません。でも、ローマ帝国としては、大切なことでした。ローマ帝国全土に及ぶこの人口調査は、大変な労力がかかることですから、毎年なされていたわけではありません。しかし、イエス様が生まれるちょうどその年に、これがなされました。
ヨセフはダビデ家の家系でしたので、マリアと一緒に登録するために、住んでいたガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまで、直線距離でも120㎞くらいあります。歩いて行く距離にすれば200㎞くらいはあったのではないかと思います。身重のマリアと一緒の旅ですから、本当に大変だったでしょう。2週間くらいかかったでしょうか。ヨセフとマリアにとっては大変なことでしたけれど、これもまた、神様の御計画の中での出来事でした。救い主はダビデの家系から、ダビデ王によって示された神の民の王として生まれることになっていたからです。ダビデの町ベツレヘムは、救い主が生まれるのにまことに相応しい所でした。アウグストゥスの勅令がなければ、ヨセフとマリアがベツレヘムに行くこともなかったでしょう。神様がダビデに告げた約束の成就としてイエス様が生まれる。そのことが示されるために、ヨセフとマリアはベツレヘムに行かなければなりませんでした。
4.二人の王
ところで、ここには二人の王が出て来ます。文字通り、当時の世界の王、ローマ皇帝アウグストゥスと、大工の子として生まれた、何も出来ない赤ちゃんのイエス様です。ローマ帝国の皇帝は、勅令一つで世界中の人たちを動かすことが出来ました。ヨセフもマリアも、アウグストゥスの勅令に従って辛い旅をしなければなりませんでした。一方、神の国の王として来られたイエス様は、この時何も出来ませんし、何もしませんでした。この二人の王は比べるまでもありません。ローマ皇帝には目に見える力と富と権威がありました。しかし、この時の赤ちゃんイエス様にはそんな力や権威は何もありませんでした。
しかし、二千年経った今、人々はどちらの王の誕生を喜び祝っているでしょうか。それもまた言うまでもありません。イエス様です。ローマ皇帝アウグストゥスには、目に見える富と力と権威がありました。しかし、そのすべては朽ちていきました。今は彼の横顔が刻まれたコインと世界遺産として彼の造った建物が廃墟として残るだけです。しかし、イエス様は今も多くの人に誕生を喜ばれ、まことの王としてあがめられ、賛美を捧げられ、喜び迎えられています。どうしてでしょうか。それは、アウグストゥスは多くの人々の上に立つ者でしたけれど、ただの人間だったからです。一方、イエス様は、人々に仕え、御自分の命さえも差し出されました。しかし、イエス様はまことの神の御子でした。ここではっきりと、私共が求めるのはどちらなのかを問われます。私共は、アウグストゥスが持っていたものを求めるのか、イエス様が持っておられたものを求めるのか。イエス様がお持ちになっていたものは、愛であり、平和であり、喜びであり、謙遜であり、真実であり、そして何よりも神様と共にある命、永遠の命でした。私共は朽ちるものではなく、朽ちない宝を求めます。
5.ベツレヘムにて
さて、ヨセフとマリアがベツレヘムに着きます。しかし、彼らが泊まるための宿は空いていませんでした。マリアが身重でしたので、ベツレヘムに着くのが遅くなってしまったのかもしれません。現代のように、電話やインターネットで予約するという時代ではありません。それに二千年も前のことですから、専門の宿屋がベツレヘムの村にあったのかどうか。多分、この「宿屋」というのは、現代で言うところの「民泊」あるいは「民宿」のようなものではなかったかと思います。ダビデ家の家系の者たちがベツレヘムの村に次々にやって来る。ベツレヘムの村の人たちは、その人たちをそれぞれ自分の家に迎えたのでしょう。親戚もいたでしょう。しかし、ヨセフとマリアが泊めてもらおうとしてベツレヘム中の家を訪ねても、もう一杯で泊まるところがありませんでした。ヨセフとマリアは困ったことでしょう。マリアが身重であることは、見れば分かります。ですから、ヨセフとマリアに対して、「泊まる場所がない」と言って断るのは、断る方も辛かっただろうと思います。しかし、これもまた神様の御計画の中でのことでした。
6.馬小屋にて
ヨセフとマリアは馬小屋に泊まることになりました。聖書には馬小屋とは書いてありません。ただ、イエス様が寝かされたのが飼い葉桶で、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ということから、馬小屋ではないかと考えられてきました。当時のイスラエルの家の構造から、この馬小屋というのは、昔の日本の農家と同じように、家に入ると土間の脇に牛や馬を繋いでいる場所があって、そこではないかと言う人もいます。そうかもしれません。
これも神様の大きな御計画の中での出来事でした。目に見える所だけ見れば、ヨセフとマリアは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ので、馬小屋に泊まることになったわけです。しかし、イエス様が大工ヨセフと幼いいいなずけのマリアのもとに生まれることになったという所から、すでに一貫した神様の御計画の中にあることでした。それは、我が子イエスを誰よりも小さな者として誰よりも低い所に遣わすという、神様の救いの御計画でした。それは、この世界にいるすべての人と共に歩まれる方、どんな状況の中を生きている人に対してもその困窮を我が事として受け止めることが出来る方として、救い主を遣わすという御計画でした。その神様の救いの御計画は、最後にはゴルゴタの十字架へと繋がっていくわけです。
そして、イエス様は赤ちゃんとして誕生しました。この時のイエス様は、赤ちゃんだけれども何でも出来る、何でも分かってる、そんなことはありませんでした。この時のイエス様はただの赤ちゃんと全く同じでした。ヨセフとマリアという両親がいなければ、暖かく包んで食べ物を与えてくれる人がいなければ、生き延びることが出来ない。そのような存在としてイエス様は来られました。「罪を犯さない」という点以外では、すべてが私共と全く同じ人間となられました。それは、私共のために、私共に代わって、十字架の裁きを我が身に負われるためでした。旧約において、人間の罪は動物の犠牲(いけにえ)によって赦されましたが。その赦しは不完全なものであり、限定的なものでしかありませんでした。しかし、すべての人間を完全に救うために、完全な身代わり、完全な犠牲になるために、イエス様は完全に人間となられたのです。そして、自ら人間の死を完全に味わわれました。死を経験したことがあるのは、イエス様だけです。人は皆死にますが、死を経験した者はいません。イエス様だけが復活されて、死を経験されました。ですから、イエス様は、死に行く者の嘆きも悲しみも御存知であり、死に行く者をも支えることがお出来になるのです。
7.我らの死と一つとなり、永遠に生きるため
週報にありますように、先週の火曜日、敬愛する姉妹が天の父なる神様の御許に召されました。75歳でした。前夜式・葬式が水曜日・木曜日にここで行われました。昨年の8月に肺がんで余命一年と宣告されて、それから1年4ヶ月目のことでした。肺がんでしたので、抗がん剤の副作用で体調が悪くなる。少しずつ呼吸が苦しくなっていく。酸素マスクが離せないようになっていく。立てなくなっていく。このような経過を歩まれた本人とそれを看取る家族の日々は、本当に厳しいものがあったと思います。その姉妹の困窮、そして看取っている家族のやり場のない思い。それをイエス様はすべて受け止めてくださり、支えてくださいました。神様は、最後まで姉妹の唇に感謝の言葉を備えてくださいました。そして、天に召される4日前に私がお訪ねした時には、枕元でクリスマスの讃美歌を歌う私に合わせて讃美歌を口ずさんでおられました。そして、明るい声で、「私の命はすべて神様にお委ねしました。」と告げられました。その声は本当にとても明るいものでした。あの時、イエス様が姉妹と共にいてくださり、死の不安と戦い、復活の希望に生かしてくださっていたのだと思います。自ら十字架の上で死なれ、三日目に復活されたイエス様が、聖霊として姉妹と共にいてくださり、支えてくださった。死に行く者になお希望を与え、力を与えられる方。それがイエス様です。そのイエス様が来られたから、そのイエス様が今も私共と共にいてくださるから、私共はクリスマスを喜び祝うのです。
8.飼い葉桶に眠るイエス様
さて、生まれたばかりのイエス様は「布にくるんで飼い葉桶に寝かせ」られました。聖書は、イエス様が生まれると「布にくるんで飼い葉桶に寝かせ」と記しているだけですが、ここで少し五感を使って想像力を働かせてみましょう。場所は馬小屋、家畜小屋です。馬か牛か、すぐ近くにいたでしょう。ですから、家畜の鳴き声や臭いがはっきりあったはずです。そして、飼い葉桶には馬や牛の唾液がこびりついていたでしょう。そこにイエス様は寝かされました。そこしか場所がなかったからです。私共はクリスマスをロマンチックなイメージでとらえがちです。そのロマンチックなクリスマスのイメージの中では、家畜の鳴き声も臭いも消されてしまいます。また、イエス様がお生まれになった直後、マリアもヨセフも疲れ果てていたでしょう。特にマリアは疲労困憊だったと思います。疲れ果ててしまわないような出産なんてありません。家畜の臭いが立ちこめる所でマリアは出産し、牛や馬が使っている飼い葉桶にイエス様は寝かされました。
聖書がここで告げようとしていること、イエス様を遣わされた神様の御心ははっきりしています。イエス様が来られたのは、快適で、平和に満ち、愛に溢れた世界に来られたのではないということです。イエス様が来られたのは、自分の場所を決して譲ろうとしない人間の世界。そのためにイエス様を、神の御子を馬小屋に追いやってしまう世界。イエス様・神様のためには使い古した飼い葉桶しか残されていない、そういう世界です。動物の臭いが立ちこめている世界です。イエス様はそこに来られた。このイエス様が生まれたこの世界の姿は、時代を超えて普遍的なものです。人間が生きている世界は、いつでもそのような世界です。
9.私の中に宿られる
そして、それは私共の心そのものです。イエス様が生まれた馬小屋、生まれたばかりのイエス様が寝かされた飼い葉桶、それは私共自身の心です。私共の心が、神の御子が宿るのに相応しいから、イエス様は私共の心に宿ってくださったのではありません。神の御子を宿すのに相応しい心、完全に清く正しく、謙遜で愛に満ちた心なんて、世界に一つもありません。誰の心も、神様の御子を迎えるのに相応しくなんてありません。罪に満ち、自尊心で固まり、自分の損得でしか考えることが出来ず、神様の御前に小さくなれない傲慢さに満ちています。それにもかかわらず、イエス様は宿ってくださった。飼い葉桶に寝かされたように、私共の中に宿ってくださいました。光のない心に、御自身がまことの光となってくださり、まことの希望の光を点してくださいました。ですから、私共は最早、希望を持たない時のように歩むことは出来ません。愛を知らなかった時のように歩むことは出来ません。神様に徹底的に愛された者として、愛の交わりを形作って歩んで行きたいと心から願います。
10.聖餐
ただ今から聖餐に与ります。キリストの体と血とに与ります。キリストの命が、イエス様御自身が、私共の中に宿ってくださった。このことをしっかり受けとめる時です。イエス様が生まれた時、馬小屋はどの世界遺産の建物よりも光り輝く、素晴らしいものになりました。イエス様が寝かされた時、飼い葉桶はどんな黄金や宝石で飾られたベッドよりも貴いものになりました。私共もそうです。イエス様が宿ってくださることによって、私共は何よりも尊い、価高き者とされました。そして、イエス様が宿ってくださるが故に、身勝手で我が儘な私共の心も、必ず変えられていきます。神の御子と共にある者、神様を「父よ」と呼べる者、すなわち「神の子」とされた私共です。何とありがたいことでしょう。共々に、御子が来てくださった恵みに感謝し、神様をほめたたえたいと思います。
お祈りいたします。
恵みと慈愛に満ちたもう、全能の父なる神様。御名を畏れ敬います。
今朝、私共は愛するイエス様の御降誕を喜び祝い、クリスマス記念礼拝を捧げることを許され、心から感謝いたします。イエス様は、私共を罪の闇から救い出し、神様の光の中に生きる者とするために、天から降って来られました。このイエス様の十字架と復活の救いの御業によって、私共は神の子としていただき、永遠の命に生きる者としていただきました。ありがとうございます。イエス様は、御言葉と共に、私共の心の中に宿ってくださり、御国への道を示し、感謝と喜びの中に生きる者にしてくださいました。どうか私共が、健やかに、しっかり御国への歩みを為していくことが出来ますよう、導いてください。
この祈りを、私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン
[2023年12月24日]