1.はじめに
レント(受難節)の日々を歩んでいます。今日からイースターまで、マタイによる福音書が記すイエス様の御受難の記事から御言葉を受けていきます。マタイによる福音書では21章から、イエス様がエルサレムに入られて十字架にお架かりなる最後の一週間、受難週の出来事を記しています。マタイによる福音書は全部で28章あります。その内8章が最後の一週ということになりますので、おおよそ三分の一がイエス様の受難と復活について記されていることになります。この分量だけを見ても、福音書の中心はイエス様の受難と復活、十字架と復活であることは明らかです。
特に26章の26節以下、最後の晩餐の記事からは、ユダヤの一日は日没から日没までですので、最後の一日の出来事が記されています。イエス様が十字架の上で息を引き取った日の一日の出来事を思い起こし、振り返ってみましょう。まず「最後の晩餐」がありました。これは「過越の食事」であり、私共が今朝も守る聖餐が制定された時です。そして、ペトロの裏切りの預言がされ、イエス様はゲツセマネで祈られました。この時、弟子たちは目を覚ましていることが出来ず、寝てしまっていました。そこにイスカリオテのユダによって手引きされて祭司長たちや民の長老たちの遣わした人たちが来て、イエス様を捕らえました。イエス様は大祭司の屋敷に連れて行かれ、最高法院で裁かれます。この最高法院での裁判の場面が、今朝与えられた御言葉です。最高法院と訳されているのはサンヘドリンというユダヤの自治組織で、議員70名と議長である大祭司の計71名で構成されていました。この時、ペトロは三度イエス様を知らないと言ってしまいます。イエス様はこの後、総督ピラトのもとに連れて行かれ、死刑の判決を受け、十字架へと歩みます。イエス様はゴルゴタの丘において午前9時に十字架に付けられ、午後3時に息を引き取られました。そして、アリマタヤのヨセフがイエス様の遺体を引き取り、日没までに遺体を墓に納めます。ここまでが最後の一日に起きた出来事です。
2.苦難の僕
さて、イエス様の十字架の出来事を指し示している旧約の記事の中でも有名なのが、イザヤ書にある「苦難の僕の歌」或いは「主の僕の歌」と言われるところです。それは4箇所あります。第一の「主の僕の歌」は42章1節~4節まで、第二の「主の僕の歌」は49章4節~6節までのところです。そして、第三の「主の僕の歌」が先ほどお読みいたしました50章4~9節、そして第四の「主の僕の歌」が最も有名な53章です。
主の僕がどうして苦難に遭うのか、人にあざけられるのか。主の僕は、神様の恵みと祝福を受け、健やかに、平安に歩むはずではないのか。今朝の御言葉で言えば6節です。「打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。」どうして主の僕がこのような目に遭うのか、いったいこの主の僕とは誰のことを指しているのか、これは謎とされていました。イエス様が来られるまで、この謎は誰にも解けませんでした。しかし、イエス様が来られて、長い間ずっと謎であったこの「主の僕」「苦難の僕」がイエス様のことであるということが、はっきり分かりました。イエス様によってもたらされる救いを預言していたということが、はっきり分かりました。イエス様の苦難は、私のため、私に代わって味わわれたものであることが分かりました。
3.最高法院での裁判
イエス様はゲツセマネで捕らえられて、大祭司カイアファの屋敷に連れて行かれました。そこには、最高法院の議員たちが既に集まっておりました。これはイエス様の裁判が予定されていたものであったことを示しています。59節「さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。」とあります。何ということでしょう。「偽証を求める」などということは、決して行われてはならないことです。十戒の第九の戒め「あなたは隣人について偽証してはならない。」に明らかに反しています。ここに集っていた最高法院の議員たちは、議長である大祭司カイアファをはじめ、祭司長、律法学者、民の長老といった十戒をよくよく知っていた者たちであり、律法を守ることが救いの道であると人々に説き、それを実践していると自負していた人たちでした。しかし、このイエス様に対する裁判の場面において、それを告げる者はおりませんでした。イエス様を死刑にすることを、大祭司たちは最初から決めていました。この裁判はイエス様を合法的に亡き者にするための手段でしかありませんでした。これを裁判と呼んで良いのかどうかと思います。しかし、この時大祭司も議員たちも、自分たちが行っていることは全く正しいことだと信じていたはずです。
どうして彼らはイエス様を死刑にしなければならないと考えたのでしょうか。考えられる理由を幾つか挙げるとするならば、第一に、イエス様は権威ある者として人々に教え、奇跡もなさいました。そして、多くの人たちがイエス様を支持しました。中にはイエス様のことをメシアではないかと言う者も出て来ました。このままでは、大祭司や律法学者たちの権威が失墜してしまうことを恐れた。第二に、イエス様が人々に教えていたことは、大祭司や律法学者たちが築き上げてきたユダヤ社会の常識や教えていたことと違っていていました。このまま放っておけば、自分たちが築き上げてきた神殿と律法を中心としたユダヤ教・ユダヤ社会の秩序が壊れてしまう。第三に、このまま放っておけばイエス様を担いで暴動が起き、更にはローマに対する反乱が起きかねない。ローマは宗教や文化には寛容でしたが、反乱に対してだけは徹底的に鎮圧しました。そうなればユダヤ社会そのものが破壊されかねない。それを一番恐れたのかもしれません。カイアファは、「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言した」とヨハネによる福音書18章14節には記されています。イエス様一人を殺してユダヤ人全体が助かるなら、こんな良いことはない。そう考えたのでしょう。
しかし、60節「偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。」とあります。ユダヤにおいては、複数の証言が一致しなければ証言として採用されなかったからです。よっぽど口裏を合わせていなければ、偽証は成立しません。ところが、「最後に二人の者が来て、『この男は、「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」と言いました』と告げ」ました。大祭司は、これは使えるとすぐに分かりました。この証言は、宮清めをなさった時にイエス様が、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」(ヨハネによる福音書2章19節)と言われたことを指しているでしょう。この時、イエス様は「神殿を壊せ」と言われたわけではありません。イエス様が言われた神殿とは、御自分の体のことであり、三日目に復活するということでした。それによって、目に見える神殿を必要としない、いつでもどこでも神様と共にある信仰の歩みが与えられる。神殿を中心とする神の民ではなく、イエス様の復活によって与えられる永遠の命の希望に生きる新しい神の民が生まれることを告げたのですけれど、彼らにそれは通じませんでした。「神殿を壊してみよ」と言うだけで、とんでもないテロ行為をしようとしている、ユダヤ社会を破壊しようとしている、そのように受け止められてしまったのです。彼らにとって、エルサレム神殿はそれほど神聖で大切なものだったのです。しかし、イエス様にとって、目に見えるエルサレム神殿はただの建造物に過ぎませんでした。しかも、それがやがて崩壊することも御存知でした。マタイによる福音書24章2節において、イエス様は神殿の建物を指して、「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」と告げられました。事実、この時から約40年後の紀元後70年にローマとの間に起きたユダヤ戦争により、エルサレムはローマ軍によって破壊され、エルサレム神殿も瓦礫の山となりました。この時からユダヤ人は祖国を持たない民になりました。エルサレム神殿で現在も残っているのは、ニュースなどで時々映像が流れる「嘆きの壁」と呼ばれるものだけです。
4.お前は神の子、メシアなのか
イエス様は不利な偽証がなされても、それまで何も答えませんでした。そして、遂に大祭司カイアファが立ち上がり、イエス様にこう問いました。63節「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」人に偽証させておいて、「生ける神に誓って我々に答えよ」とは、よく言ったもんだと思いますけれど、彼にとって「生ける神」とは、そのように自分が勝手に利用出来るものでしかなかったのでしょう。彼は大祭司でありながら、少しも「生ける神」を畏れていないことが、よく分かります。
この問いにどう答えるかで、イエス様の命運は決まります。当然、イエス様もそのことは百も承知です。これまで何を言われても黙っておられたイエス様でしたけれど、この問いにははっきり答えられました。イエス様の答えはこうでした。64節「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」この「それは、あなたが言ったことです。」という答えは、肯定しているのか否定しているのか分からないという議論があります。直訳すれば「あなたは言った」ですので、確かに肯定なのか否定なのかわかりません。しかし、この後の大祭司の反応から判断すれば、「そのとおり」「あなたの言うとおり」とイエス様は言われたと理解すべきでしょう。少なくとも大祭司やそこに居合わせた最高法院の議員たちは、そう受け止めました。そもそも、イエス様はここで、「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」と言われたわけで、これはダニエル書7章13節で預言されていたメシアが来られる時の姿ですから、イエス様はここで「わたしはダニエル書で預言されているメシアである」と宣言されたわけです。
ただそれでも、どうしてイエス様は「それは、あなたが言ったことです。」と言われたのか、という問いは残るかもしれません。それは、イエス様が「神の子、メシア」であるかどうかは、イエス様が答えることではなくて、あなたが答えることだ。あなたはわたしをどう受け止めてるのか。神の子・メシアと信じるのか。そうイエス様は問い返したということなのではないでしょうか。それは私共もまた、イエス様に対して「あなたは神の子、メシアです」と答えるのかどうか問われているということです。
さて、イエス様の答えに対して、「大祭司は服を引き裂きながら言った。『神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒瀆の言葉を聞いた。どう思うか。』人々は、『死刑にすべきだ』と答えた。」のです。これは、イエス様がとんでもない不敬罪を犯した、死罪に当たるということです。敬わない罪と書いて不敬罪。これは戦前の日本にもありました。「天皇および皇族・神宮・皇陵に対して不敬の行為をする罪」で昭和22年(1947年)に廃止されました。自らメシアであると言う者は、生ける神を冒瀆しているということです。しかし、イエス様は「まことの神にして、まことの人」でした。こうして、イエス様は顔に唾を吐きかけられ、こぶしで殴られ、平手で打たれ、「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と侮られました。
5.御心ですから
イエス様はこの時も、それ以前も、これ以後も、十字架への道を逃れることは簡単に出来たと私は思います。様々な奇跡をなさったイエス様ですから、その力を用いるならば、この状況を打開することなど造作もなかったでしょう。「お前たちは、誰に対してこのようなことをしているのか分かっているのか。」そう言って、水戸黄門が印籠を出すように、天の軍勢を呼んで、大祭司を雷に撃たせ、この大祭司の屋敷を焼き払うことだって出来たでしょう。しかし、イエス様はそうなさいませんでした。それは、そのようにすることが父なる神様の御心ではなかったからです。この自分を亡き者にしようとする人たち、自分の地位や立場を守るためには神様の戒めを破ることさえ何とも思わない、このような人たちのために自分は来た。この人たちの一切の罪を担い、この人たちのために、この人たちに代わって、神様の裁きを受ける。それが自分の為すべきことであり、それが神様の御心であり、それが自分が遣わされた意味であり、目的であることをイエス様ははっきり弁えておられたからです。
それはここに至るまでもそうでしたし、この後もそうでした。
6.裏切り(ユダとペトロ)
この大祭司の屋敷での裁判の直前、最後の晩餐を終えて、イエス様はゲツセマネの園に行って祈られました。そこでイエス様は捕らえられました。手引きしたのはイエス様の弟子の一人、イスカリオテのユダでした。イエス様は十二弟子の一人に裏切られました。イエス様はこうなることを御存知でした。最後の晩餐の時、イエス様は「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」と告げられ、ユダが「先生、まさかわたしのことでは。」と言うと、イエス様は「それはあなたの言ったことだ。」と告げられたからです(マタイによ26章21~25節)。こうなることは分かっていました。しかし、それでもやっぱり辛かっただろうと思います。愛する者に裏切られる。それは心が引き裂かれるように辛いことです。
更に、最高法院でイエス様が裁かれていた時、一番弟子のペトロは大祭司の屋敷の中庭にまでついて来ていました。そこでペトロはイエス様の弟子であることを指摘され、「そんな人は知らない」と三度も否定してしまいました。とても有名な箇所です。「三度」否定したということは、単に回数を言っているのではなくて、三というのは完全数ですから、ペトロは完全に、徹底的にイエス様との関係を否定したということです。このこともイエス様は御存知でした。ペトロが三度知らないと言うことを既に予告しておられた(マタイによる福音書26章31~35節)からです。こうなることは分かっていた。でも、やっぱり辛かっただろうと思います。イエス様が十字架への道を歩まれたということは、このような辛さも引き受けられたということでした。それがゲツセマネの祈りにおける「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」の意味です。イエス様は愛する者に裏切られるという辛さを、身をもって味わわれました。そして、その者を赦すという道を示されました。イエス様は私共が味わうすべての辛さ、痛み、嘆きを知っておられます。そして、私共と共にいてくださり、慰め、励まし、道を拓いていってくださいます。
イスカリオテのユダとペトロ。それぞれの事情を考えれば、二人は同じことをしたとは言えないでしょう。しかし、イエス様を裏切ってしまったという点で見れば、それほどの違いはありません。そして、このユダの姿に、ペトロの姿に、更に大祭司の姿に、最高法院の議員の姿に、代々の聖徒たちは自分の姿を見てきました。ペトロやユダや大祭司や議員たちを、何とひどい人たちか、情けない人たちか。自分を守るために大切な人を裏切るなんて最低だ。そのように彼らを上から見下ろすように、批判してきたのではありません。ここに自分がいる。そのように見て来た。イエス様はその一人一人のすべてを御存知の上で、すべてを受け入れ、その一人一人のために十字架への道を歩まれました。イエス様の十字架は、ユダのためであり、ペトロのためであり、大祭司のためであり、最高法院の議員たちのためでした。そして、それは私共のためであったということです。ユダの裏切りもペトロの裏切りも、大祭司の不信仰も、最高法院の議員たちの我を忘れた怒りも、イエス様はすべてを御存知で、すべてを引き受けて十字架にお架かりになられました。それは、彼らの罪の裁きを我が身に受けて、彼らに代わって神様の裁きを受けるためでした。
7.これが愛です
この時、大祭司も最高法院の議員たちも、イスカリオテのユダも、ペトロも、更に言えばここには出てきませんが、ゲツセマネの園でイエス様が捕らえられた時にイエス様を見捨てて逃げていった弟子たちも、だれ一人として、イエス様の御受難が自分のためであるとは気付いていませんでした。イザヤ書の「苦難の僕」がイエス様であることだと、誰も分からなかったようにです。誰も知らない。誰も分からない。しかし、イエス様と父なる神様だけは知っておられました。そして、ペトロは、復活のイエス様と出会うことによって、すべてを知ることになります。イエス様を裏切った自分を、イエス様は完全に赦してくださり、更にイエス様の赦しの福音を伝える者として、再び召し出してくださいました。ペトロはこのイエス様の召しに応えて、イエス様の福音を宣べ伝える者として生涯生きることになりました。私共もそうです。イエス様が私のために十字架にお架かりになってくださったなんて、考えたこともありませんでした。しかし、不思議なように教会へと導かれ、イエス様に出会い、自分が神様の御心を無視して生きていたことを知り、神様に対してまことに申し訳ないことであったと悔い、神様に赦しを求めました。そして、すべてを赦され、新しい命に生きる者にしていただきました。まことにありがたいことです。ここに愛があります。神様の愛です。一切を赦す徹底的な愛です。絶対の愛です。この神様の愛の御手の中に私共は生かされています。まことにありがたいことです。
お祈りいたします。
恵みと慈愛に満ちたもう、全能の父なる神様。御名を心から畏れ敬います。
あなた様は今朝、十字架にお架かりになった日のイエス様の歩みを、御言葉によって新しく私共に思い起こさせてくださいました。イエス様の苦しみが私のためであることを知らせてくださいました。ありがとうございます。どうぞ、私共がこの神様の絶対の愛に生かされて、あなた様を愛する者として歩んで行くことが出来ますように。
この祈りを、私共の救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
[2024年3月3日]