教会書庫 library

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ここには、富山鹿島町教会の先代の牧師である藤掛順一牧師のメッセージと堀岡満喜子教師の説教が保管されています。
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解(16)」

 旧約聖書創世記の第2章を読みながら、「聖書の人間理解」についてのお話をしています。前回は19、20節から、人が共に生きるパートナー、「自分に合う助ける者」は、動物たちの中には見出せなかったということをお話ししました。そこで、21節以下で女性が造られていくのです。その部分を読んでみます。

 「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」

 女性が、男性のあばら骨から造られたということがここに語られています。このことは、決して女性を軽視している話ではありません。女は男のあばら骨に過ぎない、ということを言っているのではないのです。前回お話しした19、20節において、動物たちがどのように造られたかを思い出してみてください。それとの比較においてこのことの意味が明らかになります。動物たちは、土で形づくられたのです。しかし女性はそうではなくて、男の体の一部を取って、つまり、男と同じ本質を持ったものとして、対等なものとして造られたことをこの話は語っているのです。ですからこれは、男にとって女は、他の動物たちとは根本的に意味の違う存在であり、まさに自分の分身、自分と同じ本質を持ったものだということなのです。人が本当に向かい合って共に生きる相手、パートナーは、自分と同じ本質を持つ、対等な存在でなければならないのです。そのような相手を、神様が造り与えて下さった。それが男にとっての女、女にとっての男の意味なのです。男性が先に造られており、女性が後で造られたという順序には、上下の意味はありません。女性は男性の添え物であるという考えは聖書の人間理解ではないのです。この順序は、神様が与えて下さるまでは、人は本当に共に生きる相手を見出すことができない、ということを語るための手法です。男性が女性という相手を神様から与えられたように、女性も男性という相手を神様から与えられているのです。神様の恵みによって、向かい合って共に生きる相手を与えられている、それが聖書における、人間の性別の意味なのです。

牧師 藤 掛 順 一
「聖書の人間理解」→(17)


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