教会書庫 library
ここには、富山鹿島町教会の先代の牧師である藤掛順一牧師のメッセージと堀岡満喜子教師の説教が保管されています。
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テレホンメッセージ
「聖書の人間理解(7)」
「聖書の人間理解」について、シリーズでお話をしています。
前回は、神様が、この世界を、また私たち人間を、「極めて良い」ものとして造って下さったという聖書の言葉についてお話しました。このことと関連するのですが、旧約聖書創世記の第2章1〜3節にはこのように語られています。
「天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」
神様は、六日間でこの世界と人間をお造りになった、そして七日目には休まれたというのです。これは、さすがの神様も、天地の全てを造るほどの大仕事に疲れて、休息が必要だった、ということではありません。七日目の安息は、神様が、造られたこの世界をご覧になり、それが「極めて良い」ものであることを喜び、それを祝福し、そして神様ご自身が安息なさることによって、この世界に、また私たち人間にも、安息、平安の時を与えて下さったことを表しているのです。私たちは、神様が造り、整え、住まわせて下さったこの良い世界において、神様の安息にあずかって、安息、平安を得ることができるのです。つまり神様の七日目の安息は、神様が私たちに安息を与えて下さるためのことだったのです。
それゆえに、この七日目の神の安息は、人間の社会における、七日に一度の休日の根拠となりました。六日間働き、七日目に休む、という一週間のリズムは、神様が私たちに与えて下さったものなのです。私たちは、この神様の与えて下さったリズムに従うことによって、安息、休みを得ることができるのです。人間は、自然のままで安息、休みを得ることはできません。神様が、「休め」と言って下さらなければ、本当の休みを得ることができないのです。私たちの国においても、明治になって、キリスト教に基づく西洋の暦が採用されるまでは、七日に一度の休日などということはなかったのです。神様の、天地創造の恵みのもとにあることによってこそ、私たちは本当の意味での休みを得ることができる、そのことも、聖書の人間理解の一つのポイントなのです。
牧師 藤 掛 順 一
「聖書の人間理解」→(8)