富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(10)

 イスラエル人の最初の先祖となったアブラハムが、罪に満ちているために神様の怒りをかい、滅ぼされようとしているソドムの町のために、神様を説得したという話を、創世記第18章から読んでいます。アブラハムは、神様に、ソドムの町に五十人の正しい人がいたら、その人たちを悪い者たちと一緒に滅ぼしてしまうのは正しくない、と言ったのです。神様はそれを受け入れ、「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう」と言われました。するとアブラハムは、さらにこう言ったのです。

「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない」
アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

これはとても面白い話です。アブラハムは、神様を値切ったのです。五十人から、最終的には十人まで、神様を説得しておまけをさせたのです。これは、アブラハムがうまくやった、という話ではありません。神様はどのような方であるかを語っているのです。神様は、人間の罪に対してお怒りになります。しかし、人間を滅ぼしてしまうことは神様の願うところではないのです。十人の正しい人に免じて、町全体を赦す、というお気持を神様は持っておられるのです。しかし同時に神様は、隣人の罪が赦されるようにと執り成しをするアブラハムのような人を求めておられます。隣人の罪を赦して下さるように説得する者の説得を、神様は喜んで受けようとしておられるのです。アブラハムはこのように、隣人の罪の赦しを願い求めていくことにおいて、神様の救いを担う人、祝福を担う人だったのです。

牧師 藤 掛 順 一
[1999年8月9日〜8月22日]

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