富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(9)

旧約聖書創世記第12章以下の、アブラムという人の物語を読み進めています。このアブラムが、イスラエルの民の最初の先祖であり、この人から、聖書における「救いの歴史」が始まるのです。前回は、アブラムが、それまで共に歩んでいた甥のロトという人と別れ、別行動をとることになったことをお話ししました。ロトはヨルダン川流域の、豊かな低地地方を選び、アブラムは、反対の、荒れ野の多い山地地方へ行ってそこに住むことになったのです。そのロトが住んだ町は有名な「ソドム」でした。この町の名はどこかでお聞きになったことがあるでしょう。悪徳の町の代表としてよく引きあいに出されますし、特に、性的な道徳の乱れを代表する町です。

さてある日、アブラムのもとに、二人の神様のみ使いがやって来ました。彼らは、アブラム自身にとって大切なあることを告げに来たのですが、その話は後回しにするとして、もう一つ彼らが語ったことは、神様がソドムの町の悪徳を大変怒っておられ、この町を滅ぼそうとしておられる、ということでした。このことは、創世記の第18章16節以下に語られています。実はこの時すでにアブラムは、神様から、アブラハムという新しい名前を授けられていました。そのことも後からお話ししようと思いますが、アブラハムは、このソドムの町のことを聞いた時神様のみ使いにこう言ったのです。

「あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者 のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正し い者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。 全くあり得ないことです。全世界を裁くお方は、正義を行なわれるべきではありませ んか」 つまりアブラハムは、ソドムの町のために、神様を説得したのです。その町に五十人正しい人がいたら、その人たちに免じてこの町を赦してやっていただけないか、ということです。それに対して神様は、「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう」と言われました。アブラハムは、言ってみれば神様を説き伏せたのです。これは大変面白いことです。聖書の語る神様の姿、あるいは神様と人間の関係の一つの特徴がここに表れています。そしてこの話はこの後まだつづいていきます。それについては次回にお話ししましょう。

 

牧師 藤 掛 順 一
[1999年7月25日〜8月8日]

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