富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(8)

旧約聖書創世記第12章以下について、「救いの歴史」と題してお話ししています。創世記第12章は、アブラムという人が、神様の約束のみ言葉を信じて旅立ったことを語っています。この旅立ちによって、聖書における「救いの歴史」が始まったのです。

ところで、アブラムと共に、その甥のロトという人も一緒に旅立ちました。二つの家族が共に旅立ったのです。彼らの旅は、一族郎党を引き連れて、また当時の最大の財産であった家畜を皆連れての旅ですから、そうとう大がかりなものでした。しかし次第に、この二つの家族の間にいさかいが起こり始めます。それは、両方の家族の家畜全部を養うだけの草地がなかったためです。そこでアブラムはロトに提案します。「我々双方が共に生活していくのは無理だから、ここで別れて別行動をとろう。右へ行くか左へ行くか、あなたが好きな方を選びなさい。私はあなたが選んだのと反対の方へ行く」。そこでロトはヨルダン川流域の、よく潤った、肥沃な低地地方を選び、そちらへ向かいました。それに対してアブラムは、反対の、荒れ野の多い山地地方へ行きました。

この二人の決断が、それぞれの運命を決めることになります。ロトが肥沃な低地地方を選んだのは、常識的な、普通の選択です。そちらの方が、家畜を養う草も沢山あり、水の心配もしないですむのです。要するに彼は豊かな地の方を選んだのです。しかし、そのように豊かな地を選んだ彼が移り住んだ町は「ソドム」でした。そこで彼は大きな苦しみを味わうことになります。それに対してロトと反対の方の、やせた土地、家畜を養うのにも適さない地に住むことになったアブラムに対して、神様はまた、約束のみ言葉を与えて下さったのです。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」。

アブラムがこのような祝福を受けることができたのは何故でしょうか。それは、甥により良い地を譲ったからでしょうか。いや、彼のしたことはむしろ、甥に好きな方を選ばせたことです。それは、良い方を人に譲ったということではなくて、自分の歩み、運命を、神様に委ね、神様の導きのままに歩もうとしたということです。信仰とはそういうものであり、神の祝福はそのようなところに与えられるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[1999年7月12日〜7月24日]

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