富山鹿島町教会
(22)←「聖書の人間理解」→(24)

テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(23)

 旧約聖書創世記第3章を読みながら、「聖書の人間理解」についてお話をしています。この第3章には、人間が蛇(即ちサタン、悪魔)の誘惑によって、神様が食べてはいけないと命じておられた「善悪の知識の木」の実を食べてしまう、そのようにして、人間が最初に神様に背く罪を犯し、その結果エデンの園、楽園から追放されてしまう、ということが語られています。その蛇の誘惑の内容を前回から見ているわけですが、蛇はまず女に、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と問いました。その魂胆は前回申しましたように、神様のお命じになった小さな禁止をとてつもなく大きなもの、人をがんじがらめに縛りつけ、自由を奪うものとして意識させようということです。これに対して女性、エバが「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」と答えると、蛇は今度は違うことを言ってきます。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」。蛇は今度は一転して、神が食べてはいけないと言っておられた一本の木のことを語っていきます。「何故神がこの木の実を食べてはいけないとあなたがたに命じたのだと思う?それはね、神はあなたがたが自分と同じように善悪を知る者となって、自分と肩を並べるようになることがいやだからだよ。つまり神はいつまでもあなたがたを自分の下に奴隷のように縛りつけておきたいから、この木の実を食べると死んでしまうぞ、とおどかしているんだよ」。それが蛇の誘惑だったのです。

 この蛇の言葉にはいくつかの大事なポイントがあります。一つは、「この実を食べると神のようになれる」ということです。人間は、心の中に、「自分が神になりたい」という思い、願いを持っているのです。それは要するに、自分が中心でありたい、自分が主人でありたい、自分の思い通りにしたい、ということです。この誘惑は、そういう人間の欲望をくすぐり、神様の下で、神様に従って生きることは、息苦しい、自由でないことだ、そこから解放されて、自分が神になって、主人になって生きよう、という思いを起こさせようとしているのです。聖書が見つめる人間の罪の根本は、この、自分が神になろうとすることなのです。

牧師 藤 掛 順 一

メッセージ へもどる。

(22)←「聖書の人間理解」→(24)