富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「聖書の人間理解」(24)

 旧約聖書創世記第3章にある、「蛇の誘惑」の意味を考えています。この蛇は、人間を神様に背かせ、神様のもとから引き離そうとしている悪魔、サタンの象徴です。その蛇が、神様がこれだけは食べてはいけないと言っておられた、エデンの園の中央にある、「善悪の知識の木」の実について、「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知る者となることを神はご存じなのだ」と言って、それを食べるように人に勧めたのです。この蛇の誘惑の第一のポイントは、前回申しましたが、「この実を食べると神のようになれる」ということです。「自分が神のようになりたい、自分が中心、主人でありたい」という人間の思いをかき立てているのです。

 第二のポイントは、「これを食べるとあなたがたが神のようになることを、神はご存じなのだ」という言葉に込められています。それは即ち、神がこの実を食べることを禁止しているのは、人間が自分と肩を並べる者になっては困るからだ、ということです。神はあなたがたをいつまでも自分の下に、奴隷のように縛りつけておきたいのだ、自分だけが主人で、あなたがたは従うだけの存在にしておきたいのだ、ということです。つまり、神がこの実を食べることを禁じているのは、人間に対する悪意からだ、そんな悪意ははねのけて、自由になりなさい、神の支配から独立しなさい、神なんかいなくても、あなたがたは自分たちで十分ちゃんとやっていける、蛇はそう言っているのです。ですからこれは、蛇が最初に言った言葉「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」ということとつながります。神はそんなひどいことを言っているのか、そんな神の下にいるあなたがたはかわいそうだ、ということです。そういう意味で、蛇の言っていることは首尾一貫しているのです。悪魔の誘惑というのは、神は人間の可能性を奪う暴君であり、神の下で生きることは人間にとって不幸だ、神を捨てて自立して、自分の力で生きていく者になるところに、自由がある、ということです。この誘惑によって、人は「善悪の知識の実」を食べてしまうのです。それが人間の最初の罪です。聖書の語っている人間の罪というのは、このように、人間が神の下で生きることをやめ、自由を求めて神を捨てることです。果してそれで人間は本当に自由になることができたのでしょうか。そのことを次回に見ていきたいと思います。

牧師 藤 掛 順 一

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