富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(56)

 「救いの歴史」と題して、旧約聖書出エジプト記についてのお話をしています。モーセとアロンは、エジプトの王ファラオのもとに行って、『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』という主なる神様のみ言葉を伝え、イスラエルの民を解放することを要求しました。しかしファラオはこう言いました。「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」。

 そしてファラオは、イスラエルの人々に課していた労働の条件ををさらに厳しいものにします。「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ」。こうして、モーセたちがファラオに要求をしたために、イスラエルの人々はかえって苦境に立たされてしまったのです。

 最初は、モーセたちを神様が遣わされたことを信じたイスラエルの人々も、このことによって心をかたくなにしてしまい、モーセたちに文句を言うようになります。あなたがたのせいで、我々の立場は以前よりも悪くなってしまった、というわけです。イスラエルの人々からそういう抗議を受けたモーセは、神様に祈ります。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」これに対する神様の答えはこうでした。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」ファラオが頑なになり、イスラエルの民を去らせようとしない、そのことも、神様の深いご計画の内にあったのです。そのことを通して、神様の強い手の力が示され、明らかにされていくのです。イスラエルの民の出エジプトは、この主なる神様の強いみ手によることです。そのことが明らかになるために、神様はわざとファラオの心を頑なになさるのです。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年6月25日〜7月8日]

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