富山鹿島町教会
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テレホンメッセージ

「救いの歴史」(60)

 「救いの歴史」と題して、旧約聖書出エジプト記についてのお話をしています。神様がエジプトのすべての初子を撃たれた時、過越の小羊の血が戸口に塗られたイスラエルの家はその災いを免れ、この出来事によって遂にイスラエルはエジプトを出ることができた、その神様の救いのみ業を記念して、「過越の祭」が生まれたということを前回お話しました。この祭が定められたと同時に、この月がイスラエルの正月と定められました。それはつまり、イスラエルの人々が、自分たちの歩みの原点を、この過越しの出来事、エジプトの奴隷状態からの解放の恵みに見ていったということを意味しています。

 またこの祭りは、家族ごとに祝われるものです。正月になると、各家庭で「過越の小羊」が用意され、それが14日の夕刻に屠られ、その血が戸口に塗られ、その肉は焼かれて家族がいっしょにそれを食べるのです。それが「過越の食事」です。その食事には細かい規定が定められていったのですが、一つ大事なのは、過越の小羊の肉と共に、酵母を入れて発酵させずに焼いたパンをも食べるということが定められています。その意味は出エジプト記12章33、34節にこう語られています。「エジプト人は、民をせきたてて、急いで国から去らせようとした。そうしないと自分たちは皆、死んでしまうと思ったのである。民は、まだ酵母の入っていないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担いだ。」

 このように、酵母を入れないパンを食べるのは、神様の大いなるみ業によって、急いでエジプトを出ることになった、そのことを記念するためです。エジプトからの脱出は、イスラエルの人々が綿密に計画を立ててついにそれを実現に至らせたという出来事ではなくて、神様の大いなる力によって、全く唐突に、予期しない形で実現したことだったのです。人間の計画によるのではない、ただ神様の恵みによる救いです。それを覚えるために、発酵させないパンを食べるのです。

 この過越の食事の時に、子供たちは父親に、「この儀式にはどういう意味があるのですか」と尋ねます。そして父親は、「これが主の過越である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」と答えます。そういう問答がこの食事の時に必ずなされるのです。そのようにしてイスラエルの民は、神様の恵みを親から子へと語り伝えていったのです。イスラエルの民がその後の苦難の歴史の中でも、自分たちの伝統と信仰を守り続けることができたのは、このような継承がしっかりとなされていったからだとも言えるでしょう。

牧師 藤 掛 順 一
[2001年8月20日〜9月2日]

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